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・・・だいじょうぶ

5カ月前、推しというものができた。
おそらくここまで熱心に生きている人を追いかけているのは、人生初。
小学5年のとき、初めて調べ学習で取り上げた天智天皇。
大学の卒論で取り上げたフランスのジャーナリスト、エミール・ゾラ。
大学院の修士論文で取り上げた信濃毎日新聞記者の桐生悠々。
それと同じくらい、はまっている。
手当たり次第、手の届く情報すべてにアクセスしている。
元がオタク気質な自覚はある。

その推しが、ブログに書いていた言葉が、刺さった。
大丈夫?ってきくことの、暴力性に気づいている、とても気配りにあふれたやさしいやさしい言葉の綴り方で、深く沁みた。

相方が先月、国家試験の受験を終えた。
自己採点では、おそらく合格点をギリギリ超えたらしい。
半年前くらいから、試験勉強が本格化する中で、何度も口に出そうになったけど、飲み込んだ言葉が「大丈夫?」だった。

大丈夫?って聞いて、得たいのは、自分の安心だから。
幼い頃から、試験前日でも爆睡できるタイプで、なんとかなる、と信じられるタイプの人間だった。
高校時代に、試験勉強で胃を痛めるタイプだった母から見ると、不安で仕方ないらしく、「大丈夫なの?」と数えられないくらい聞かれた。
でも、それは母が抱えている不安で、今更ながら、他人の私にはどうすることもできないし、する責任もない。
当時は、母が大丈夫だと思えるくらいやらないと不十分なんだと思って、勉強してるふり?というか、勉強してるように見えるように勉強するようにしていた。
それを大学時代の彼氏からは「頑張っているように見せるのがうまくてずるい」と言われたw

いまだに、その癖が抜けず、仕事をするときや集団行動をするとき、周囲の人を不安にさせないよう、パフォーマンスしてしまう傾向がある。
でも、それって無駄なエネルギーだよなぁ、と思う。
一方で、染みついた癖はなかなか抜けず、人が見ている場所じゃないと、張り切れない自分がいるw
人が見ていないところでやる努力とか苦手。エンジンがかからない。
わざとらしく見せつけているつもりは全くないけれど、仕事場では、「よくがんばってるね~」とよく声をかけられる。
押しつけがましい感じになっていないといいのだけれど。

推しの話に戻すと、大丈夫?と安易にきかないけれど、
大丈夫になることを祈ること、応援することはできるし、したい、という考え方が、私のひねくれた思考の先を照らしてくれた気がして。
そんな思いを考えて、言語化できるあなただから、あの演技にあれだけの思いを込められたんだなぁと感嘆した、という話。

推しの詳細は、書く気分になったときにまた。

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