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家族

写真は今回の話とは全く関係ありません。いつぞやに食べた美味しいチーズケーキです。


今日は家族について。

最近、「親ガチャ」という言葉が話題になってて、たくさん議論されているみたい。

「親ガチャ」ってのは、子どもは親を選べないガチャガチャみたいなもんだから、いい親に当たるか悪い親に当たるかは運次第だよね、という意味らしい。

それに対して、「大切に育ててくれた親に対してなんて言種だ」「親も子を選べないけどそれでも愛してくれている」と反論する人もいる。

なんとも言えない難しい問題だけど、私は「親ガチャ」っていう言葉に、そこまで嫌悪感は抱かない。

だって人間関係なんて、みんなそうだと思うんだ。


私の両親はめちゃくちゃ仲が良いわけでもなく、お父さんの酒癖の悪さ故よく喧嘩もする。実家にいると不快になるし、結婚=幸せってわけでも無いんだろうと幼心に感じていた。

でもその部分だけ見れば確かにそうだけど、父にも母にも良いところはある。父はわたしが喘息だったから、大好きだったタバコをやめてくれた。そのせいで酒が増えたんだろうからあんまり文句も言えない。高校までの道のりが遠かったこともあり、毎日片道1時間の道のりを車で送ってくれた。母は大学時代、私が熱を出せば深夜になっても岡山から東京に駆けつけてくれた。20歳を超えればもう大人、1人で頑張れとなるところを。まあ過保護すぎるとは思うが、母の愛情なんだろうと思う。熱を出すと母はいつもハーゲンダッツを3つ買ってくれる。私にとってハーゲンダッツは母の味に等しく、私ももし子どもを持つことがあったら、ハーゲンダッツをいくらか買ってあげられるくらいの経済力を持ちたいと思ったものだ。


「親ガチャ」に大当たりした人ってのは、きっと両親揃っていて、優しく賢く仲が良く、経済的にも精神的にも安定している家庭の元に生まれた人なんだろう。そういう意味では、私は「親ガチャ」には失敗してるんだと思う。

でも、当たったものに不満があったとて、それをどうするかってのは自分次第なんじゃ無いかとも思うのだ。人間関係なんて、みんながみんな、人当たりがよく優しいわけじゃ無いんだから、家族だろうがなんだろうが、合う合わないはあるだろう。ガチャに失敗したと思うなら、違うガチャで心を満たせばいい。確かに親ガチャは一回しか引けないかもしれないけど、友達や食べ物や趣味、この世はいろんなガチャで溢れているではないか。


じゃあ「親も子は選べないけど愛してるのに」という意見はどうなるんだというところですが、個人的には「子ガチャ」と「親ガチャ」の質は違うと思っているので並べられないと思う。

「子ガチャ」には痛みが伴う。例えるなら、月300円のお小遣いしかない子どもが、300円のガチャを引くような、人生1番の大勝負なわけですよ。全財産をかけて出てきたガチャ、たとえ外れても、そのグッズは簡単に捨てられない。私だったら、大切に保管する。それくらいの価値があるものだから。

でも「親ガチャ」はそうじゃない。自動的にひかされているに過ぎない。だから子どもの側が自然とそういう発想になるのは仕方がないと私は思う。


かといって、古典をかじっているがために、親を無下にすることもいいことだとは個人的には思えないところもあり…難しいね。


家庭を持つってのは、それくらい大きく根深いことなんだということを感じさせられた言葉でした。



今日は遅寝ですな。

明日も仕事、おやすみー。

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