「心」を「亡」くすと書いて、「忙しい」と読む と、はぐれた友人が言ってたことをふと思い出しました。 忙しすぎると、すっかり心を亡くてしまう。 ゆっくり休んで、自分の心を取り戻す。そういう期間が大事だと思っています。 年末年始は「終わり」と「始まり」。同義語。 2023年を振り返って。。。 圧迫される不快感に包まれて、不快感が増すほどに皮肉にも成長していく。 分身との自問自答の繰り返し。 いまの時代は境界線が無いからこそ、自分自身で法則性を見つけて、生き延びるし
進めば進むほど、漠然の正体が分かったりする。 冬はそういう季節なのかもしれません。
この曲が、時空を越えて『今』にリリースされることに、因縁を感じてしまいます。
10月24日。赤口(しゃっこう)の正午頃。 あの日の望みの続きの時を刻みます。
夕方急に思いついて、終電で東京まで来てしまいました。 サウナ北欧に泊まってみました。 もはやボンヤリとモヤがかかって思い出せないことも少なくないけど、漠然と身体に染み付いてるものがふと繋がる瞬間があります。 ここに来て、急激に何かが弾け飛んでいる。 それが今の感想です。
今年は、いつでも去年の1日遅れでやってきます。 曜日のフラッシュバック、日にちのフラッシュバック。1日おきにやってくるフラッシュバックを毎日春から秋まで苦しみも気づきも味わいながら過ごしました。 そんな毎日も明日以降は想像もつきません。
武士道と云うは死ぬ事と見付けたり•••肥前鍋島藩に伝わる「葉隠」にある一文です。 色々な解釈がありますが、一か八かの究極の二つの選択を迫られた時は、死ぬ覚悟で前進したほうが結果的に生に繋がるということかと思います。 400年も昔の書らしいけど、九州の武士らしい考え方です。
皮肉にも目の前があるので、なんとか立ち続けることが出来ています。 逃げずにいたから、立っていることが出来ている。正確には長く冷たい道の上で、逃げたくても逃げられない。 振り返ると、現象に対して波が高すぎたのかもしれない。単に実力不足です。 死ぬほどもがいた1年を経て、少しだけでもボトムが太くなったと自負してます。
9月15日。日本中を二分した関ヶ原の戦いがあった日です。 関ヶ原には、全てが詰まってます。
長い、8月も終わりを迎えようとしています。 来たる9月をどう乗り越えるか。 溢れかえってしまった1周前を、塗り替えるつもりです。
季節をなぞればなぞるほど、どうしても古傷が痛みます。 幸い今は再度目の前に困難がある。失うものが無いからただ前進。 1年前の今頃がピークでは無く、それ以上があるように進みます。
季節のフラッシュバックは、言葉では表しづらいものがあります。 今でも答えはわからないけど、その時の選択は全力。 ただ、器が足りずに溢れただけ。 自分の未熟さを受け入れるのは苦しいけど、苦しさは成長痛。 身を削って磨き続ける。残りの人生をかけた課題です。
2022年8月20日。 この日を原点に、犀の角のようにただ独り歩め。
2023.08.20
連戦連勝で負け知らずが続くと、どこかで怖いもの知らずになってしまい、やがて限界を迎えてしまいます。 限界を知ることで初めて、思い知ることが出来て完結するような気がします。