石の上にも2

石の上にも三年目の挑戦[2]

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東京も嫌いだし、友達もいらないと真剣に思い込んでいた


instagramを再開したのは2018年の3月だった。
高速道路の分離帯、事故で大破した車のそばでわたしは封印をといた。

「Stay alive」などと書いた気がしたけれど、その時の気持ちはどちらかといえば「これからも生きることになってしまったのだな」というような感じに近かったかもしれない。とにかく、目の前の高速道路以外の世界のことが急に知りたくなったのだ。


ひどくネガティブだった。
仕事も全然できないし、東京も嫌いだし、友達もいらないとかなり真剣に思い込んでいた。
鬱屈としていたわたしを見かねて、海外から一時帰国した友人が気分転換にと松本へと車で連れて行ってくれた帰りのことだった。

まさかとは思ったが、高速道路で事故に遭った。その2ヶ月前にも自転車で軽い事故をやっていたわたしは、焦る頭ですぐさま警察に電話をした。それから、事故現場でやりとりをする運転手に代わり保険会社との連絡や、レッカーの手配なども行った。自分も含めて周囲も大きな怪我はなく事なきを得たかのように思えたが、事故当時の映像をドライブレコーダーなどで見ているうち、週が明けた火曜日にいきなりダメになった。

締め切りを守れなかったわたしに対する先輩からの軽い叱責があったのだが、その瞬間、普段から仕事もうまくできないことや、そもそもなぜこんなふうに意味も見出せない暮らしをしているのかが本当にわからなくなり、職場で号泣してしまった。そしてその日から、周囲の配慮で5日ほど会社を休むことになった。

お金もないのでほとんど布団で寝ていただけだったが、近所に住む親戚がうなぎを持って来てくれたり、美容院に行って人生で初めて髪を金髪に染めてみたりして過ごした。もうすぐ27歳になろうとしているのに一体なにをやっているのだろう、さあこれはいよいよこれは実家に帰らざるを得ないだろうと思った。そもそも両親は私の上京には反対だったので、彼らの言う通り実家に帰るのが妥当な選択に思えた。

転職当時は最低限の収入以下で暮らすことになることはわかっていたが、人生を大きく変えるための手っ取り早い理由が必要だったわたしは転職先を東京の会社に決めた。

「よっぽどそれがやりたいことか、あるいは才能がある子じゃないとうまくいくわけがない」と、母親には強く言われていた。わたしに何の才能もないことは、わたし自身よくわかっている。頭がおかしいので「普通のこと」もうまくこなせず、困ったり困らせたりするわたしは凡人以下のポンコツ野郎だということもわかっていた。しかしそれでも何かをやってみることしかなかった。極端だと思ったけれど、しかし何もしなければ、わたしにはこのゴミのような自分と人生を変えられないに違いないと考えた結果の選択だったのだ。

しかしまあ、とりあえずうまくいかなかったということだけはわかった。それに、無鉄砲な選択をする時点でゴミなのだ。ゴミはどこにいってもゴミなのだ。それに、自分には現状をよくする努力をする気がないこともわかった。その気持ちさえあれば、少なくともこんなことにはなっていない。向上心もないゴミだ。

そんなことを考えたりしながら、ほとんどの時間をずっと布団の中で過ごした。

起きている間中ずっと、自分はゴミだ、自分はゴミだと思う気持ちが渦巻いていた。


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