見出し画像

宙組OGの舞台を観て私の中の大切なものについて考えた

9月の終わり、宙組初日を観て以来。

あの悲しい出来事が起きて以来、観劇をしていない。星組のバウホールに誘われたが観に行く気が起きず断ったし、スカイステージも一時的に解約した。「大劇場でお茶しませんか?」と言うお誘いにも行けず、宝塚の街に足を運ぶ気持ちにもなれなかった。

そして、X(Twitter)のzukapotaのアカウントを停止した。

賛否両論、どの意見も目にする事が辛く感じた。日に日に感情的になっていく私自身もフォロワーも怖かった。他愛ない観劇の感想や日常の話をしていたはずなのに、どっちが正しくて間違えているか、ファン同士なのに何処かで誰かと誰かがぶつかり合う。同じ事を捉える温度差の違うギスギスしたタイムラインに耐えられなかった。

X(Twitter)を停止し、来年大きく変わるであろう生活に向けての準備(断捨離)などに追われていた。おかげさまでプライベートがそこそこ充実していた。宝塚ファンばかりフォローしていると、宝塚歌劇が自分の世界の全てと錯覚してしまうが、もう1つのXのアカウントから得られるのは、政治経済世界情勢スポーツetc…世の中のニュースの1つ程度のもの。誰もそこまで大騒ぎしていないと言う事だ。職場のTV、時折飛び込んでくるニュース以外の情報は入ってこない。時折、経営者・危機管理・企業ガバナンスなどの観点から今回の件を語るブログなどを読み、なるほどな~と思いながら読む程度。

前置きが長くなったが、9月以来久しぶりに観劇をした。

『The Great Gatsby 2023』

大阪の日程が合わず、東京の千秋楽を観に行った。

澄風なぎさんのお芝居が観たい。ただそれだけの理由だった。

宙組時代のお芝居が大好きだった。歴代の宙組生の中で1,2を争う位そのお芝居が好きだった。卒業後に役者として舞台に立ち続けてくれたらば…と願っていた。(ザ・マネーはチケットが取れなかったので)満を持しての役者としての彼女を舞台を観に行ったのだ。

三越劇場と言うロケーションから最高だった。タキシード姿で「ギャツビー邸へようこそ!」とスタッフさんが出迎えてくれてそこから世界が始まっていた。クラシカルで品のあるこの会場ならではだ。1階席はほぼフラットと言う不満はありつつも、真ん中の花道が臨場感を演出。客席の通路からギャツビー邸にやってくるキャスト達。9月のあの日以来ほぼ地元から徒歩圏内を脱していなかったからか、非日常的な世界にワクワクした。

(私の席からは)突如、大胆に開かれたドレスの背中が飛び込んで来た。それが、役者・澄風なぎと気づくのに時間を要した。一瞬だけ「ついこの前まで屋台のおじさんだったのにな~」と思ったが、男役時代との比較する事なく自然にジョーダン・ベイカーに入り込めた。

その低めの声とドレスから見える背中・スカートから覗く足元の肉感に伴う動作が色っぽかった。終始ミステリアスな空気に包まれていて、誰とも付かず離れずの距離感を保っていた。ニックといい感じになっていながらも、セリフからは本心を見せていないようにも感じる。ジェイ・ギャツビーとは違う孤独を感じる。誰の人生にも深入りしない。自分自身ですら俯瞰しているような不思議な女性だった。

宝塚歌劇の男役は、ある程度本人のキャラクターから着想されるアテ書きの部分もあるだろう。”この人にはこの役だよね”と言う固定されたイメージがある。男役時代の澄風さんは「ほっこりおじさま芸」と題したように、下級生時代からおじさま役が多くチャーミングな憎めない役どころが多かった。そのイメージからのジョーダン・ベイカーなのに、何の違和感もなく入り込めた事が驚いたし、役者としてのポテンシャルの高さを感じた。そうだよ、あの愉快なおじいちゃん(パパアイラブユー)屋台のおじさん(カルトワイン)だった人から「ミステリアス」「艶めかしい」なんて思う日が来るなんて思わへんやん!!

そのポテンシャルも、宝塚歌劇団に居たからこそ培ったものだとも思う。

演劇業界においての「宝塚のOG」の信頼度はあるだろう。他の外部の舞台を見ても、OGさんは声の出し方・振る舞い方、身にまとうオーラが違う。順応する力も高いと思う。ギャツビーの舞台を見て、役者さんの声の出方を見て全員が宝塚歌劇みたいに通る訳ではない。声の大きさと言うより「通り方」に違いがあるなと思った。宝塚歌劇団でしか得られない技術や培えない経験がある。だからこそOGさん達が大切に思っている。この気持ちもこの舞台で澄風さんを見て気づけた。

宝塚歌劇団として変わらなくてはいけない事は多い。

この考え方は変わらない。

劇団の数々の対応にはファンとして不信感を抱いている。ご遺族との話し合いが進む事、労働環境の事、時代に合わせて変えていくべきルール、変えていかなくてはいけない事は沢山ある。上下関係がハラスメントにならないよう、健全な関係性を保てるように環境を整えてあげて欲しい。こう言うと「あれもこれもハラスメントと言うと何も注意出来なくなる!」と言う声が上がるが、芸事へのストイックさと、人としての尊厳を守る事の両立は出来ると思っている。芸を磨く時には寝食を忘れ打ち込む事も必要かもしれないが、舞台人である以前に人として心身ともに健康であって欲しい。

やっぱり宙組が好きだ。

この気持ちを持ちながらも、一歩引いたところから引き続きその動向を見守っていくとする。この数年、私の生活の全てが宝塚歌劇団で宙組だった。余りにもそればかりで周囲が見えていなかった。少し距離を置いた事で今後の自分の事も俯瞰出来た。その上で宙組は私にとって大切なものだと言う再認識と、今後は「程よい距離感」を模索しながら、一日も早く胸を張って宝塚歌劇団が大好きだと言える日が来る事を願っている。