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【ヲタ卒】重度の星野源マニアから卒業しました

上記おおきちさんの記事を読んで、「私にも吐き出させて!」と思いnoteにしたためます。

※最初に申し上げますが、ファンの方々を傷つけるつもりは毛頭ありません。過去を振り返ってみる、ただの手記です。星野源ファンの方でも不快にならないような記事にしたつもりです。ですがもし嫌な思いをされる方がいらっしゃったら、本当にごめんなさい。そういう意味で閲覧注意です。
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マニアとか追っかけ、ヲタ、沼、クラスタとか推しとか。
色んな言い方があるけれどここは『沼』で統一したいと思います。

きっかけはマッドマックスⅤ8

夫に「どうかしている」と言わしめたくらい、星野源に夢中でした。

ハマったきっかけは、2015年12月のとある音楽番組。
当時流行っていた『マッドマックス 怒りのデス・ロード』の悪役イモータン・ジョーを崇めるポーズ『V8』(知らない人は置いていきます)を曲終わりにキメていたのを見たことです。
「なんで音楽番組で白目でV8ポーズやってる?!
映画見た人しかわからないだろ!誰この人!!」

そして同じく年末に発表されたアルバム『YELLOW DANCER』から沼に足を突っ込み始めます。まだこの頃は岸辺でチャプチャプしていた程度。

それまでは『大人計画のいつも裸にされる人』という認識でした。あと、『バナナマンのラジオで日村さんの誕生日に曲を作ってくる人』。『ラジオ番組タマフル内のジングル企画に名前を隠して出て優勝した人』。
それが全部同じ人だと気づくのはもっと後の話。

星野源の沼は広くて深い

そこからは転がり落ちるように沼の底へ底へと。

星野源は音楽、俳優、執筆家と3種類の顔を持っていたから、追いかけるのも一苦労。楽曲やラジオを聴き、舞台やドラマを見、エッセイを読む。

雑誌は、音楽雑誌から演劇雑誌、ファッション誌や週刊誌まで出るので必死です。ツアーには何公演も行くのが当たり前で、チケット争奪戦必至なので複数の会場に応募しました。「私は星野源のATMです」と唱えながら。

曲のヒット祈願で、各々好きなものを楽曲の発売日まで我慢するというラジオ企画では、糖質を我慢した結果10㎏痩せました。

ちなみにラジオに投稿して私の肉声を星野源に聞いてもらったことがあります。ド直球の自慢です。

それぞれの分野で交友関係が広いので、ルーツや繋がりを追いかけだしたら、またまた沼は深くなっていきました。

ここまでくるともう沼じゃない。海だ。

世界一深い海は10,920mのマリアナ海溝。
つまり星野源はマリアナ海溝なのです。

『逃げるは恥だが役に立つ』が放送になってからは、知名度が急上昇。だれもがあのダンスを踊れる世の中に。もちろんフルコンプしました。何度もyoutubeを見て料理作りながらキッチンで踊る嫁を夫はどうみていたのか。たぶん呆れながらそっとしておいてくれたのだと思う。

その後は全国のドームツアーを経て、ワールドツアーまで敢行する爆発っぷり。あまりのスピード出世っぷりに振り落とされそうになりながらも、「高円寺で4畳半で過ごしてた子が…よかったねぇ」と箱入り息子を見るような目で見ていました。

人見知りよさようなら

その深みと共に、Twitterを通じてたくさんの星野源仲間が出来ました。

ライブ会場で自作の名刺交換したり、地元のお土産を配ったり。
MVが撮影されたゆかりの地にみんなで旅行したり。

初めて会ったのに意気投合することなんて、日常生活であり得ないじゃないですか。日本ではそれなりに節度を要求されますよね。会って2秒で抱きしめたら即通報かAVか。

「本当に楽しかったんじゃ…心の底から…」
唐突に私の中のおじいさんが白髭をなでながら人生を振り返っています。
たぶん、いまわの際で見る走馬灯に、絶対この数年間のシーンはランクインしてくる。

