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彩海せらというタカラジェンヌについて


人間、ここまで人を応援することができるんだなと思ったんです。でもそれって度重なる偶然の賜物で、そこまでの感情に行き着く人に出会えるかどうかは人によるし、奇跡に近い。

しかし、幸いなことにわたしはそんな人に出会ってしまいました。

月組期待の星、102期の彩海せら。愛称はあみちゃん。

お手紙で何回も"あみちゃん"と書くチャレンジをしましたが、結局本人が読むことを想像するとチキチキレースになって彩海さん呼びに。これ多分下級生中級生に贔屓がいらっしゃるヅカオタの方なら分かってくれる気がするな…

彼女が好きすぎてしまって、色々思いを馳せることが多いんですが、自分の頭の中で記憶を辿ると幸せ疲れしてしまうので、備忘録的な立ち位置でわたしがあみちゃんに出会うまで、あみちゃんの好きなところ、彩海せらというタカラジェンヌについてを書き記したいと思った次第です。

ふざけた自分語りから入りますので、真面目に語ったバウの感想だけ読みたい方は目次から、そのまま3. Goleden Dead Schieleへお進みください。


1.宝塚との出会い

宝塚という存在の認知


私が宝塚のコンテンツとして初めて見たもの。
それは月城かなとさんのカフェブレイクでした。詳しいことは本当に覚えていないのですが、その美貌にびっくり。今の日本には、こんな綺麗なイケメンがいるのか!?と韓国アイドルばかりを見ていた私は国内レベルの高さに脱帽。しかし、その時は「月城かなと」という名前だけを覚えてテレビを消すことにしてしまいました。(どうして)

朝美絢との出会い

それから数ヶ月後、突然あのイケメン美女の名前を思い出しました。月城かなと。美貌は人間の記憶に残るものなんですね。

グーグルでその名前を検索すると、髭を生やしたイケメン(ルキー二)と、ターバンを巻いた思わずこちらがクラクラッチマンとなりそうなイケメンと、トレンチコートの襟を立てて煙草をふかしているイケメンがドーーンと私の目の前に現れ軽い失神状態に。

(全員同じ人なのよね…??)とぐるんと一周しそうな目を力づくで戻してスクロールした先にいらっしゃったのは、金髪ボブでパーマをかけた綺麗な娘役さん、ではなく朝美絢。ONCE UPON A TIME IN AMERICAのキャロルさんでした。この瞬間、私は完全に彼女の虜となり「宝塚ファンの言っていた通りね。意志の強いあごのラインに思慮深い瞳。」とおどおどしながらもその綺麗な御顔をしっかりめに拝見したのち、駆け込み寺のように宝塚歌劇団ホームページに突撃し、日を跨ぐことなくヅカオタの門をたたいたのでした。

望海風斗との出会い

2021年春、私は迷うことなくバッチリ雪組推しになり、そして朝美絢さんのファンになりました。私は血眼になりながら望海風斗政権の作品を観て、宝塚の魅力に飲まれていきます。

しかし全く知らない界隈へピョオーーン!と飛び込んだはいいものの、時期的に私はだいきほコンビの退団と入れ替わりのようになってしまい、悔しいことにチケ難をくぐり抜けた先にある傑作を生で観劇できることの素晴らしさも知らないまま、ただ過去作品を漁ることになってしまいました…泣


2.彩海せらを認知したとき

やっと見つけた望海風斗の秘蔵っ子

やっぱり、わたしの宝塚人生の中核には望海風斗さんがいらっしゃるんです。

素晴らしい下級生を育て上げただけでなく、知識の浅い私のようなファンですらも立派なヅカオタに育ててくれました。

大好きな作品「壬生義士伝」はもう何回見たか分からない。作品としても、宝塚としても。斎藤一のあーさがかっこよすぎる。

今思えば、彩海せらさんは素敵なお役をやっているじゃないですか、嘉一郎。でも、知識が浅すぎるオタクは下級生の顔と名前の一致まで意識が回らないんです。貫一郎とおしづさんの運命、とと様を思う子供二人の飢えに耐える姿に涙するので精一杯。

そんなこんなでほんとに月日が経ってしまうんです(涙)(ばかたん)(あほ)

