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りゅうちぇるとカナダ俳優エリオット・ペイジ(元エレン・ペイジ)への世間の反応の違い――日本は理解が遅れてる?

※アルファポリスからの転載です

最近、どうしてもりゅうちぇる関連のことをいろいろ考えてしまいます。
彼のことがすごく好きだったとか、追いかけていたとかそういうことではないんですが、学生時代にセクシャルマイノリティに関する勉強を少ししていたというのもあり、興味がある分野だからです。
それと、学んでいたから「世間ではこう言われてるけど、実際こうだったんだろうなぁ……」と理解できる部分も少なくないんです。
だから、とても同情的な目で見てしまいます。
それで、昨年の12月あたりに、一度りゅうちぇる関連のことを少しTwitterに書いたんです。
その中に、こんなのがありました。

『りゅうちぇる批判は、LGBT差別とは全く思わないけど、不理解とは思う…』

これなんですよね。
差別意識を持っている人は、おそらくそんなにいないと思うんです。
特に、元々好きだったけど、カミングアウトと離婚後にアンチ化した人たちは。
そういう人たちは、差別意識からではなく、セクシャルマイノリティに対する理解の浅さから彼らの実情を想像出来ずに「りゅうちぇるクズだわペコちゃんかわいそう」になってしまっているように私には感じられるんです。
では、目次どうぞ。


理解されにくい性自認の揺らぎ

では理解されにくいセクシャルマイノリティの実情は、どんなものなのか。

最も大きいのは、彼らの性自認が揺らぎやすいものだということでしょう。
多くの人は、りゅうちぇるに関して「男が好きなら初めからそう言えばいいのに、騙して結婚したのは汚い」と考えているようです。
けれど、よく考えてみてください。
私たちは物心ついた時から誰かに対して恋愛感情を抱いているわけでも、自分の内面的な性に関して強い自覚を抱いているわけでもありませんよね。
周囲の様子や反応、そして自分の感じ方から少しずつ自覚が芽生えていきます。
それはセクシャルマイノリティの方々も同じです。
ただ、彼らの場合、周囲の様子と自分の感じ方の間に大きなギャップがあり、そこで大きな迷いが生まれ、性自認、アイデンティティが固まりきりません。
特に、自分はこういう人間だと多くの人が自覚を始めるのは思春期と言われていますが、セクシャルマイノリティの方々は、その時期に違和感を抱いて自分の性について分からなくなってしまうケースが多いのです。
だからこそでしょう、性自認が固まりきらないまま大人になり、結婚をし、その後に「やっぱり何かおかしい」となって、やっとセクシャルマイノリティなのだという自覚に至るということも、少なくないようです。

りゅうちぇるの場合、ぺこさんと出会う前から男性が好きという自覚があったと語っていたようです。
けれど、それは10代の頃の話で、まさに前述した思春期真っ盛りです。
手探りで自分の性的なアイデンティティを模索している段階です。
そういう中にあれば、一度得た自覚に「本当にそうだろうか」という迷いが出ても何ら不思議ではありません。
と言うか、一度で全てをクリアに自覚できるケースの方が少ないでしょう。
こうなのか? いや違う、やっぱりこうかもしれない。
そんな自問を繰り返しながら、徐々に自身への理解へつながっていくのです。
りゅうちぇるに関しては、男性が恋愛対象であったことはほぼ確定していたのだろうと想像されますが、「男性だけ」なのか、それとも「男性も女性も」なのかは分からなかったのではないでしょうか。
セクシャルマイノリティでなくとも、異性に対する気持ちが、友情なのか恋愛感情なのかで迷うことは、有り得ることです。
りゅうちぇるは、少し前にもぺこさんのことを「尊敬している」と言っていました。
そういう、人として好きなのかそれとも恋愛対象として好きなのかは、性自認に迷うセクシャルマイノリティであれば余計に分からなくなるというのは、彼らの実情を齧った程度でも学んだ者からすれば想像にかたくありません。

トランスジェンダーを公表し、女優から男優へ変わって称賛されるエリオット・ペイジ(元エレン・ペイジ)

そんなことを考えていると、ある人のことを思い出しました。
エリオット・ペイジというカナダ出身の俳優です。
彼は元々はエレン・ペイジという名前で活動している女優でしたが、トランスジェンダーであることを公表し、エリオット・ペイジに改名して活動をしています。
女優時代には『JUNO/ジュノ』という映画で、妊娠した女子高生を演じアカデミー主演女優賞にノミネートもされました。
日本でも話題になったので、ご存知の方も少なくないと思います。
その他、『ローラーガールズ・ダイヤリーズ』や『X-Men』シリーズ、『インセプション』などにも出演しています。
実は、その彼の歩んできた軌跡は、りゅうちぇるに重なるところもあるのです。

