相手を思う難しさ

朝ドラ「カムカムエヴリバディ」にはまっている。
もうぞっこんだ。
もともと、上白石萌音ちゃんが好きで(先日、千と千尋で初の生萌音ちゃんを堪能した)
萌音ちゃんがヒロインの朝ドラを見逃すわけにはいかない、と意気込んで見始めたところ、制作の思うがままに、ハンサムな稔さんにはまり、巧みな脚本に舌を巻き、ドラマの演出が誰かなんて考えたことなかったのに、週替わりの演出の微細な表現の違いまで気づくようになり、照明や小道具の工夫までなめ回すように見て、どっぷりである。

終盤になり、怒濤の伏線回収が始まったかと思いきや、新たな伏線を張っていく遠慮のなさ。
視聴者は手玉にとられるしかない。

そんな朝ドラを、ツイッターで考察するたくさんのつぶやきの中に、「このドラマは、あなたのことを思ってしたのに、にものすごく厳しい」という指摘があった。

そのとおりだと思う。

「よかれと思って」がことごとく、不運を呼ぶ。

あなたの幸せを思って、あの子が幸せになるには・・・

すごく手厳しい。

だから、好きだ。


親になればわかる、親にならないとわからない、という言い回しが好きじゃない。

かっこわるいな、と思うけれど、まだ私は、物語を子供目線からしか見れない。

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