【ノンストレス】介護のたくみ

特養で働く介護士の私が、日々感じたことを書きます。他にも小説、レゴブロック、一汁一菜、…

【ノンストレス】介護のたくみ

特養で働く介護士の私が、日々感じたことを書きます。他にも小説、レゴブロック、一汁一菜、ブログなど各種SNSで発信中。→https://lit.link/ninjatakumi

最近の記事

ドハマりした介護の本

芥川賞受賞作の【スクラップ・アンド・ビルド】という小説がある。 28歳無職実家暮らしの主人公と、同居する祖父の話。祖父は要介護度1にも満たないんじゃないかと思われるほど動けるし喋れるのに、何かにつけて【早よう死んだほうがよか】ばかり言う。 主人公はやることと言うことが矛盾する様子にイライラしながらも、祖父がそう言うならと楽に死なせてあげる方法を考え始める、という物語だ。 この【死にたいっていう割に食うし寝るし喋る】という要介護高齢者あるあるを、たっぷりブラックユーモアを塗りた

    • 食事介助

      食介をしていると、この人はほんとうに食べたいのかな、とよく疑問に思う。 スプーンを近づけると口を開けるから、その中に食べ物を運ぶ。でもこれは口から無意識に脳に「食べ物が近づいてきた」という信号が送られ、それが「そうか、じゃあ食べろ」という信号となって脳から口に伝わり機械的に開口しているようにも見えることがある。 食べたいから食べるのか、生きたいから食べるのか、食べたくて生きるのか。そもそもほんとうに食べたいのか、ほんとうに生きたいのか。 現状、本人に確認はできていない。

      • 介護サマリー

        介護サマリーを読むと、いつもなんだか切なくなる。 これまでの人生がほんの数行で語られているからだ。 趣味は本当にパチンコだけだったのか?年齢やその時の気分でやりたいことなんて変わるだろう。映画観たりとか、喫茶店巡りとかいろいろたしなんでたんじゃないのか。 まじめな性格だったっていうけど、たまには腐ったりふまじめにもなるだろう。一貫して同じ性格の人なんて気持ち悪いだろう。そもそも【まじめ】って何なんだ。 好きな食べ物は天ぷらって言うけど、年取ってから油っこいもの食べたいか?いや

        • 帰宅願望

          【帰宅願望】という言葉がある。 利用者が施設に慣れていなかったり、今いる場所がどこか分からなくなったりすると、不安になって「家に帰りたい」と訴え出ていこうとする状態だ。 この気持ちはとても共感できる。私も四六時中、早く帰ることだけ考えて働いているからだ。 なぜ帰りたいのか。本を読んだり、散歩したり、家でおいしいごはんを食べたり、風呂に入ってゆっくりしたいからだ。 そう考えると、もし利用者の立場に立ったらと考えるだけで辛い。見知らぬ人が作った食事を決まった時間に食べ、機械的に間

          ゲームのように利用者を運ぶ私

          気づくと、シミュレーションRPGのように利用者を動かしている自分がいる。 利用者自身の心情を置き去りにして、自分がこのフロアのゲームオーナーになったかのように。 この根源を探ると、日本の多数派の施設が持つ危うい構造にあると思う。たとえば九州にある【宅老所よりあい】という施設では、利用者を管理者側のスケジュールに当てはめて動かすようなことはせず、それぞれがやりたいことをやりたいときにやる、このサポートとして職員がいるという構造らしい。 行ったことはないので実際はどうか分からない

          ゲームのように利用者を運ぶ私

          レクリエーションと日常習慣

          カントやベートーヴェン、ダーウィンなどの歴代の天才たちは、日々のルーティンを大事にしてきたらしい。 彼らはだいたい、早朝に起きてコーヒーを1杯飲み、午前中に執筆や創作活動に励む。 午後は友人と話したり散歩に出かけ、頭のなかの整理の時間に当てる。 同じ時間に起き、同じ時間に寝る。 毎日の地道な習慣のくり返しが人を活性化させてきたことを、歴史が物語っている。 そして私は思う。施設でのレクリエーションを最初に発明した人は、きっと日常習慣が安不定で、毎日に新しい刺激を求めて生きてい

          レクリエーションと日常習慣

          美しい言葉

          死を悟った人間が口にする言葉は、全て美しいのだという。 その話を聞いて、私は介助のついでに利用者にいろんな質問をした。 人生とはなにか、お金とはなにか、愛とはなにか。 別に悩んでいたわけじゃない、美しい回答を期待していただけだった。 だが蓋を開けてみれば、なんと幼く拙いことか。 人生とは【一生懸命生きること】だの、お金は【あったらいいもの】だの、愛に至っては【わかんない】。 期待外れだったことには間違いないが、なるほどとも思った。 私もそんな抽象的な質問をされたところで

