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息子と野球

小学校に入る前にお父さんは野球を始めた。
愛知県の尾張旭市というところに住んでいたとき、お父さんのお父さん、つまりおまえのおじいちゃんに赤いビニル製グローブを買ってもらい、よくキャッチボールをやっていた。
たまにお父さんのおじいちゃん(おまえのひいおじいちゃんだ)ともキャッチボールをやり、球が速くておじいちゃんを困らせていたそうだ。

おじいちゃんもひいおじいちゃんも、自分のグローブを持っていた。
あのころはボール遊びといえば野球くらいしかなかったから、誰でもひとつくらい自分のグローブを持っていたんだ。
聞いたこともないメーカーの、カビが生えかけたあのグローブ、いまはどこに行っちゃったのかな。

小学校3年生の冬、お父さんは野球チームに入った。
最初は軟式、それしかなかったんだ。
4年生の冬に長野県へ引越したとき、リトルリーグのチームに入った。
いまのおまえと同じように、軟式から硬式に変わった。
そのときもそれしかなかったから、しぜんにそうなった。

すごく熱心な監督だったから、どんどんうまくなった。
仲間にも恵まれて、小6と中1のとき、長野県で優勝して、東京の全国大会にも出たんだぞ。
お父さんたちのチームはけっこう強かったんだ。

リトルリーグ卒団後、シニアで野球を続けるやつもいたけど、おじいちゃんに反対されてお父さんは行けなかった。
残念だったけど、反対を押し切ってまでやりたいっていえる強い気持ちがお父さんには足りなかったんだろう。

中学校の軟式野球部に入り、すぐにレギュラーになった。
ちなみにお父さんは野球を始めたときからずっとキャッチャーだけをやってた。
中学2年の練習試合のとき、盗塁したランナーを刺すため二塁にボールを投げた瞬間、ブチッと体が裂ける音がした。
立ち上がれないくらいのものすごい激痛だった。

ヒジの複雑骨折で、大きな手術と入院をした。
退院してから本当に泣きながらツラいリハビリをしたけどけっきょくヒジは元に戻らず、悲しいことにいまでも曲がったままだ。

高校では親もとを離れ、寮に入って野球を続けた。
甲子園には行けなかったけど、伝統のあるチームだったからうまいやつはたくさんいた。
プロに入ったやつもいた。
お父さんはレギュラーどころか補欠にもなれなかった。
そりゃあ悲しかったよ。

いつの間にか野球がおもしろくなくなってたけど、それでも親に高いお金を払ってもらってたし、途中であきらめたくなかったから、三年間まじめに野球をやり抜いた。
最後までやめずに続けたことだけが唯一の自慢かな。

大学に入ってからもすこしだけ野球部にいた。
でも、もう野球がおもしろくなくなっていたから、すぐにやめた。
もう頑張って野球をやりたいとは思えなくなっていたんだ。

それでも、仲間に頼まれたときだけたまに野球をやった。
けれど、いつのまにか山登りの方がずっとおもしろくなっていたよ。
結婚してすこしして、お姉ちゃんのクミが生まれる前、山登りで肋骨の骨折と右肩の脱臼をした。
ボールを投げるのがツラくなったけど、悲しいとは思わなかった。

おまえが赤ちゃんのとき、交通事故でまた右肩を骨折した。
ボールを投げるどころではなくなった。
でも、やっぱり悲しくはなかった。

おまえが小学生になってから、また山登りでケガをした。
こんどは車椅子生活になってもおかしくないような大ケガで、右上半身がしばらくシビれて動かなかった。
野球なんてもう二度とできないな、そう思った。

そして去年の春。
3年生になったお前は、野球をやると言い始めた。
野球をやろうと誘ったことはいままで一度もなかったから、お父さんはとても驚いた。

小3の春、野球をやりたいと急に言いだした


でも本当は野球をやってもらいたかったみたいだ。
だって、自分でもビックリするくらい嬉しかったのだから。

二度と野球をすることはないと思いこんでさびついていた体もすこしずつ起きてきた。
押入にしまってあったグローブとボールを取り出し、もうボールを投げることはないと思ってたウデをふった。
いちから野球を勉強し直そうと本を読み、昔の野球仲間に連絡して練習方法を教えてもらった。

あっという間に野球にのめりこんでいったんだ


なにより嬉しかったのは、また野球を好きになれたことだ。
あんなに嫌いになってしまった野球なのに、50歳でまた好きになるなんて夢にも思わなかった。

ダイホ、ありがとう。
お父さんに野球をまたやらせてくれてありがとう。

来る日も来る日もおまえと朝練をやったな


その恩返しじゃないけど・・・・・・
ついこの前また交通事故にあって、こんどは左肩がおかしくなってお父さんの体はもうボロボロだけど、お父さんは覚悟した。
お父さんの体なんて、もうどうなってもいい。
お父さんの人生で最後の野球真剣勝負だ。
ダイホがリトルを卒団するまでのあと三年半、おまえととことん野球をやるよ。

リトルリーグ入団後はすごい勢いで成長したな
背番号11
これがおまえの出発点だ

おまえがいつかこの文を読むときが来るだろうと思い、こうして書き残しておく。
そのとき、お父さんはもうこの世にいないかもしれない。
でも、おまえと野球に打ち込んだ日々はおまえと二人だけの永遠の思い出だ。
それさえ残るなら、おまえがこの先野球を続けようが、へたくそで、いやになって、いつか野球をやめようが、お父さんは嬉しいよ。

WBC2023で日本が優勝した翌晩に
お父さんより

おじいちゃんに買ってもらったグローブ、
一生大切にするんだぞ

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