楽しかったことから、離れなければならなかった理由

寝る前に、ちょっと新しくオリジナル作品でやりたいネタが思いついたとき、
ふと、昔のことを思い出した。


その瞬間、
「楽しかったことから、あえて離れなければならなかった。
そしてそれにより得たものと引き換えに、楽しさを失ったまま数年きてしまった」
ことに、今さらになって気づいた。


今回は、脳内引きこもり大好き内向的妄想気質オタクの、超個人的な自己分析話になります。
別人種の方には理解不能の内容になるかと思われますw



物心ついたころからお絵かきが好きで、オリジナル作品の妄想をしまくっていた。
私の人生はほとんどお絵かきと共にあった。
その割に画力は伴っていないが。

保育園時代のラクガキから始まり、学友と漫画の描き合い、やがてオタク趣味に目覚め、Webサイト運営、同人活動、ストーリー漫画から、時には漫画やゲームの2次創作、オリジナルの擬人化キャラなどオタク活動を色々楽しんできた。

同じ趣味の人たちとの交流も盛んで、それはもうとてつもなく楽しかったことを記憶している。
人とたくさん交流したからこそ、色んな人に迷惑をかけた黒歴史も同時に思い出される…。

子供の頃のような楽しみを、社会人になっても継続し、まったく大人になれない駄目人間だった。
いわゆる社会不適合寄りだったと思う。


というのも、頭の中の世界があまりにも楽しすぎて。
現実世界が本当につまらなかった。
職場の日常、周囲の人間、流行りのものなど…
23歳で一人暮らしを始めたのと同時に、テレビはまったく見なくなった。

頭の中の非日常があまりに楽しすぎたし、
非日常という意味では、ライブやバンドにも夢中になった。

日常に関心が沸かなかったし、もちろん仕事は楽しくなかった。集中できず、つい頭の中の妄想に逃げていた。
持ち前の自己評価の低さも合まって、仕事ができない人間だった。

平凡な社会人といえば、雇われてする仕事が生活のメインになるのだが
それが楽しくなかった。
好きなことを仕事にと思い、絵を描く仕事をしてみようと試みるも、趣味とプロの世界はまったく違うことを思い知らされ、自分の場合、絵を描くことは趣味にとどめておくべきという結論に至った。

社会人として、キャリアを積むという人生計画はまったくなかった。
つうかオタク活動に全力だったし、それに人生を捧げたかった。
結婚?恋愛?三次元が二次元に勝てるわけねーだろ!?…だった。


しかし当時は、 まっとうな社会人としてはダメダメな自分に罪悪感もあった。
妄想ばっかりしてて仕事に集中できず、ミスをしてしまったりした。
仕事に対して真剣ではなく、やり過ごすように作業をしていたところもある。
職場の同僚との付き合いもつまらなかった。
つまらない「現実」の話しかしないし、そもそも非オタの話はつまらない、と思っていた。

非現実世界への比重が大きくて、社会に適応できなかったのだ。



でも、仕事や現実世界の付き合いは生活の中でも大きなシェアを占めている。
そこがつまらない、能力が低い状態というのは、ストレスが大きかった。


大好きなことが、現実逃避をしているみたいで、罪悪感があった?
いつまでも子供のころのように、楽しいことだけをしていたい、でも現実で生きている以上は許されない。
社会に適応できる人間にならないといけない。
無意識にそう感じていたと思う。


ただ、それで動いたというよりは、別のアプローチからいつの間にか社会適応していったように思う。



イラストやオリジナルキャラ妄想の他に、私は精神分析やスピリチュアル、自己啓発的なジャンルも好きだった。
エニアグラム性格診断もめちゃくちゃお世話になった。

自分という人間を知れば知るほど、自分の未熟さを思い知らされ、もともと自己評価が低く完璧主義だったのもあり、自分が嫌いになり、生きづらかった。
「精神を成長させ、生きやすくなりたい!」が、人生の目標になっていた。

本やネットの記事を読み漁り、精神分析、自己分析を続け、日常の生活に揉まれながら、人間関係や仕事で失敗やしんどい経験を経て
気づけば、以前よりだいぶ現実社会に適応することができてきた。

現実社会に適応することは、無意識でずっと望んでいたことなので、嬉しかった。
今の職場では店長にもよく誉められているし、だいぶ成長したと思っている。

「現実はつまらない、非現実の方が優れている」
という認識が変わっていたのは大きかった。



けれど、以前よりもあれだけ楽しかった活動が衰えていた。
情熱がなくなり、大人しくなってしまったというか。

精神の老化、加齢なんだと思っていた。
切なさもあったし、情熱を取り戻したい気持ちもあったが、無理に絵を描いても楽しくない。

何年その状態が続いていただろう?
現実と非現実のバランスをうまくとり、両方楽しんだ時期もあったと思うけど、ここ最近は非現実活動の衰退が著しい。

加齢も一因ではある…?と思うけど、年齢関係なく趣味に情熱的な人はいる。
精神を老化させない生活を送っているのかもしれない。


しかし、今回ふと「もしかして」と気づいたのが
「現実社会でストレスなく生きるために、非日常にうつつを抜かしてはならない」
という、非日常禁止令を無意識に自分に出していたのでは?ということ。

いい加減まともな大人になれと。いい年してオタク活動は恥ずかしい。
そんなものに夢中になっていたら、小~中学生のころとまったくメンタルが変わらないことになる。それはいけないと。
心のどこかで制約をかけていた部分もありそうだなと。


これがそうだとしたら、気づいたことによって、そういった制約を解いていけるのでは?


現実をうまく生きることができるようになり、その上で非現実も楽しむ…。
非現実最高!現実は無価値!ではなく、現実の大切さを知った今、非現実の素晴らしさをすでに知っているのだから
両方を受け入れてバランスを取ることができるのでは!?

現実に適応できた今、平穏な幸せを手に入れたけど、確実にオタク力が弱っていて、人生に刺激がない。
なるべく私生活にメリハリをつけるため、出掛けたり日常イベントを作ってみたりしてきたが
そもそも私は脳内世界の非現実が大好き人間だったんだ……!!!
現実世界の刺激はたかが知れてるだろ!?

…いや、創作キャラクターの妄想が人生で一番の興奮イベントなのは気づいてた。
しかし、自然とそのモードになったらラッキーで、普段は現実を生きるリアル人間生活がメインになっていて、自分の精神はもうBBAになっちまったんだな~…と諦めていたけど
今回、気づいてなかった色んな仕組み?に気づいたことで、少し変わりそうな気がする……!!!

何歳になっても、10代のころと同じ趣味に情熱的になっていいんだよね。
それなりに大人として現実社会を生きてきた経験を経たことにより、それが許せそうな気がする。
以前は未熟でしかなかったけど、なんとか社会適応を果たした今なら!


…そんな気分です!


非現実脳内→子供
現実社会→大人
と表現してもあてはまるかもしれない。

ちゃんと「大人」を果たし、「子供」の自分を楽しむ。
バランスを取れれば、両方の自分がいていいんだね。

心が満たされて大好きなことをする自分を、社会不適合者の大人になれない子供…だと許していなかった気がする…。だから最近はオタク活動が後ろめたくて楽しくなかった?のかも。


恥ずかしながら、まもなく37歳になろうとしてる人間の話です…。
私はなんとか大人としてやりつつ、子供の自分を否定せず楽しむ、そんな人間になりたい!


今回の気付きが、今後よい方向にいけばいいな。
あとは流れにお任せします。

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