優生思想を考えるとき

はじめて優生思想という定義を知ったのは、いつだったか。

中学か高校の時分に、ホロコーストの歴史を知ったときだったか。

同じころ、私は「人は効率的に生きるべきか」という主題を抱えていた。それは、「社会にとって、効率的な生き方が正しい生き方だろうか」というものだった。

生まれてから、失われた20年を生きてきた中で、高度経済成長こそが日本のあるべき姿で、現在の不景気を脱するためには、再度、経済成長を迎える必要があるという、社会のメッセージの中で、自分はどう生きるべきか、考えている中でぶつかったテーマだった。

個人的な立場から考えると、私は、専業主婦になることに生理的嫌悪があった。おとなしく「主婦」という生き方に収まれる自信がなかった。ただ、やりたいことをやるにしても、「主婦」を軸に、「主婦」の枠を出ない範囲で、家庭を最優先にできる範囲で、というメッセージが母親からをメインに周囲にあふれていた。

それに反してもよいという根拠が自分の中に欲しいがゆえに、ぶつかったテーマだった。なぜなら、専業主婦というのは、猛烈リーマンという「一家の大黒柱」を担う男性の生き方と対になる生き方で、男性がひとりで世帯の家計を支えるという大変効率的なシステムで、それを覆す理由がないと、それに反してはいけないように思っていたからだ。

誰が考え出したか知らないが、女性を「お嫁さん候補」として採用し、24~25歳で結婚できないと「売れ残り」であると追い立てて、手の届く範囲で社員と結婚させ、結婚したら次は、家だと35年ローンを組ませ、仕事を辞めるわけにいかなくなったところで、地方へと異動させ、子供がいれば単身赴任、いなくても地縁血縁のない地域で生活費のあてもなく自立できるわけもない女性に無償で生活のケアを担わせ、男性をしゃかりきに働かせるというのは、企業にとっても、税を徴収する国にとっても、非のつけようがない効率的なシステムだと思う。ただ、人権軽視であるという点を除いては。

そもそも、全体の利益の最大化を社会の存続目的とした場合、効率的であることは正義だ。だから、「経済成長率の向上」を政府に求める場合、その解のひとつとして、上記のような専業主婦とサラリーマン、子供2人のいわゆる「標準世帯」は説得力を持って出現する。

でも、私はそこに逆らいたい。

そうはいっても、自分の所属する「社会」に反旗を翻したいわけではない。

その葛藤ゆえに、切実さをもって私は、「社会は効率的であるべきか」という主題に、脳の一部分をそれなりの時間、提供していた。

そこでたどり着いた私なりの結論は、「社会というのは、そもそも個々人にとって、参加する価値のあるものだったからこそ、人々はつながったのであろう。ならば、本質的に追い求めるべきは、集団の益よりも、構成する個人ひとりひとりにとっての有益さである。そして、それぞれ個々人が、勝手に参加を判断する程度に、それぞれの幸福感にこたえられる多様性を社会は内包しているはずだ」というものだった。

ここでいう「社会」というのは、アリストテレスが提唱した「人間は社会的動物である」の中で示された「社会」を想定している。

動物の中には、群れるものと群れないものがある。人類がおおむね群れるという選択をしたのは、そこに合理的理由があったからであって、それは集団の益ではなく、個人の益が先んじていただろうと考えられる。なぜなら、集団の益というのは、群れるという実験をした後に結果的に判断するしかないものだからだ。最初から集団の益が、個人の判断の理由になることは、考えにくい。

ここまでを導きだしたところで、私個人の幸福へと回帰する。

私は、社会的存在でありたい、という欲求が自分の中にある。

だから、社会に反する存在として、専業主婦を否定することは、おさまりが悪かった。

私自身、社会に属する存在として、学校に通えたことも、医療の恩恵を受けたこともあり、それはいずれも、社会の在り方として今後も存続を願うものである。そして、かなうならば、その存続に自分自身も参加したいと思っている。

最も効率的な在り方でなくともよいのならば、私はいち納税者として、社会の一員になることは可能だった。この迷いをしていたときは、すでに就職が決まっていたから、いち納税者となれることには根拠があった。

ゆえに、私は、専業主婦にならずとも、いち納税者として、社会の一員としての自分自身を認めることができたのである。

一方、この考え方では、優生思想は、まだ否定しきれない。社会が効率的あることが唯一の解でなくとも、社会に役立つことがその構成員として必要条件であるという理論が残ってしまうからだ。

優生思想についての思考結果は、次のNOTEに記すことにする。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?