          話の通じない人間

          特養に入職したばかりのときは、毎日【さみしさ】を感じていた。 同僚が皆、利用者とばっかり喋るからだ。 職員同士でのトークがほとんど無かった。 いや実際は職員同士も喋っていたのかもしれないが、ろくに会話できないお年寄りにばかり声がけする若者たちのインパクトがあまりに強くて、嫉妬心と寂しさがとめどなく襲ってきたのだ。 利用者より僕のほうが会話のできない、話の通じない人間だと、レッテルを貼られた気分になった。 なんと愚かな考え方だったか。 入職から8ヶ月経ったいま、私もまた、

          施設はタイムマシン

          介護の仕事どうですか?と聞かれたら、ワクワクします、と答えるようにしている。利用者を見ると自分の50年後はこうなっているかもしれない、とタイムマシンに乗せられてきた気分になるからだ。 そうなったときに、私はこんな老人になりたいのか、なりたくないのかも考える。施設で過ごすことに幸せを感じてほしいと願い、働くのが介護職の美しき考え方だと思うが、私はそんなこと考えて働いてるのか?いや、みじんも考えてない。早く帰ることしか考えてない。 つまり、私自身は施設では死にたくないと思っている

          人のふり見て我がふり直せ

          スーパーでこんな親子がいた。 母親の方は80歳くらい、毛糸のカーディガンを羽織り、小柄で背中が曲がっている。 一方息子の方は50代、ジーパンにデニムジャケット、背は高く声が大きい。 大量に食材を購入したようすだ。 私の横で、会計後の袋詰めを母親にさせている息子。 「いや、だから!ねぎは最後でいいだろうが、縦に挿せば!先に固くて安定するやつ入れたんだよ、ばかが! じゃがいもはそっちじゃねえよ!重いのがかたよるだろうが。なんでそんなばかなんだよ。 牛乳も横じゃなくて最後に縦に

          人のふり見て我がふり直せ

          品が問われる介護職

          離床したあとは、ベッドメイキングするようにしている。 掛ふとんと毛布はジャバラ状の三つ折りにし脚側に重ねる。その上に枕を置く。柵は壁に立て掛けたりすると危ないから、ベッドの隙間に差し込んだりして安定させる。 いろんなやり方を試したが、臥床するときに他の職員が手間がかからず、かつパッと見きれいに見えるようなちょうどいい位置を模索してここに落ち着いた。 ベッドメイキングをするのは利用者のためではない。【この介護職員は品があるな】と思われたいからだ。 お年寄りの日常生活を手伝う介護

          介護/看護カースト

          介護士と看護師のあいだには、どうしても埋められない段差があるとおもう。 看護師になるには、看護学校に通って実習もして国試に受かるという立派な学修過程があり、私は尊敬している。 いっぽう介護士は、福祉系の学校でしっかり学んで就職する人もいるが、私のように32歳から未経験でも始められる敷居の低さがあるから、【誰でもできる仕事】というレッテルが貼られがちだ。 チームケアだ、多職種連携だとは言われるが、心の底じゃみんな平等じゃないことは分かってる。表立って口にしないだけだ。 だがそれ

          自分が変わるしかない

          ある同僚に、どうしてもトランスをやらせてくれない利用者Aさん(仮名)がいた。同僚は身長が150cmくらいで、トランスの際にどうしてもAさんと頭がぶつかってしまう。それが嫌なようだ。 やがてAさんは、同僚にトランスをされるのを露骨に顔や言葉に出して拒絶するようになった。その後同僚は職場を辞めることになるのだが、そのときにある言葉を吐き捨てた。 私の背が伸びるか、Aさんが変わるしか、私が残る道はない。 つまり、同僚が背が伸びるがどうかは自分でコントロールできないから、Aさんに

          介護職不適合者

          昨日の夜勤は、一晩中看取りの方のそばにいた。ポテチとチョコレートをつまんで、本を読み、眠気を飛ばしながら、真剣にではないがそれなりに寄り添った。 人の表情を長時間観察すると、細かい変化に気付く。黒目が濁っているな、口を閉じないな、肩で呼吸をしているな、いま何か言ったな。 その変化に気付いて一体何になるのだろうと思いながらケース記録に残す。 とりあえず、呼吸停止しなかったことだけは安心した。私はほんとうに、都合のいいときだけ長生きしてほしいと願うような介護職不適合者だ。

          看取りに選ばれる

          亡くなるときの利用者さんは、看取る職員を選ぶらしい。 私は、まだ利用者に対してやさしくなれないし、真剣に向き合えていないから、選ばれることはしばらくないだろう。 いつもは、利用者がどうなろうとそれに沿った行動をとるだけだと考えているが、自分が1人夜勤のときだけ、今晩だけはもちこたえてほしいと、都合よく長生きを願ってしまう。 なぜなら、呼吸停止してからの対応などやったことがないし、どうすればいいかわからず混乱するだろうし、ほかの離床したりの仕事ができないからだ。 早く帰りたい