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図盆20210409: 馬橋と嵯峨侯爵

中央線の高円寺・阿佐ヶ谷の間に馬橋というエリアが有った。本当はその2つの駅でなく、馬橋駅というのが出来る予定だったのだ。かつては馬橋公園の場所に、軍部の気象施設が有った。今や細い道を早稲田通りと青梅街道の間を車がバイパスするウザい道になってしまった馬橋通りは、駅が来るのを想定して出来たモノなのだという。
この馬橋通りは青梅街道を抜けると、今は杉並のチベットとも言われる松ノ木・大宮地域に至る。戦前はココが風致地区かつ新興住宅地として、軍人等に人気を集め、大宮八幡宮の麓の池にはウォータースライダーまで設置される発展ぶりだったのだという。幻の鉄道誘致計画もいくつか有ったとか。馬橋通りは、まさにこのエリアの地主・松島家の鬼門・墓地を出発点とするのだ。立正通りとも交差する。大正から昭和初期に、どういう勢力が関わり合っていたのか、アレコレ想像してしまう。世が世で有れば、地元信金と軍部が牽引した東の吉祥寺みたいな街が出来上がっていたのだろうか?いや、実は公家文化も絡んで来るのだ。
この松島家の敷地と善福寺川を挟んで砦を向かい合わせているのが、大宮1丁目。かつて、嵯峨侯爵が構えていたエリアだ。地名が示す通り、かつて大宮八幡宮の一部だったところが、明治維新に協力した公家に与えられたのだという。
そして、この嵯峨家から満洲のラスト・エンペラー・溥儀の弟・溥傑に嫁入りし、波瀾の人生を歩んだのが嵯峨浩サン。歴史が歴史だけに、あまり頻繁に語り継がれてはいないし、敷地は公園や郷土博物館へと姿を変えている。が、知る人ぞ知るということか、比較的寂れたエリアなのに、公共物は地味ながら念入りに手がかけられた贅沢な感じが共通。その土地が持つ、日本帝国時代の複雑な記憶が?

その旧嵯峨邸エリアの麓の善福寺川沿いには、里桜が植えられている。川上流の尾崎橋あたりのソメイヨシノが宴会観光で賑わったチョット後に濃厚に咲いて、地元の人達をホッコリさせる。その近くの大松橋では現在、新たに貯水公園が造設工事中。コレと里桜エリアとその先に有るワンパク広場が繋がると、杉並チベットに異様に豪華なスポットが爆誕する。その頃には、再び嵯峨家や大正・昭和の栄華について、人々が語るようになるのだろうか?

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