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主観で泳ぐ


血を感じる。今年のはじめに介護施設にうつった祖母に会いに行った。ここを訪れるのは2度目で、目の前にいるのにぜったいに触れることのできない祖母の姿を見てから、「ああ、このままどちらかが死んでしまう」と意識するようになった。手紙を2通おくって、それだけじゃ足りない気がして敬老の日もあったのだから、と会いに行った。

気のせいかもしれないけれど、この数か月で少しぼけてしまったのかと感じる。歳をとればとるほど時の流れを遅く感じるというが、ここでの退屈な日々はどんな風だろう。こんな秋晴れの風の中に身を置けない祖母の姿を想う。外のようすなんて知らないで、窓すら開けていないのではないか、自分とは無縁の世界だと思ってあきらめて。

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面会時間が大幅にすぎた頃、切り上げるように施設スタッフの方から写真を渡された。イベントを楽しんでいる祖母が写っている。いやって程聞いているけれど、たった今もここでの日々がつらいつらいと涙ぐみながら話していたのに。だからただ安堵した。その私の表情をとらえたのか、慌てて弁明する祖母のふるまいはいかにも老人で、かつて私が距離を置いていた彼女の人間性そのものだった。

いくら90歳にしてははきはき喋ることができたって、LINEを使いこなしていたって、物事の認識がゆがんでいくのは間違いなく老いだ。けれど私が生きているのは不確かな世界、じゅうぶんきれいに整えられた白髪に「パーマをあてたいの」懇願する祖母の手を握れない世界。老いによる認識のズレは寧ろ私に必要な目線なのかもしれない。老いていたり、幼かったりするほうが、無邪気でしあわせだ。自分が世界の中心だから。自分が世界だから。


私や私の親、つまり30歳~60歳の年齢の人々は特に自分の正義を物差しに戦っているのだと感じざるを得ない瞬間がさいきん増えている。護るべき者のために、自分にとっての"確かな世界”を創らなければならないのだ。無邪気、になんて到底むりで、頑固に、誰かの"確かな世界”を否定しなきゃいけない時すらある。

ああ!呑気、のんき!能天気、のうてんき!に生きることができたなら!!

仕事を辞めた時、何をしたかと言うとまず辞書を買った。ちょうどPaypayで本が安く変えたのでほかにもいろいろ買い漁った時期だった。岩波と角川必携の二冊。

【呑気/暢気】とは、角川必携では「細かいことに気がつかず、のんびりしていること。また、気の長いこと。」岩波では「物事をあまり気にせず心配性でないさま。気楽なさま。」【能天気】とは、岩波で「のんきで何事も深く考えないこと。」

ちなみに角川必携に【能天気】は載っていない。


もちろん祖母にも能天気には生きられない時代があったはずだ、それは絶対。知らないけれど。知らないで彼女を否定するのはよくないと今更思って、「もっとおばあちゃんのこと教えて」と手紙に書いたけれど、暇で暇で仕方がないという言葉とは裏腹にいまだに返信はないから何も知らないままだ。私は祖母とできれば解りあいたかった。祖母と孫という関係でも理解し合いたかった。なにか共通の話題で、笑いあいたかった、慰めあいたかった。たくさん傷ついたほうが、人にやさしくできるでしょう。昨年末に観た映画『偶然と想像』第三話で、傷ついている人を、これ以上傷つけないように、あの人は黙る。そうだ、やさしい人は黙ることを知っている。自分にたしかな傷があって、心にぽっかり空いた穴がある人は、傷ついた理由は違えどそのぽっかり空いた穴を通じて、誰かとつながることができる。だけじゃなくて、その穴を創造できたりもする。不確かな世界によって傷ついた心の穴があれば、不確かな世界だから魔法が起きる。私はそれを自分の正義にしたいだけなのだ。そしてなるべく外にいて、風の中に立っていたい。私は呼吸がうまくないから。窓を開けたり外で歩いたり自転車に乗ったりして、なるべく閉塞感のある中に居ないようにしたい。

私の祖母に会う前、夫の祖母の墓参りをした。風がつよくて線香についていたマッチも家からもってきたマッチも、すぐ使い物にならなくなる。どうしてもつけなきゃいけない!と、いつものようにむきになって霊園を走りまわって、車から降りたばかりの夫婦を見つけてガスバーナーを借りた。ガスバーナーですら苦戦した。夫婦はやさしかった。

線香にフーフーと息を吹きかけながら歩いて祖母の墓まで戻った。火を絶やすまいと必死で、着いたころには線香の煙をかなりすいこんでしまい咽た。身体中が、線香くさい。あの世は西にあるという。太陽が真西に沈む彼岸に、呼吸をするたび、いくつもの魂が私の身体の中を通り抜けていった気がした。やっぱり私は人と解りあいたい。理解したいし、理解してほしい。でも深く考えちゃいけない。黙ることも知ってなきゃいけない。それで、無邪気に能天気に生きて、社会性をうしなって、人にきらわれても、死んだときに「幽霊でもいいから会いたいな~」って、だれか1人でも私をさみしがってくれたらそれでいいのかもしれない。昨日映画『川っぺりムコリッタ』を観て、改めてそう思った。

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