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自動

 渋谷の啓文堂は井の頭線の西口をでるとすぐそこにある。

 一時期はよく立ち寄っていたが、それっきりだった。渋谷という街がどうも苦手だからというのもある。なぜ苦手なのかを考えてみるといくつか思いつくことがあったが、その一つに「いい本屋がない」というのがある。
 
 この「いい」とは完全に「好み」と言い換えて差し支えないが、あれだけ本屋があっていい感じの本屋がないというのは、やはり渋谷という街の街柄(?)なのかもしれない。「やっぱりハロウィンよりもクリスマス」と書かれたドでかい看板が妙に似合う。

 啓文堂に立ち寄っていたのは、駅に一番近いからだ。帰宅の際マークシティの脇の地上階から啓文堂に入り、地下の一般書や雑誌を見ながら駅方面へ歩いて電車に乗るという自分の中でのお決まりのコースができている。

 今日も本を見終わり階段をのぼり、踊り場まで行く数段前からパンフレットラックに置いてあるチラシの中で、奥村土牛の「醍醐」が目に入った。そうか、また山種で展示があるのかとおもって少し足を止めて眺めてしまった。

 踊り場の薄暗い雰囲気とくすぶった空模様が妙に醍醐と調和しているようにおもわれて不思議に引き込まれていた。その時、誰も立っていない自動ドアがあいた。自分に反応したことは明らかで、おそらく踊り場まできたところでセンサーが反応するようになっていたのだろう。

 もっと見ていたかったのに、無意識に自分の体は自動ドアへと歩き出し、外へ出てしまっていた。全くどっちが自動なんだかわかりゃしない。機械に使われた気がして――いや、知らず知らずのうちに何かの、誰かの、言いなりになっている自分がいたのだ。

 開いたら出るのではない。出るから開くのだ。議論の後先が逆になったような、自分はずっとずっと自分自身を見失ったまま生きてきたのかましれない。こまごましたことに自分というものが出ていることに嫌になりつつも、今度はあの踊り場で立ち止まってじっくりとチラシを見るのだと決めた。

 とは言ったものの、渋谷には当分近づかないだろう。いい本屋もないし。 

チョコ棒を買うのに使わせてもらいます('ω')