そしてこの後、あっっっ!!!となったのはなんとCITY HUNTERの小林豊くん。すんごい上手い子が居るんだけど!?の一心で見つけ出しました。

それが私を育ててくれた望海風斗のすべての継承者、彼女こそが現在月組の彩海せらでした。

組替え直後で暁千星に蹴られる彩海せら

月組で活躍するあみちゃんをしっかりと観たのはブエノスアイレスの風の配信。全く予備知識を持たないまま観始めました。

私が見漁った「朝美さん…(もじもじ)」のありちゃんはもうどこにもいなくて、”男役11年目暁千星”がニコラスとして堂々とセンターに立ち、二番手として研15の貫録を漂わせる100期の風間柚乃の器用さに口をあんぐりさせ、(あの可愛いあみちゃんがこの二人と芝居を…?)の気持ちで登場を見守っていました。

母親である晴音アキさんの声がしたと思ったら、

「ぁんだよ!?」とドスの効いた低い声。

私の目が腐っているのか。いえ、黒の革ジャンに身を包んだ不良少年は紛れもなく彼女でした。

珠李ちゃんを上から下からヤバい目で見る悪い顔をしたと思ったら、ありちゃんに蹴られまくっていてその痛々しさに画面から顔が遠のくし、クスっと笑えるところは全部掻っ攫っていきながらも適当な発砲がおだちんの命を奪うことになるとは思わず自分のやってしまったことを現実として受け入れられない青過ぎる若者を演じていました。

どうしてそんなに大きくなっちゃったんですか~(涙)

(なんでやろな~)
(真面目にやってきたからよっ、ねっ?☆)※アリさんマークのCM

衣装も相まって小林豊くんにも見えなくもないけど、その後ろにはラストタイクーンのブロンソン・スミスがフッとよぎり、確実にのぞさん系譜の階段をのしのしと登っているあみちゃんに腰が抜けてしまいました。

これはとんでもない人を見つけてしまったようだと思った一方で、雪組にアチアチだった私は破産という言葉が浮かんで理性を保ち「ちょ、一旦タンマ」のT字を楽天TVの画面に向けながら撤退しました。

グレート・ギャツビー新公と転機

が、しかし、そう簡単に忘れられないのです。彼女が組み替え最初の公演で見せてくれた物の素晴らしさが脳裏にこびりついて消えない。

そしてやって来たあみちゃん2回目の主演にして最後の新人公演。やっとこさで捕まえた本公演のチケットは公演中止でぐぬぬ…となっていたところの新公配信で、それはもうワクワクでした。一体どんな彩海せらが見れるのだろうか、半分ハラハラもしていました。なんて言ったってわたしのあみちゃんの固定概念は、幼いながらにとと様を支えながら大黒柱になろうと奮闘するわたしの涙腺破壊パーソン嘉一郎と、スカステで見せるかんわいい性格。可愛いのに上手い、少年役と息子役をやらせてしまえばその右に出るものはいないという印象。ぶっ壊されてしまうんですけれども。

アウトロー!!!!

広すぎる背中!!!!

デイジーを一途に思う男!!!

あまりにも男役すぎてしまった。
スーツを軽く着こなし、向こう岸を愛おしそうに見つめ、白い薔薇の花束をおはねデイジーに誠実に渡し、幸せそうに口づけを交わす。あっけなく枯れ落ちる命の絶え方。その当時、れいこさんとの比較は出来なかったのであみちゃんが作ったジェイギャツビーを堪能したのですが、あまりにもグッとくるものがあって。

全ての原動力はデイジーで、デイジーが居なければ何もできない。デイジーさえ居れば何も要らないというような、腹を決めた諦めの悪い男がギャツビーなのですが、本当に見事に演じていました。

なのに!!カテコがすんごいキュート!!
長の期らしくいっぱい練習したんだろうけれどもそれを感じさせない立派な挨拶と、説得力のあるその堂々とした立ち姿。なのに、可愛い。どうして。。

流れるように心地良く進む芝居力と持って来た感情を一滴残さず歌にぶつけられる歌唱力は新公学年の中で既に群を抜いている。まさに、「虜」という言葉が相応しかった。

そして、ついに思うのです。彼女の来たるバウ主演には立ち会わなければならないと。そして、わたしの大劇場遠征処女作はそれを充てるべきだと。

3.彩海せらがくれるもの

月日が経ち、2024年

わたしは焦っていました。
バウ主演が発表された7月から約半年、あれほどまでに楽しみにしていたにも関わらず抽選先着もろとも全滅したのです。
手元にあるのは半年前に予約した新幹線とホテルの領収書だけ。

ですが、頼る当てもなく途方に暮れ、チケット浮浪者になっていたところを助けてくださった方がいました(涙)本当に感謝しかない。

前日の夜も眠れず、ソワソワしながら初めて入村。劇場を中心に栄える街の眩しさに目を細めながら門をくぐるとキラキラと輝くスターの宝石箱が。心底嬉しかったのでしょう、上ばかり見ていて足を若干挫きました。(恥ずかしかった)

