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【23歳教師】離任式を終えて

先日、離任式があり行ってきました。

離任式のことを思い出すと今でも涙が出てくるくらい、寂しくて、本当にこれで良かったのかと考えてしまいます。

怒涛の社会人1年目生活をnoteに残し続けてきたので、辞めたところまで記録に残したくて、書くことに決めました!

離任式を迎えるまで

私は1年で本当に多くのことを経験しました。教員として、担任として、部活の顧問として、社会人として。いろんな顔を持ちながら1年過ごしてきました。

だから離任式で何を話そうか、そもそもたった1年で辞める私が、想いを熱く語る資格なんてあるのだろうか。

春休みの2週間、ずっと考えていました。

結局前日も内容が固まらず、朝の通勤時に携帯のメモにバーッと書き出しました。

私は割とギリギリになると良いアイデアが浮かぶタイプで、授業で使う話題や発問も毎回朝の電車の中で考えてました。

本当は前もって準備したいのに、結局できずに朝にやることが多かったので、脳のリズムが変わったのかもしれません。笑

最後までギリギリだなーと思いながら、でもやっぱり通勤時に考えると不思議と伝えたい想いもまとまりました。

職員室での挨拶は

一緒に働いてきた、他の先生方の前での挨拶が一番緊張しました。

職員室に入るとそこには私の日常があって、お世話になった方々の姿もあって、けど私の名前も、席もなくて。

そこで初めて、辞めたことを実感しました。

異動される先生や勇退される先生は「何年間勤務されました」という風に働いた年数と合わせて紹介されました。

私にとってはびっくりするくらいの長い年数働いてきた先生方に並んで、たった1年で退職する自分がとてもちっぽけに思えました。

退職する理由も、シンプルに「キツかった」だからです。どれだけ自分が甘いのか痛感しました。

挨拶の前から涙目になってしまいましたが、自分の挨拶の時は泣かずに話せました。でも、声も震えて、どう思われてるのか不安でいっぱいでした。

挨拶では、みなさんへの感謝と、担任としてやってきた1年間の振り返りを伝えました。

担任。最初は不安で仕方なかった。

私には荷が重くて、仕事量も半端なくて、どれだけ辛くても毎朝教壇に立ち続けなければなりませんでした。

経験があれば、もっとできたのにとか。1年目から担任は無理だとか何度も思って、でもそれを言っても仕方なくて。

私には1年やり切る道しか残されていませんでした。

何度も心折れて、休職を考えたりもしました。私が担任じゃない方がいいと思う瞬間が、何度もあったからです。

子供にも申し訳なくて、こんな担任でごめんねっていつも思ってました。

それでも、1年間なんとかやってこれたのは、周囲の方々の優しさに助けられたからです。

途中で投げ出さずに1年続けられたからこそ、担任としての喜びにも気づけました。

行事でクラスの成長を感じられたり、クラスの子の部活を見に行くと喜んでくれたり。

「来年も先生が担任がいい!」って言ってくれる子がたくさんいたのも本当に嬉しくて。

なんで私が担任なんだろうって何度も何度も思ったけど、最後にはやってきて良かったなって思えました。

そう思えた職場環境と子供たちには、本当に感謝しかなくて。ありがとうの気持ちでいっぱいです。

職員挨拶のあとは、色んな先生方に、また教員戻ってきてもいいんだよって声をかけていただけました。

気づけなくて、何もできなくてごめんねとも言われました。謝るのはこっちの方なのに、本当に優しい職場だったんだなと思いました。

恵まれた環境に居させていただけたことにも、当時の自分は気づけませんでした。

それくらい毎日いっぱいいっぱいで、忙しくて、誰にも頼れなくて、いつも一人ぼっちの気持ちでした。

1年目の仲間がいなかったことも、寂しさの原因でした。でも、周りに素直に頼っていれば、何か変わっていたかもしれません。

そのことに気づけて良かったなと、今は思うようにしています。

体育館で生徒への挨拶

次に、生徒の前での挨拶でした。

ここが本当にやばかったです。

生徒の顔を見るなり泣きそうになりました。

2週間会えてなかったから久々にみんなの顔を見れて嬉しくなったからです。

でも挨拶前に泣くのは絶対違うと思ったので、グッと堪えました笑

式が始まる前も体育館の外で、何人かの生徒に「辞めないで!」「悲しいです」って言われて、嬉しさと心苦しさの両方が込み上げてきました。

私の挨拶のときには、担任をしていたクラスのムードメーカーの生徒が2人、お手紙と花束をくれました。

2人の顔を見て私は我慢できなくなり、号泣してしまいました笑

お手紙を聞いていると、1年間の思い出が次々に浮かんできて、もう堪えられませんでした。

自分の挨拶の番になって、泣きながら話しました。大人になってからこんなに泣いて話す日が来るとは思いませんでした。笑

1年間本当にみんなと過ごせて楽しかったよっていうのと、みんなにたくさん助けられたっていう話をしました。

みんなの顔を見ながら、しっかり話せたかな。みんなの目に、どんな風に私が映ったのかな。

とにかくみんなが大好きだっていう、一番伝えたかったことを言えたので、とりあえずは良かったのかなと思います。

終わった後、生徒と少し話す時間があったのですが、「スピーチ聞いて泣きそうになりました」って言ってくれたり、「頑張ってください」って言ってくれたり。

みんなと話すたびにまた泣いてしまって、弱いところを見せまくった時間でしたが、「また会いましょう!!」って言ってくれた子もいて。

確かに、これが最後じゃない。また会える!と前向きに思うことができました。

離任式を終えて

こんなにお別れが寂しくなるのなら、辞めない方が良かったのかなって、どうしても考えてしまいます。

自分の決断を後悔したくない。半年以上悩んで出した決断なら、後悔は絶対にしないと決めていたからこそ、そう思ってしまう自分を認めたくありませんでした。

ステージ上から生徒の顔を見て、卒業まで見たかったなという気持ちがどうしても捨てきれなくて、寂しくて、家でも1人で泣いてしまいました。

でも私には、どうしてもあと2年頑張る力がなかった。体力的にも精神的にも、やっぱり限界でした。

2年目から楽になると世間ではよく言われるけど、1年目より任される仕事が増えるのなら、私は楽になるとは到底思えませんでした。

でも、3年間頑張った先に、子供達の卒業式が見れるのなら、それはもう今以上の感動が待ってると思います。

それを経験してみたかった。2年目として頑張る私を見てみたかった。でも、やっぱ無理だ。その繰り返しです。

結局、離任式から何日か経って「人生に正解はない」「何を正解にするかは、自分次第」ということに気づきました。

この選択が正しかったのかなんて、誰にも分からない。でも正しくできるのは、自分しかいないということ。

「あの時辞める決断をしたから、素敵な今がある」と思えるような人生を、今後送っていきたいなと思いました。

生徒にも、「先生すごいな!」って思ってもらえるように。「中1の時の担任、すぐ辞めたけど、今すごいんだよ!」って自慢してもらえるように。

あんまりハードルは自分であげないほうがいいけど笑、でもいつまでもかっこいい先生でありたいなと思えました。

生徒たちにがっかりされないような生き方を選択していくことが、辞めた私にできる唯一のことかなと思います。

そういう風に、自分の今後の人生を生きていく上でのブレない軸ができたことは、私の財産です。

最後に

4月からは短期留学に行ってきます。

大学時代はコロナで留学がキャンセルになったので、初海外、いろいろ経験して楽しんできたいと思います。

そこでじっくり、今後の人生について考えていこうと思います。

ここまで読んでくださり、ありがとうございました!

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