エレン・ペイジが初めに公表した自身のセクシャリティは「レズビアン女性」でした。
そして、女性と結婚しています。
けれど、その後に「トランス男性」であることと「エリオット・ペイジ」に改名することを公表し、離婚も発表しました。
当時、パートナー関係を解消することとなった女性ダンサーは、それでもエリオットのことを「とても誇りに思う」とコメントしています。
それから、一気に男性化が進み、乳房を切除した上半身を晒したセルフィーを公開したりもしています。
インタビューでは「9歳の頃から男の子だと感じていた、男の子になりたかった。いつか男の子になれるかと母親に尋ねていた」と語っています。

ざっと書いただけでも、りゅうちぇるを彷彿とさせるところが多かったのではないでしょうか?
まず、性的属性こそ違いますが、結婚後に周知されていた属性と別の属性を発表し、そのために離婚に至ったのが同じですね。
エリオットの場合、主張する性的属性がレズビアン女性からトランス男性に変わったことで相手の恋愛対象から外れてしまっています。
けれど、そのことで「結婚相手を騙していたのか!」などと言って彼を責める声は、ほとんど聞こえてきませんでした。
むしろ、元パートナー自身をはじめ、著名人(なんとカナダ首相までも)が彼を称えるコメントを発表しています。

また、離婚後に急速に自認する性別へ近づいていった点も共通していますね。
乳房切除については「命が救われるような体験」だったと語っています。
暑いと薄着になり体のラインが隠せないため、乳房切除前の夏はうつ状態で苦しかったけれど、今は太陽を浴びるのが気持ちいい、と。
そして、そういう幸せな経験、自分の体と心が一致する喜びからでしょう、セルフィーもたくさん撮って公開していますが、だからと言ってりゅうちぇるに対して日本で投げつけられたような「自分だけかわいくなって楽しんでないで、ペコちゃんのこと考えろクズ」なんて言葉はありません。
多くの人が絶賛し、祝福しています。
稀に、彼のセクシャリティに関して批判的な発信をする人もいるようですが、そういう場合はその人に対して「それは違いますよ」と多くの指摘が入り、やや炎上する様子です。

子どもの頃からトランス男性であると自覚していた、という発言に対しても、「分かっていたならレズビアン女性として、同じくレズビアンの女性と結婚するな」との批判的な声は私の知る限りありません。

話が少し逸れますが、あのジョディ・フォスターもセクシャルマイノリティだと公表しています。
トランスジェンダーではなく、レズビアンですが。
彼女は公表前にはラッセル・クロウと交際していた時期もあったのですが、レズビアンを公表したからと言って「じゃあ、あの時はラッセルを騙していたのか!!」なんてことは、これも私の知る範囲にはなりますが言われていませんでした。

セクシャルマイノリティへの理解が進んだカナダやアメリカ、遅れている日本……

さて、話を戻します。
どうして本人たちの行動には近いところがあるのに、ここまで世間の反応が違うのか。
それは、カナダやアメリカは日本よりも遥かにセクシャルマイノリティに対する理解が進んでおり、世間にも当たり前のこととして広まっているからでしょう。
前述のセクシャルマイノリティの性自認が揺らぎやすいものであることも、みんなが分かっているのです。
発表されたセクシャリティとは相容れない選択を過去にしていたとしても、自分を手探りで探す、その過程でのことだったということを、大衆が理解できるのです。
そして、その苦しみに思いを馳せ寄り添う感性も育まれているのでしょう。
だからこそ、エリオット・ペイジのこともジョディ・フォスターのことも集団でバッシングしたりせず、社会として理解を示してくれるのです。

現在、エリオット・ペイジには新しい恋人もいる模様です。
お相手もセクシャルマイノリティであることを公表しているカナダ出身のコメディアン兼俳優です。
さらに、エリオットはトランスジェンダー俳優として初めて有名誌で表紙を飾ったり、ドラマに出演したり、一時は『ザ・フラッシュ』の主演候補にも名前をあげられるなど(主演として決まっていたエズラ・ミラーが問題行動により降板になると噂された時のことで、実際は降板にはならなかったが、問題行動は泉のように湧いて出てきた……)活躍し多くの人から愛されています。
もし、りゅうちぇるがカナダやアメリカに生まれていたなら、こんな風にバッシングされたり中傷されたりすることもなく、たくさんの称賛を浴びて元気に活動できたのかなと思ってしまいます。

ちなみに、前述のエリオット・ペイジの新恋人と噂される人物は、こんなふうに発言しています。

「自分の性自認についての感じ方は現在進行形で進化しています」

「時々、性別違和を経験しますが、いつもではありません。小さい頃からそうでした」

これらの発言からも、セクシャルマイノリティの方々の性自認が曖昧になりがちで、揺らぎやすいものだということが分かりますよね。
そして違和感の度合いも人それぞれ違っているのでしょう。

セクシャルマイノリティに対する理解が、もっともっと広まるように、深まるように、と思わずにはいられません。
思えば、海外でセクシャルマイノリティの理解が深まったのは、多くの著名人がセクシャルマイノリティであることを公表し、色んなところでセクシャルマイノリティの実情を発信してくれていたから、というのもあるのでしょう。
おそらくは、そういう存在になろうとしていた、マイノリティの生きやすい、理解ある世の中のために前へ出ていたりゅうちぇるが、社会の理解の浅さ故に命を落としたかもしれないというのは、とても残念ですね。

自殺の理由が明かされていないと、可能性のあることに対してその問題を考えることも許されないのか???

