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水底フェスタ/辻村深月〜読書感想文〜

最初に明言しておくと、
水底フェスタは間違いなく恋の物語である。

どうしようもなく魅力的な女性に出会ったら、人はどうなるだろうか。

容姿が飛び抜けていいとか、スタイルが抜群だとか、そんな話じゃなくて

どれだけ後悔してもいいから、
ひどいことになっても、
誰かに押さえ込まれて
捕まっても構わないから、
今この瞬間彼女に触れたい。

そんな感情に心を支配されるような、謎めいた魅力のある女性に出会ってしまったら。

睦ッ代村に住む少年・湧谷広海は、
そんな魅力を放つ女性・織場由貴美に恋をした。

作品内において、由貴美の容姿に関しては『美しかった』と明言はされているものの、あまり言及されていない。

突然に『あなた以外はいらない』と広海に語りかけたり、
『村に復讐をしたい』と協力を持ちかけたりと、どちらかというと怪しさを感じる場面の方が多く描かれている。

だが、なぜか彼女の美しさは容易に想像できる。
彼女の言うことなら、と信じたくなる不思議な引力を持っている。
彼女のセリフを聞いて、もし由貴美にそう言われたら私ならこうするだろうな、という行動を広海が代わりにとってくれているような感覚さえあった。

彼に「気が合うね」と声をかけたくもなるが、おそらく私に限らずだれもが同じ感情を持つのだろう。

閉鎖的な地方都市
複雑な近所付き合い
小さな見栄の張り合い

どんな田舎にも当たり前にある、くだらないはずなのに一蹴はできないそんな環境。
それらを背景にしてもなお、悠然と背筋を伸ばして立つ1人の女性を想像すると、もうそれだけでとても魅力的にその姿が映えるのだ。
だから容姿を言い表さなくてもわかる。
きっと、彼女はとても美しい。

そしておそらく、広海は恋愛があまり得意ではないのだろう。

初めて由貴美を呼び捨てにしたとき
「呼び捨てにして、かわいい」といじられて顔を真っ赤にしてみたり。
友人から性的な話をされ、さも自分もある程度の経験や知識があるかのように振る舞ってみたり。

つまり広海は、由貴美に出会い、恋をした瞬間から物語の最後まで、常に初めての感情に突き動かされているのではないかと思うのだ。

だからこそ彼の行動は、抜け目がないようでどこかヘタクソだ。

由貴美を守りたい。
でも家族や村を信じたい。
自分はなにをするのが正解だ?
と、疲れ切るほどに悩み続けている。

広海はいつでも必死だ。
それでより広海に感情移入してしまい、彼の痛みが伝わってくる。

由貴美の話す、村の真実の姿。
彼女が広海にこだわる理由。
広海が知ってしまった、"知りたくなかった"話。

信じていたかった仮初の平和は、あまりにも脆く崩れさり
そこにおける由貴美と広海の奔走は、あまりにも儚く砕けていく。


「逃げよう」

由貴美にそう言った広海には、このあとの算段なんか、きっと本当になにもない。
彼女をここから連れ出して、呪縛から解放したいと、ただその気持ちだけ。

計画性もなければ見通しもたっていない彼のその行動を、しかし一体だれが馬鹿にできるだろう。

そこにいるのは、年上の女性にからかわれて顔を真っ赤にしていた"少年"じゃない。
愛する女性を守るために全力を尽くす、だれもがやりたくてもできないことをやってのけている立派な"男性"そのものだ。

脆く、儚く、胸がつぶれるほど切ないのに、どうしようもなく甘ったるくて。
そんな感情を読後に味わったとき、思うのだ。
これは、もうどうしようもないほどに、間違いなく恋の物語だったのだと。

2人の恋物語を、私はきっと、これからもずっと覚えている。

辻村深月さんと、彼女が生み出した2人の若者に感謝を込めて。

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