見出し画像

あなたの人生を左右する!5匹のチンパンジー説

ある日の午後、僕はふとしたことから「5匹のチンパンジー説」というものを知った。周囲にいる5匹のチンパンジーを見れば、そのチンパンジーの行動パターンが予測できるというものだ。不思議なことに、この理論は我々人間の世界にも当てはまるらしい。たとえば、人は自分が交流する周りの人々の年収の平均を、自らのものとして引き寄せてしまうのだ。

僕は読んでいた本をパタッと閉じた。そして、窓の外を見た。目の前は公園である。一周歩くと900mある。僕は毎朝、歩くようにしていたが花粉の季節は5秒おきにくしゃみがでるので、なるべく外出しない。風に揺れる木々を眺めながら、人間社会の奇妙さについて考え込んでしまった。人々は無意識のうちに、自分を取り巻く人々の影響を受けて生きている。それが良くも悪くも、僕たちの人生の質を左右している。

シリコンバレーの最も重要な思想家の一人、ナヴァル・ラヴィカント氏はこう言っていた。「働くときは自分より成功している人と付き合え。遊ぶときは自分より幸せな人と付きあえ。」つまり、自分の周りにいる人々を選ぶことは、自分の未来を形作る上で非常に重要なのだ。

僕は目を閉じて、自分の周りには誰がいるだろう?と考えざるを得なかった。気持ちの悪い気分だ。家の鍵をかけ忘れたのではないか、と外出して2時間たってから気づいたときのような落ち着きのなさがある。友人や家族を値踏みするような自分に気付いて、嫌気がさした。しかし、僕の人生に何の喜びももたらさず、苦痛を与える関係があることにも思い至った。その取捨選択が正しいのかどうか、わからない。しかし、ナヴァル・ラヴィカント氏は「いつも誰かと衝突している人とはつきあわないこと。」とも書いていた。

僕たちがこの世で平等に与えられている唯一のもの。それは時間だ。それを大切にしなければ、と思った。

何となく手持ち無沙汰になって、僕はコーヒーを入れた。ドリップ式の安いコーヒーだ。そして再び、窓際に椅子をひっぱってきて、窓の外を眺めた。春の前触れか、強い風が大きく木々を揺らす。公園を散歩している人が見えた。犬を連れた、年配の人だ。クローシュ、といのか、そんなような帽子をかぶっていて、女性か男性か後ろ姿では判別がつかない。

コーヒーを飲みながら、もしチンパンジーが自分たちの運命を選べるのなら、彼らはどんな選択をするのだろうかと考えた。彼らは自分が周りにいる5匹のチンパンジーの平均的な行動をするということを、まさか知らないだろう。知ったところで、別のチンパンジーの集団に加わるだろうか。それがより好ましい環境だったとして、新しい環境に踏み出すだろうか。

おそらく彼らの世界に比べると、人間界はいささか複雑だ。周りの5人の平均年収が自分の年収になるなら、平均年収の高い5人と付き合えば自分の年収も上がるという理屈になる。たしかに成功法則の本でも度々、書かれていることだ。チンパンジーはそんなこと考えもせず、その集団の中で自分たちなりの幸せを見つけているのかもしれない。そう思うと、人間社会の喧騒がちょっと遠く感じられた。

そして、僕は思った。もしかすると、我々人間も、もっとシンプルに生きる方法を見つけるべきなのかもしれない。仕事やお金、社会的地位に縛られず、もっと心からの幸せを追求すること。

そんなこんな考えていると、コーヒーは冷めかかっていた。空は雲一つない青空だ。花粉さえなければ、デッキチェアを広げて、庭で焚火でもしたいところだ。

僕たちは時に、自分を取り巻く環境に流されがちだけれど、大切なのは自分の心がどう感じているか、その声に耳を傾けることなのかもしれない。そして、自分の周りにいる人々を大切にすることだ。彼らを値踏みするのではなく、僕たちの未来に何を引き寄せるかを左右する存在だと捉えて大切にする方が僕には合っている。周囲から変えるアプローチは確かに有効だろうが、僕自身を起点として変えることも可能だろう。もちろん、時間は有限であり、命そのものだからナヴァル・ラヴィカント氏がいうように「いつも誰かと衝突している人とはつきあわない」方が良い。それは間違いない。

でも幸い、僕の周りにそういう人はいない。皆、穏やかだ。そして、家族を大事に心豊かに暮らしている人ばかりである。とても恵まれた環境だということだろう。僕は冷めたコーヒーを口にして、この世界には無限の可能性があるが、その可能性を貪欲に求めることが必ずしも幸せにつながるとは限らないと考えた。少なくとも、僕は自分起点で成長し、変えることができる。周囲を無理に変える必要はない。ただ、ナヴァル・ラヴィカント氏がいうように付き合うべきではない人を選ぶことは必要かもしれない。これは、大きな声では言えないが、真の幸せへの第一歩なのかもしれないと思う。