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「ルール展」で学んだ、「正しいルールの破り方」

ルール展に行ってきました。

法律もボードゲームの遊び方も、どちらもルールだ

ルールという言葉を聞いたときに、人によって思い浮かべることは全然違うと思います。

僕は仕事柄どうしてもボードゲームの遊び方を最初に想像しますが、例えば多くの人は法律を思い浮かべるのではないでしょうか。法律は国が国民に課すルールといえます。法律がない国はないはずなので、関係しない人はいません。

法律でもゲームの遊び方も同じように「ルール」と呼べるのは、それらが同じ性質をもっているからです。どちらも「プレイヤーを目的に向かわせるため」にあります。

法律はきっと、国が、国民というプレイヤーに"こういうふうに振る舞うといい国になるよ"という指針を示していますし(そうじゃないのではというものも散見されますが)、ゲームの遊び方は”こういうふうに遊ぶと楽しいよ”という説明です。そうした性質を書籍『ルールリテラシー』では「指向性」と呼んでいました。

つまり、裏を返せば目的を共有していないなら(ゲームに参加していないなら)、ルールを守らなくてもいいとも言えます。実は「ルールは守るもの」ではないのです。

プレイヤーじゃなければ、ルールを守らなくていい?

ルール展の中で、これを身近な例で示してくれていたのが、ビール缶がずらりと並んだ展示でした。

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ビール缶は3つのグループ、ビール・発泡酒・第3のビールに分けられています。この分類は、当局と飲料メーカーのいたちごっこの結果です。

ビールに税金をかけたい当局は「ビールとは何か」の定義を決めます。すると飲料メーカー側はその定義から外れるけどビールっぽい味がする「ビールっぽい飲み物(たとえば発泡酒)」を開発します。すると当局はその「ビールっぽい飲み物」にも税金をかけるために定義を作るので、メーカーはさらに「ビールっぽい飲み物その2」を開発して…という繰り返しが起こるわけです。100年後には「第15のビール」とかが登場してるのかもしれません。

これをルールの扱いという視点で見ると、飲料メーカーたちはプレイしている「ビールを売るゲーム」のルールを破るのではなく、新しい「発泡酒を売るゲーム」をつくってそちらのルールに則ってプレイしている状態です。

ただ、新しいゲームと言っても「美味しい飲料でハッピーな体験を提供するゲーム」という、お客さんとプレイしているより大きなゲームのルール違反は極力しないようにしているのがミソ。「ビールを売るゲーム」は「美味しい飲料でハッピーな体験を提供する」の中にある1つのゲームでしかありません。

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自分たちの中で最も優先度が高いゲームをプレイし続けるために、そのルールにのっとったうえで、都合の悪いルールに従わなくてもいいゲームも開発し、プレイするというスタイル。「発泡酒を売るゲーム」は「ビールを売るゲーム」とは違うので、「ビールを売るゲーム」のプレイヤーとしてのルールを守る必要がないのです。

ざっくりまとめると、当局くんがビールへの課税という手段で「ビールを売るゲーム」に参加してきたのですが、ちょっと当局くんとは仲良くできそうにない飲料メーカーさん(当局くんは「美味しい飲料でハッピーな体験を提供するゲーム」に参加する気がない)は、上位レイヤーの目的に適っている別のゲームを別の仲間とも遊べるようにしたという感じ。

ここから学べるのは、守るべきだと思い込んでいるルールは、自分がプレイしたいゲームそのもののルールなのか?という視点です。

たとえばビールのように、外部からルール変更や望まぬプレイヤーの参戦でプレイしていたゲームがやりにくくなった時、上位レイヤーの大ゲームに立ち返れば、新しいアイデアが生まれるかもしれません。

同じゲームの中でルールを無視したりすり抜けるのではなく、違うゲームをつくってプレイすること。コストも時間もかかるやり方ですが、これこそ知恵を絞ったクールな「正しいルールの破り方」だと思いました。

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というわけでルール展は、こんな展示が盛りだくさんでした。日常にある風景からルールに思いを馳せるきっかけをくれる良き場。11月末まで開催中なので、情勢が落ち着いたらぜひ。


ナイスプレー!