将棋から考える人生
こんばんは、ずんずんです。
僕は将棋が大好きだ。
別に特段強いわけではないが、幼い頃におじいちゃんとやったり今では将棋のアプリを取って毎日20回以上は指している(将棋依存)。
なにせよ毎日毎日飽きずに将棋をしているわけで、よほど好きなんだろう。
そんな将棋を指していて最近思うことがある。それは
将棋の駒によって動き方や役割が違うように、人間も考え方や果たす役割(使命)が違う
ということだ。
(※将棋というのは自分の駒を使って自分の王様を取られずに相手の王様を取った方が勝ちというルール。もともと戦に使われたもので、チェスよりも奥が深いそう。それはチェスは取った相手の駒を使えないが、将棋は自分の駒として使えるから。)
まぁとにかく駒の動き方や役割が全然異なり、使い方次第で大きな力を発揮する。
飛車や角が強いとされているが、桂馬や香車なんかも使いどころによっては全然強い。
桂馬の両取りや香車の田楽指しなんかされた時にはお○っこちびりそうになる。勘弁してほしい。
そんなこんなで「自分を将棋の駒に例えるとなんだろなぁ」と考えてみた。
絶対的NO.1ポジションの「王様」や圧倒的な強さの「角」「飛車」がカッコ良くて良いなと思うけれど、自分はそんな力もないし才能もない。かといってトリッキーな動きをする「桂馬」の柔軟さや真っ直ぐ突き進む「香車」のようなハートの強さもない。
結局自分は「歩」なのかなと思う。
歩というのはたしかに弱いかもしれないし、実際弱い。
でも歩というのは「敵陣に向かって先陣きって突き進む」
のである。
その役割が
「とりあえず何事もやってみる」
をモットーにしてる自分のように感じたのである。
そしてもう一つ。
歩というのは相手の陣地に入ったら成金(と金)といって、金の動きをできるようになる。
そんな風に自分も
今は前だけ向いていろんなことに挑戦してがむしゃらに頑張って、いつの日か立派な存在になりたい。何者かになりたい 。
そして将棋というのは一つの駒だけでは戦えない。
色んな駒があってこそそれぞれの駒の良さが現れる。
それは人にも当てはまることだと思う。
相手なくして自分はいられない。
相手の強み弱みを知って考え方や役割を尊重し合って、助け合いながら生きていきたい。
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