彩海せらという一人のジェンヌのおかげでわたしはここまで人生に価値を見出しているなんて、やっぱり人生なにがあるか分からないなと思います。

Golden Dead Schiele


あみちゃんの演じたエゴンシーレは孤高の天才画家。銀のクリムトと評されながらも、金を目指し葛藤し続けるエゴンの存在に目が離せませんでした。

正直に言うと、この感情をどうまとめたらいいか分からないんです。
1思うと100出てくるような感覚。

お手紙も書きましたが何度も何度も書き直して、投函したものの納得のいくお手紙にはならず。

支離滅裂になってしまうかもしれませんが、思いの丈をつらつらと書いてみます。

オールラウンダーが出す衝撃波

幕間、いつもならテンションが上がって友人と「ちょっと!一幕やばい!!」なんて言いながら幕間トイレチャレンジに向かうのが、今回だけは立つことを体が拒否していました。

例えるならば、彩海せらはボウリングボール、私は見事にストライクを決められ、ただ回収待ちで暗闇に横たわる10本のピン。

二幕直前で何とか持ち直したピン達は直後にマッハで飛んできたボールのおかげでもう原型をとどめておらず、終演後はとっくに下りた薄紫色の緞帳をぼーっと見つめながら放心状態。私はこの3時間何を観ていたのだろうかという賢者タイムと共に客席を後にしました。

一回目の観劇の時には、主演として0番に立つあみちゃんから発せられる衝撃波に耐えるので精一杯で、ストーリーどころではなく座席にしがみついて終わったような感じ。一回目の観劇の後につぶやいていたポストを見ると、「すごかった、!!」しか言っていなくてスプラッシュマウンテンにでも乗ったかのような語彙力の無さに笑ってしまいましたが、二回目の観劇から数時間か経った後にポツポツ思うことが湧き上がってきました。

零れ落ちそうに大きな瞳を十二分に使う目のお芝居はエゴンの気持ちがよく分かります。死に怯えていること、芸術家として、一人の人間としてのアイデンティティを探し求めて焦りもがき苦しむ感情。人間の感情はいつも一つにまとまっている訳ではないのを、彼女は演技で魅せてしまう。一瞬の目の動き、立ち振る舞い、姿勢、声のトーン全てを駆使してエゴンがどういう思考回路でその言葉に至ったのかさえも丸裸に出来るのは、彼女の実力がゆえに違いないです。
グレートギャツビー新公では、緊張からか少し苦しそうに聞こえた男役らしい低い声も口跡の良いまま難なくクリア。いや、これに関してはあみちゃんが今まで当たってきたお役が大体青年だったのがあるでしょう。

先生たちは彩海せらにどういう役を当てれば彼女が一番輝くのかを知っているわけで、そこに苦言を呈しているわけではないです。けれども今回、28年間で「人生」に意味を成そうとしたエゴン・シーレを彼女の初主演作に当ててくださった熊倉先生は自分自身にも彩海せらにもチャレンジを持ってきたんじゃないかなと思わざるを得なくて。

持てる才能のすべてを絵画にぶつけたその姿が彩海に重なった時、何が現れるか…。私自身も楽しみでなりません。

Golden Dead Schiele パンフレット 熊倉先生からの言葉より


熊倉先生自身もあみちゃんのあてがきを作成する際に、エゴンシーレと決めた後、どのような面を見せたいか迷った気がします。(気がする)史実を基にすると、エゴンさんはもっとイカつい経歴、思想、女性観を持っていた人。ウィキペディアでちょろっと知識をかじるだけでもおっと…(汗)となってしまうような道徳観の持ち主。これをこのまま上演するには宝塚らしくないですし、一歩間違えれば下品だと多方面からお叱りのレビューを貰いかねないリスキーな作品に。

前述通り、いままであみちゃんがやったお役は陽のオーラをたっぷりまとった青年か、愛に乏しいひねくれた非行少年。(もちろんそうではないお役もありますが)私が熊倉先生なら、せっかくの主演作だしもう研8だからと言って、次々と女に溺れるどうしようもない男とかやらせたくなってしまう。けれども、作品の軸を波乱に満ちたエゴンシーレの人生そのものではなくて、複雑なバックグラウンドをもつエゴンがアイデンティティを見つけるために周りを巻き込んで「死と乙女」を作る過程を、一つの作品としてプラトニックに見せたことがあみちゃんの持つ、陰の部分と上手くマッチように思えます。あくまでも、傑作を描き切るためにもがき苦しむ天才画家として。

エゴンの持てる才能をすべてぶつけた絵画が「死と乙女」なら、あみちゃんの持つ才能のすべてをぶつけた作品は「Golden Dead Schiele」ですね。ありがとう熊倉先生…

そして、踊っても歌っても巧い!!

