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子供に読ませたくて

本を買っています。

図書館で借りることも多いですが、最近は書評を読んだり、聴いたりで、購入に至ります。

「彼の名はヤン」
イリーナ・コルシュノフ

高校生の娘に、これは読むべきだと思い購入しました。
作者であるコルシュノフは1925年、ロシア人の父親、ドイツ人の母親のもとにドイツで生まれたということで、どちらからも仲間に入れてもらいにくい相当に困難なアイデンティティを持っていたようです。

第二次世界大戦末期のドイツで、17歳の少女レギーネが、労働者として強制連行されていたポーランド人の青年ヤンと出会い恋に落ちる、というのがあらすじです。

レギーネは一家揃って生粋のナチで、何かというと「総統のおかげです!」と言い合っています。彼女は大学受験のため勉強を頑張っていて、勉強が続けられるのは総統のおかげであり、彼女の家がちゃんと食べられるようになったのも総統のおかげなのです。ある意味それは真実であり、彼女の両親は子供時代にはいつもお腹を空かせていました。父親は空腹のあまり近所の農園に忍び込んで鶏を盗もうとしました。こういう環境で育ったレギーネがナチに傾倒するのはある意味必然だったのかもしれません。

しかし、教室に入る際に「ハイルヒトラー」と言わない生物学の先生が職を解かれ、ユダヤ人の友人やアカ(共産主義者)と認定された隣人はいなくなりました。

そんな緊張感の中、自分の街に空襲が始まります。レギーネは逃げる途中で空襲でポーランド人の青年に頼まれて怪我をした仲間の手当をします。
その後、食料をもらいに行った近所の農園でそのポーランド人と再会し、徐々に惹かれ合うようになりました。

彼の存在がレギーネが見ないようにしている事に目を向けさせ、境界線上にいたレギーネはとうとうあちら側に入ってしまいました。
そうすると、周りの人がどちら側にいるのか気がつくようになりました。
そこからレギーネの綱渡りが始まります。

彼女も彼女の母親も決して悪人ではないけれど、自分たちの生活を守るためいろんなことに目をつぶっているのです。

ポーランド人のヤンは、ヒョロっとして弱そうな青年です。
彼の父親はおそらくカチンの森事件で殺され、彼自身も連行されてドイツで四年も強制労働をさせられています。別れを告げることも出来なかった彼の母親はその間に死んだということでした。
彼は言います。

「きみ、お母さんを非難してはいけないよ」
レギーネは答えます。
「非難しちゃいけないって?
だってうちの両親にも罪があるわ。みんなに罪があるわ」

「罪ってどういうことだい?」
「ポーランド人だってドイツ人を殺している。憎しみに憎しみでむくいて、それでまた憎む。誰かが終わりにしなくちゃいけないんだ。きみ、ネズミ捕りの話(ハーメルンの笛好き男の話)を知ってるだろ?」

「ええ、でもうちの両親は子どもじゃなかった」
「大人になれない人は大勢いる。何かを約束してくれる相手に、だれであろうとついて行くんだ」

農場の納屋でこっそりと行われていた逢瀬はしかし、ある日突然終わりをむかえます。
かわいそうなレギーネ。
かわいそうなふたり。

この本の中にはこっそり助けてくれる人が沢山出てきます。

農場主のシュテフェンス
農家のヘニングのおかみさん
ドーリス
ビューラーの奥さん
ミュールホフ先生
年寄りの看守

慎重に、誰も見ていないことを確認して、それでもなお小さな声で。
みんな、多分食べるのに困っていない人たちです。
誰かを助ける、心に従って正しいことをするためにはまず自分が食べられないといけないのではないか。

農場主のシュテフェンスは共産主義者であることで、連れて行かれ転向しました。
「いいよ、いいよ、みんな昔の話だ。お前の父親もそのあと太鼓腹になったことだし。おれがアカと縁を切ったと、みんな、思ったから。そのとおりだ、少なくとも表面的にはな。だから、おれはここでこうしてのんきにしていられるんだ」
「おれの仲間のうち、何人かはちがった。おれみたいな卑劣漢じゃなかった。そいつらは、今、強制収容所か、とっくにおだぶつだ」

こんな時代に、自分の本当の気持ちなんか言えるわけない。
生活の知恵というものです。


レギーネは、また、息子を前線に出さねばならない母親たちから言外に息子と性交渉することを求められます。
これに応えたことが結果として彼女の命を救うのですが、綺麗事でないありのままの戦争が描かれています。
一個人として、困難の多い時代にどうやって自分の進む道を選んでいけばいいのか、深く考える道標になるのではないかと思いました。

最後に三人の会話を書いておきます。

「でも、相手はロシア人よ。ロシア人のすることったら」
「いけない。そんなことを言ってはいけませんよ、レギーナ」ヤンがさえぎった。
「いいロシア人もいれば、悪いロシア人もいる。いいポーランド人、悪いポーランド人…」
「いいドイツ人、悪いドイツ人」シュテフェンスが話をひきとった。
「戦争が終わったら、みんな悪魔にくれてやろうぜ、あいつら…」

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