本当は目立ちたいのに承認欲求こじらせて積極的に人前にでないタイプの陰キャで42年間生きてきたので、他人と打ち解けるという芸当は難易度が高い。でもライブ会場へ行ってコスプレしたら全部吹っ飛んだ。
そしてお肌が潤った。不規則な生理が正しくやってきた。

「作りたい」という衝動に駆られる

さらっと言いましたけどもアラフォーでコスプレしました。
ちょっとアレなのは分かってます。
それまではコスプレを一度もしたことがありませんでした。でもやりたかったんです。
それくらい星野源は人を狂わせる男です。いい意味で。

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▲『恋』CDジャケットで着ていたシャツ風なものを作りしました。

コスプレは『恋』をモチーフに手作りしたシャツにサスペンダー、ネクタイで
「こんにちわぁ~星野源でぇす!!」
と大声で言い切ってダンサーelevenplayさんのコスプレをしている集団に突撃したりしました。みんな優しかったな…。

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▲これまで作ったイヤリングの数々。

次に手をつけたのは、イヤリングやTシャツの制作。
「肌身離さず星野源を身に着けていたい」という変態じみた衝動でいくつか作りました。

私にとって星野源は、クリエイティビティを刺激する『ミューズ』でした。薬用石鹸じゃないほうのミューズです。
次々と制作のアイデアが湧いてくる。アイデアがおはよう世の中しちゃう。

Twitterに作ったものを投稿するたびに、誰かが褒めてくれる。平匡さん並みに自尊感情の低い私はその度に満たされたもんです。クロールしたときの息継ぎのような、一瞬だけ生き返るみたいな感情だった気がします。


そして卒業へ

2019年、その日は突然やってきました。

ある日のインスタライブにておそらく素に近い姿を目の当たりにした時、私の心に疑念がわいたのです。

「こういう人だったの…?」

私が勝手に彼の人格を妄想しておきながら、ガラガラと音を立てて妄想が壊れる音を聞きました。ほんの一瞬で崇拝対象でなくなってしまったのです。

マリアナ海溝からの急浮上。耳抜きしないで急浮上。
鼓膜をちょっと傷つけたかもしれません。

何日かモヤモヤとした気持ちが続きました。
好きでいたいのに、そうできない。そういう苦しみがありました。

あまりにも毎日毎日星野源のことしか考えない日々が続きすぎて、彼無くしては生きていけない状態だったために、嫌いになりきれない。

仕事やプライベートがつらい時にも、心の支えになっていました。車内で爆音で曲かけて心のエンジンもかけてました。

それができなくなってしまった。虚無。

『心にぽっかりと穴が空く』っていう文字通りのことが実際にあるんだな、と痛感しました。

1番辛かったのは、仲間と正面切って会ったり喋ったり出来なくなったこと。

彼女らに『好き』が『好きだった』になってしまったことを率直に告げることは到底できなかった。けれども嘘をつき続けることもできなかった。なので一方的に距離を置きました。

一緒の趣味を持って、楽しく話し合える友人を失ったことは、小さくはない心の傷です。

そして星野源専用Twitterもインスタもアカウントを消し、SNSから姿を消しました。


今でもできればあの頃に戻りたい、と思います。

知らなきゃよかった。
あの日インスタライブを見てなかったら今でも、推しを生きがいに友人関係を広げたり、仕事や生活をがんばれていたかもしれないな、と思うと寂しい気持ちにはなります。

しかし2年経った今では、星野源を見るときは元カレみたいな眼差しを向けています。結婚おめでとうと素直に言えるし、幸せでなによりと思います。


なんか悲しい終わり方になりそうですけど今、星野源によってぽっかり空いた心の穴は、小林賢太郎と片桐仁のラーメンズが2人がかりで埋めてくれようとしていますのでご心配なく。

サポート…?こんな世知辛い世に私をサポートする人なんていな…いた!ここにいた!あなたに幸あれ!!