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静かで落ち着いた教室という間違った正解

今の日本の教育って、小中高大全てのカテゴリーにおいて、誰のためのものなのかが置き去りになっている部分がある。

大人が考えたカリキュラムをやらせる時代はとうに終わってて、今は子どもたちが自分で課題を見つけて解決する方法を考える時代なのに、大人の側がそれをやってきてないから未だに一斉授業しか知らない・できない教師が多い。

理想とされる授業風景も、落ち着いた静かなものがまず第一にある。

僕はどっちかと言うと教室から飛び出して調べ物をしたり、教科書の内容を実際に実験して体験させたり、ゲーム化して遊んで覚えさせたりするタイプの教師だったので、他の先生から見たら変な奴だったと思うけど、子ども達はそういうやり方の方が喜んで取り組んだし、興味を持ってくれた。

もちろん準備には時間はかかるし教室は落ち着いた静かな場所ではなくなるけど、実社会じゃ黙って1時間座っててお金が貰える仕事なんてない。

誰かと一緒に何かを作ったり、
会話して意見をぶつけ合ったり、
歩き回って情報を集めたりする。

それが世の中であり、働くと言うことなんだから、否が応でも誰かとコミュニケーションを取る必要がある状況に置くくらいで丁度いいのだ。

静かに1時間座ってられないといけない教育を施すのはせいぜい小学校くらいまでで十分だし、大学生にもなって誰ともまともに話せないようでは社会人としてやっていくのが大変だ。

そう思うと、10代という多感な時期に自己開示をする機会を失うことは、大きな損失だと感じる。

自分の意見を話す、考える、自分を知る。そんな体験を積む中で、自分がどんな人で、何をしたい人なのか知れるはずだ。

今すぐ改革をトップダウンで行うには、教育界は組織がデカ過ぎるけど、教育を変えるのはそんな大それたことでなくて、1つの学校、1つの教室、一人の教師レベルからなら始められることも少なくない。

歴史や慣習、常識を疑って、真に必要な力を伸ばす学校や、志ある者を応援して欲しいし、可能なら一緒になってやって欲しい。
もし自分でできないなら、邪魔したり批判しないだけでも十分助けになる。

教育が誰のためのものなのか、親も含め、皆で思い出そう。

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