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一山越えた

一年前、いつの間にか座らされていた席を、卒業した。

いやー、よく乗り切った。一山も二山もあったけれど、去年の今頃より、自分のことを信じられるようになった。

私の直上に付けられた人は、暴君で有名で。

最初は全く仕事を任せてくれない。そりゃあ、Aさんがやった方が早いし的確だけど、それでは私は全く成長できない。

何もしない方がいい、ってことですか

って聞いたら、「そう」って言われたこともあった。

さすがにこの関係性で1年はやりきれん、と思って、今までの人生でやったことないけど、不機嫌さ丸出しにしてやった。半径2㍍の空気がビリビリするくらい。

さすがに空気悪いのを感じ取って、Aさんに謝らせたった。

口に出して言ったか覚えてないけど、私に仕事を任せられないのは、私の力不足ではなく、Aさんの力不足ですよね、って態度で出した。

今後の関係性を左右する大事な場面と思って、踏みとどまったけど、帰り道にふらふらになるくらい疲れ果てた。人に腹を立てるのは疲れる。

そこから、Aさんに私に仕事を任せる余裕がないときは、「ごめん、ちょっとひとりでやるわ」と声がかけられるようになった。起きてることは同じだけど、尊厳ある人間として扱われるかどうか、全然違う。私は「はーい。できることがあったらお声がけくださ~い」と言うのが通例になった。

しばらくして、今度は、仕事の一部分を任せてもらえたかと思うと、締め切り1時間前に、「じゃあ後はこっちでやるわ」と、ゼロからやり直されることが続いた。正直、ダメージが半端ない。

何度か家で泣いた後、同じように組み替えされようとしたとき、「正直、なにも言わずに違う形にされるの、傷つきます」と伝えた。そうすると、以後、手を加えられる時は、「ごめん、ちょっと触らせてもらうね。あとで、理由は解説するので」という声がかけられるようになった。

そういう風に、ひとつひとつ嫌なことを言葉にして、伝えて、関係を築いた。我ながら、辛抱強くよく頑張ったと思う。

多忙期に、関わる人が増えると、私が不満に思っていたことは、私だけが感じることではないことがわかって、ぐっと気持ちが楽になった。

終盤は、Aさんも私が嫌がるポイントを理解して、通常の仕事内容では、ストレスを感じることはほぼなくなった。Aさんの導火線が短いのは相変わらずだったが、大きな声を出すこと、露骨に不機嫌になることは、その都度「大きな声出してますよ」と指摘し、不機嫌には不機嫌で返し、自身を省みてもらった。正直、私よりもAさんの方が、ストレス多い環境だっただろう。機嫌が悪いときには「すみません、ちょっと腹が立っています」と申告してくるようになったのには、さすがに笑った。

そんなことを続けているうち、共に働く人たちからも「Aさん、最近丸くなったよね」と言われるようになった。「私がいちいち、おおきな声出してますよ」って指摘してきたからやで!!!!

そんなこんなで、担務終了の日が近づき、部の伝統で「Aさん、卒業おめでとう」という新聞号外を作らねばならないということに気がついた。

ひとりでやりたくなかったので、先輩に作り方を尋ね、一緒に準備してもらった。渡すタイミング、一緒に渡すもの、全部先輩の意向でやった。

それなのに。

先輩は、自分の仕事が終わるとさっさと帰路についた。

はぁ?!

と思った。

そんなことなら、私が提案した、人がまだたくさんいる時間帯にやれば良かったじゃん。なんで、私がひとりで人を集めて、やらないかんねん。

しかも、先輩からの伝言が「協力的じゃなさそうだけど、一応ほかの人も声かけてやって」。って。

協力的じゃない環境であることがわかっていて、なんで放置して帰るかな。

あーあ、一気に人の嫌な面をいっぱい見せつけられて、めっちゃ消耗した。

なんで、Aさんが人望ないのを、私が引き受けなきゃいけないねん。

まじ不毛。

そんだけ、問題人物だった分かってる人を、10も下の社員ひとりに押しつけるなよ。そして、押しつけた挙げ句、最後までひとりでやらすなよ。

私をねぎらえーーーーーーーー!!!!!!!!

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