よく実力派ジェンヌに対して、”三拍子のそろった”というフレーズを代名詞として使うじゃないですか。
でもあみちゃんは、芝居も歌も踊りもすべて一直線上に乗っているイメージ。芝居から始まったら芝居の延長線に歌があって踊りがあって、歌から始まったら歌の延長線に芝居があって踊りがあるという感覚が近いです。(踊りも同じ)
あみちゃんから出されるパワーはすべて矛盾のない一つのトリガーによって突き動かされていると思います。私の意見ですが!

思うことが多すぎて、ホッと出てきた思いがあったらまた追記します…

4.どうして彩海せらが好きなのか


このタイトルだけだったら、哲学コースと思われても仕方のないnoteです。オタクだな~って思ってしまう文面で申し訳ない。

わたしの思うツボ

屈託のない笑顔ですかね~(オタク)
やっぱり舞台上をパーッと見渡した時に笑顔が素敵な方って目を引かれるんですよね。これは目鼻立ちの大きさにもよるのかもしれませんが、お芝居もショーでも、大きな口というのは重要な役割を果たしていると思います。なんといってもあみちゃんのハート型になる口がかわいい…

男役にしては小柄な体格で、それは色々な声が()聞こえたりしていましたけれども、それに打ち勝ってしまう舞台人としての魅力。しかも今回のGolden Dead Schiele、横を向いたときに(薄い…地元のスーパーで売ってる一番安いベーコンのようだ…大好きなお米いっぱい食べて…)という感情は沸き起こりましたが、身長については何も思わなかったです。贔屓目もあるかもですが。もう上級生になるにつれて男役力はロケットブーストでしょうから、何の心配もしていないです!ご飯だけいっぱい食べて…!

あみちゃんといえば、人見知り。
カテコで全くと言っていいほど目が合わず、リアルな人となりは分からないファンから見ても最高に人見知り。フリュ景色を二階席最前ドセンターで観た時も、タケノコ席で観た時もすぐ近くにあみちゃんは来ていて、一回は目があっても良さそうなのに絶対に合わなかった!笑
客席降りも、近くの客席にいるオタクの全体の雰囲気を感じ取って「わぁー♪(お手振り)」って感じです。(伝われ)
でもゲラで、真面目で、人当たりがよくて、知れば知るほどユニークで面白い人。(朝美さん談)
おはねちゃんからも誠実な人って言われてましたし、ほんとうに出来た方なんだなぁと思います。
それもまた相まって良い、好き。

あと、これは上級生と共演している時のあみちゃんによるものなのですが、突然の下級生ムーブが堪らない。例えば、ドリタイの望海さん回。緊張しながらも真面目にお話聞いて、ハイッ、ハイッって相槌入れて、褒められたりいじられたりしたらきゃっきゃ笑っていて、全てが花丸。おだちんのファーストフォトブックにゲストとして出演した時も、
おだちん「今日は来てくれてありがとう!こんなハードな感じ(スーツに拳銃)だけど大丈夫かしら、?」
あみちゃん「アッ、いやっ、もぅあの、ついて行きます。(カチコチ)」
と"ゴールデン人見知りアヤミ"を発揮させながら月組初仕事に張り切ってる様子が見られて応援してしまいたくなる。

やはりこれは外せない、ゆるりふんわりふたり。でのあみかのん。初めて同期ときゃいきゃいしてる姿を観れたのがこれだったと思います。多分。
桜島でのんびり育ったんだろうなぁと思うぽわぽわな性格、かのんちゃんからの愛、二人並んだ時のあみちゃんのお姉さん感がまた新しい彼女を見ている気分になりました。

あみちゃんの実力なら転ぶはずがないのに、案外ステンといってしまいそうな素の姿とひたむきに頑張る姿のギャップ。好きだなぁという気持ちは全て応援したいに繋がっていますね。

最後に

脅威の7000字に自分でも怯えています。
自分の好きを発散出来る場所があるというのは嬉しいものです。

まだまだ言いたいこと、たくさんあるので沸点が来た時にまた書き殴ってみようと思います。

ここまで読んでくださった方がいらっしゃいましたら、お目汚しな駄文にもかかわらず、ありがとうございました。

Golden Dead Schiele、ほんとに素敵だったー!



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