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きょうのところ

30歳代になり、周囲の妊娠出産ラッシュが加速している。否が応でも、自分の人生観を見つめ返さざるを得ない。念のため言っておくと、知人友人の妊娠出産は、ちびっとの濁りもなくうれしい。おせっかいにお祝いを送りつけたくなるほどにうれしい。

さて、迷いの原因は、相方が子どもが欲しい、家族の人数が多いのが純粋にうれしい側の人間だと知っているからだ。
そして、同居するようになってより明らかになった相方のケア能力の高さだ。正直言って、彼のケア能力を私だけが享受しているのは、申し訳ない。もっと世界で分け合うべきだと思う。

では、ストッパー原因はなんじゃろね。

誰かや何かのために、自分のやりたいことをセーブする、というのが生理的にゾワッとする。思春期以降、自分のやりたいことや向上心そのままでは、男子に引かれる、という経験や、親からやりたいことも「彼の許す範囲で」、「許してくれるなんて優しいね」というメッセージを浴びせられていた嫌悪感が想起されて、「やっとあの思想から自由になったのに、また戻ろうとするなんて!!!」と小さき自分が叫んでいる。

では、果たして、子を育てるにあたり、実際問題、私が何かをセーブすることになるだろうか。妊娠~出産に至っては、身体的にセーブせざるを得ないだろう。
ただ、育児については、世の母たち同様の暮らしにはきっとならない。子育てメイン担当は、相方になるだろう。食事排泄ケア、保湿まで、滞りなくこなす姿が目に浮かぶ。なんなら、ママ友など保護者コミュニケーションも難なくこなすに決まってる。私が出る幕があるのは、メンタルケアと教育面くらいだと思う。

妊娠~出産で身体的負担を被るのを積極的に引き受けるほど、熱心な気持ちにはならない。なんなら、自分が男性側で精子を提供するだけならば、相方の子が欲しいという気持ちをとめるほどではない、くらいの気持ちが一番しっくりくる。
身体的負担も、その後の育児も引き受けてもらえるならば、家族のメンバーが増えるのもやぶさかではない、という程度。

言葉にすると、冷たく人でなしだが、実際男性側はこの程度の認識で子を持つに至った人も少なくないんじゃない?

何の因果か、私は女性側なので、育児をメイン担当にならないだろう、という見込みだけでも、罪悪感がある。
その罪悪感ゆえに、養子縁組も解決策にはならない。自分が子に対して積極的になれない理由が、身体的嫌悪感ゆえだったらと考え、養子縁組や里親の可能性も考えたことはあるけど、しっくりこなかった。

自分で言うのもなんだけれど、私は意外と愛情深く、次世代のために、という想いも強い。

でもなぁ、子が欲しい、という気持ちがよく分からんのだ。

ただ、結婚したい、という気持ちもかつてよくわからなかったけど、自分なりの必要性(人生をともに歩む相手の命の危機に駆けつけられないのは嫌だ)に辿り着いたから、もしかしたらじきに辿り着く道筋もあるかもしれない。

今日のところは、そんなところ。

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