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的中率が半端ない子安山地蔵院

こんにちは。らんぷです。

今日は、お地蔵第三弾です


子授けと言われるお地蔵様です。

三重県津市にある子安山地蔵院

子安地蔵院(津市)概要: 地蔵院の創建は不詳ですが伝承によると天文年間(1532~55)、当時の領主乙部藤政が自ら信仰した子安地蔵尊を居城跡(中河原城)である現在地に堂宇を設けて祀ったのが始まりと伝えられています。藤政は夫人が懐妊すると子安地蔵尊に安産祈願をし見事念願成就した故事から安産、育児に御利益があるとして広く信仰されるようになりました。本尊である絹本着色地蔵菩薩画像は鎌倉時代に制作されたもので国指定重要文化財に指定さrています。境内には正徳年間(1711~16)に再建された本堂や古墳時代後期の古墳に安置されていた家形石棺を利用して彫られた石棺仏、江戸時代の宝篋印塔などが建立されています。

周辺ではすごく有名です(多分😁)

らんぷはこちらに20数年間毎年通っていました。

長男がお腹に入る半年前から三番目の子が15歳(元服)になるまで、
最低でも毎年1回通った地蔵院です。

元服とは
年齢は地域や時代によっても異なりますが、12歳ごろから15歳か16歳までの間に行なわれた元服は、「大人になる」「男になる」儀式と言われています。
儀式では、子供の髪型の代名詞である「総角」(あげまき:古代~平安時代における未成年男子の髪型のひとつ)から髪を結って、冠を着けます。
衣類は、「闕腋」(けってき)と言って両脇の下を縫い付けないで、開けたままの服から両脇が縫い合わせてある「縫腋」(ほうえき)へ変わります。「烏帽子」(えぼし)も成人男性には欠かせませんでした。
烏帽子とは、和装で礼服を着る際に成人男性がかぶっていた帽子のことです。
初めは薄い絹製で、あとに黒漆を塗った紙製へと変化します。また、庶民の烏帽子は麻糸を織った物で作られていました。公家は、参内での公務は冠をかぶるため、烏帽子は普段着用のかぶり物として使います。
一方で武家は、公務の多くを幕府などで行なうため、普段、公務ともに烏帽子を着用していました。
烏帽子は成人男性としての象徴であったため、鎌倉時代頃まで素材は異なりますが、公家、武家、庶民の誰もが日常で着用していました。
烏帽子をかぶっていなかったのは、僧侶または烏帽子もかぶれない貧民であったと言われています。
元服の儀式を終えると、幼少期の名前を改め、鳥帽子親の名前から1字を貰い、今後は成人男性として「烏帽子名」(えぼしな)を名乗ることになります。


結婚して直ぐに母に連れていかれた(👈ココ注目)地蔵院です
勿論、夫婦で(と、いうのも恥ずかしい頃)👈こんな頃もあったらんぷ😁

子供が早く授かるようにと1回目祈祷(2月)

 子供は4月/7月/10月に授かると住職からのお告げ😮
    この時点では夫婦共
         「ホントかぁ?」と半信半疑(誠に失礼いたします😓)

※4月に妊娠発覚😊

2回目 お礼に祈祷
 安産祈願 この時胎児のお札を授かる
  お札の中の色が黒だと男の子/赤だと女の子と言う言い伝えがあります


 ※中を開けて【黒】10月に長男出産
   この時主人はまだ、半信半疑(たまたまじゃないんですかぁ🙄)

長男が産まれてからは、毎年誕生日に祈祷してもらいお守り交換に。


3年後長女出産
  ※中のお札【赤】7月生まれ
    この時、主人は無言😅


2年後次男出産
  ※中のお札【黒】4月生まれ
    この時、夫婦で顔を見合わせる😳

   スゴ~イ😆

うちの場合ですが、大当たりでした(👈これも失礼😅)

というわけで、次男の元服まで4月/7月/10月と必ずお参り

元服すると、大人用のお守りがいただけます。


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