こんなことを言うと、また「自殺の理由が明らかになっていないうちに中傷と決めつけて批判するのはおかしい」と言われるかもしれません。
けれど、前にも書きましたが、りゅうちぇるが中傷に酷く悩んでいたことは間違いありません。
YouTube動画でも語っていたし、噂によると生前最後のインスタライブでも話していたようですから。
それを考慮すれば、可能性としては決して低くありませんよね。
そして、可能性があるなら、同じような悲劇を繰り返さない為にも、今一度誹謗中傷について考えることは必要ではないでしょうか?
理由が明かされなければ、悲劇から学ぶことさえ許されない、というのは、正直首を傾げます。
実際の理由がどうあれ、こういったことが繰り返されないように自分の行いについて省みて問題がなかったか考え、正すべきところは正す。
それをしなければ、世の中良くなっていかないのではないでしょうか?
りゅうちぇるへ辛辣な言葉をかけて批判した人に対して、過度なバッシングをすることは避けるべきかもしれません。
けれど、ひとつの可能性として問題について考えることまでも「ダメだ」というような主張には、どうしても賛同できません。

ともあれ、繰り返しですが、もっと日本社会でもセクシャルマイノリティに対する理解が進んでいくといいなと思います。

「中傷と批判は違う」という主張について

さて、以下は最初に公開したアルファポリスでは別記事として公開していたものですが、今回、その記事から抜粋して一緒に載せます。
ので、少し話が変わってしまいますが、ご了承ください。

さて、りゅうちぇるを中傷――いえ、「批判」している人たちの意見をちょこちょこTwitterでお見かけします。
そして、そういう人たちの言葉には、共通したものがいくつかあります。

その1つが、「中傷と批判は違う」というもの。
要するに、「私たちがしている(していた)のは批判であって中傷ではないから、咎められるものではない」という主張ですね。
確かに一理あって、明らかな間違いや咎められるべき言動を指摘して、それを「中傷」と言われてしまうと、「それは違う」と思った時に何も言えなくなってしまうんですよね。

ただ、彼らがりゅうちぇるへ向けていた言葉を見ると、どうしてもそれは屁理屈っぽく思えてしまいます。
中傷している(中傷していた)にもかかわらず「これは中傷ではなく批判だ!」と主張しているように見えるからです。

では、どこが「中傷」に感じられるか。

何よりも、事実に基づかない「批判」を行っている、という点です。
彼らがりゅうちぇるに対して述べていた事として最も多かったのは「育児放棄している」ということでした。
けれど、りゅうちぇる本人、そして離婚後もパートナー関係を継続していたぺこさんも「(りゅうちぇるは)育児放棄などしておらず、育児に参加している」という主旨の発言をしています。
これは、私自身がりゅうちぇるとぺこさんがぺこさんのチャンネル内で並んで登場したYouTube動画にて拝見しているので間違いないです。
また、ぺこさんは息子くんと飼い犬のアリソンはりゅうちぇるのことが大好きだとも、何度も述べています。
その他、ネット記事にはりゅうちぇるの友人やぺこさんのお母さんが「りゅうちぇるも育児に参加している」旨を語っていたとの記載もありました。
にもかかわらず、SNSやヤフコメでは、さも間違いのない事実かのように、りゅうちぇるが育児放棄してぺこさんと息子を捨てた最低のクズであるということが書かれ続けていました。
いえ、「書かれ続けています」。
「事実はこうです」と当事者たちが発信してくれていることを全て無視して(語る人物によってブレることもない主張でした)、自分たちが勝手に作り上げたストーリーに基づいて批判するのは、中傷行為に当たらないのでしょうか?
事実に基づかない言いがかりで「最低」「クズ」「父親失格」という言葉を集団で投げかけるのは、間違いのない中傷行為のように感じられます。

(中略)

最初の「批判と中傷は違う」という主張に戻ります。
前述のように、頷ける部分もある主張です。
そして、今まで述べてきたように、りゅうちぇるへの中傷には当てはまらないとは思いますが、りゅうちぇるを中傷する人たちへの批判には当てはまると思います。
りゅうちぇるへの「批判」は事実に基づかない、発言者好みのストーリーに基づいた主張が多く見られていましたが、一方で、そういう中傷をしていた人が多くいたというのは事実だからです。
「批判と中傷は違う」
だからこそ、りゅうちぇるへの中傷を続けていた人たちは、過度なものはもちろんダメですが、ある程度の批判は受けても仕方がないのかなと思うのでした。

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