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殻をひとつ破る

先日、バトンズ・ライティング・カレッジ(バトンズの学校)のオンライン新年会があった。対面ではなかなか会うことが叶わない各地にいる仲間とも久々に顔を合わせるなど、今回もありがたく素敵な時間を過ごした。

個人的に予想外だったのは、「エッセイ読んだよ、よかったよ」と色んな人に言っていただけたことだった。あのときはなんだかものすごく照れてしまったのだけれど、時間が経って振り返るとうれしくて仕方ない。

エッセイというのは、「チキン」をどこかしらに入れたnoteを、2024年1月3日内に「 #バトンズの学校同窓会 」というハッシュタグを付け投稿するという、有志の企画で書いたものだ。

「彼」とのふたり暮らしに向けた、いまの自分の現在地と、これまでの葛藤やうれしかったこと、覚悟、そういうことを詰め込んだ。

最近は実際に不動産屋にヒアリングをしてもらうなど、まだゆっくりではあるけれど着実に進んでいる……と思う。どんどん現実味を帯びている。

新年会でグループに分かれて雑談をしていたときに少し話をさせてもらったのだけれど、あのエッセイを書く前と後で、葛藤があった。それは、「この場(noteで)身近な人のことをどこまで書いていいんだろう」、そして「本人に伝えるべき(許可取りをすべき)なのか」ということだった。

誰かと写真を撮ったときに「SNSにあげてもいい?」と聞くか聞かないかということとかなり近い。

「いつかこの人のことを書いてみたいな」も思いながらも、なかなか踏み出せずにいた理由だ。

あのエッセイは自分にとって、初めて(SNSで繋がっていない)近しい人のことをくわしく書いたものだった。

書き終わった後、色々と耐えきれなくなって、彼にエッセイの存在を伝えた。彼がわたしの文章を読んだのは、そのときが初めてだった。

所属している社外コミュニティやそれに付随するイベント、SNSで出会った人を除いて、身近な人に、こうやって自分が毎日noteを書いていることを知っている人は、実はかなり少ない。

仕事以外の文章を、自ら見せることへの恥ずかしさは、正直かなりあった。けど彼が読んでくれたとき、「泣きそう」と言ってくれたとき、心底脱力したことを覚えている。同時に、ひとつ殻が破れたような気もした。企画が本当に、ありがたい機会となった。

書く前に伝えるのか、書いてしまってから伝えるのか、それはもうケースバイケースなのだけれど、詰まるところ、誰かに堂々と見せられる文章を目指さなければならないなあと、そんなことも思ったできごとだった。

今日のヘッダー。タイトル(殻)にちなんで、卵が写っている写真を選びました

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