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人はどこまで機械に支配されるか

ナビ嫌いな古い人間である。
もちろんGoogleマップは活用しているが、
スマホをハンドルには装着しない。
音声ガイドも苦手なので、インカムも無し。

そんな体質にギリギリ許せる(?)のは、
上写真のデジタルコンパスってやつだ。
大雑把な向かう方向を示したり、モードを変えると、
次曲がる道を示してくれる。
Googleマップをベースにしたアプリと連動しているのだが、
まあかなりエエ加減なところもあり、
正確さを求めるナビ依存人には許せない精度であろう。
ボクには、これぐらいのエエ加減さが丁度心地良い。
頼り過ぎず、参考程度というか。

人を的確に導くアプリやAIは、これからもどんどん発展するだろう。
最近少し栄養バランスを考えてみようと、
スマホに入れてみたカロリーアプリがとても優秀である。
無料でも、バーコードでカロリーを読み込んだり、
目標値に対してのその日の栄養バランスを指示してくれる。
健康を気にする人には、とても有用なアプリであろう。

が、しばらく使ってみて、
このアプリの指示するように食べている自分がいて、
なんか違うかなあ、息苦しいなあと感じてきた。
実は、指示通りにして体調が悪化傾向になってきたのだ。
アプリに合わせて無理して食べようとしていたからだと思う。
(お腹いっぱいなのに、カロリー不足だと叱られる)

あっ、これってドライブナビと同じ不快感だ!と思った。

今お腹が減っているのか?をアプリに頼るのではなく、
自分の腹具合に問いかける。
アタマでは減っていても、身体は違うなって気付けることも多い。
あれ?なんか、果物を身体が欲しがっている?と感じて、
バナナを食べてみたり、みかんを買ってみたり。
(多分ビタミンを身体が欲している)

運転も健康も、ナビの便利さが、自分への自然な問いかけを阻害している。

「俺のハートがNOと言う」
https://kataokayoshio.com/contents/135

機械的には正しくても、自分的には違うのだ!ってことって、
あるんじゃないかなあ。
と、現文明に虚しく抗うのである。


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