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インターネットにしか居場所がなかったガキが(20年後)おばさんになったよ

やたら長いがインターネット老人会的な記事なのでなんか申し訳ねぇ。20年て、、て感じですが初めて2ちゃんねるに接したのが2001年頃なので20年ですね。怖いですね。自分、太って目が垂れてきた以外20年前とほぼ変わらないノリなのも怖いですね。人の成長とは……???


昨年2021年、長く使ったtwitterをやめた。

理由はひとつではない。
まず2018年頃にわたしのツイートをコピペ保存していたヤベェやつがいる。その事実を知った時に「あ、わたしって本当にこの世に存在してたんだ」と謎の感動があり、いつやめてもいいなと思ったのだ。ちなみにそのヤベェやつは今は友人の草ふぇです。


知り合いたちに「フォローしてないけどみてるよー」と言われてウォッチされてるのは知っていたんだが、140文字の断片から勝手な想像で噂を広められたりしてとても気分が悪かった。AちゃんがFさんにわたしが重度精神障害説のあるキチガイ(その辺のことは発達関係で病院行った時に前の病院での誤診でいろいろ大変だったこともあるので、これとは別の機会に書くかもしれないけど未定)だと言ったこととかが直接耳に入って怖いなと思った。そういうことを告げ口してくるやつもだいぶクソなんだが。。勝手なことを言われるのが嫌だと思うと文章が長くなる。twitterの140文字はただの誤解を生む断片でしかない。スレッド投稿が多くなり疲れていた。

そしてある女性がわたしとの話題を合わせるためにツイートを熟読してるっぽいことも判明した。あるピンポイントな言い回しで気づいてしまったのだが、その時密室にいて逃げられない状況だったので変な汗をかいたのを覚えている。普通に「みてるよー」て言ってくれる人なら恐怖は感じなかったと思う。今までの会話全部、それとなく合わせてきてたんだなって思ったらとても怖かった。その人はお金持ちで、わたしは環境と治安の悪いところに住んでる底辺で、そこまでしてわたしと仲良くするメリットもないだろうし。なんだったんだろうな。


そんな感じでtwitterもう無理って気持ちが積もり積もっていたところにちょっとムカつくことがあって、暴言を書いてしまうのを避けるためにしばらく草ふぇにアカウントを預けた。

草ふぇは以前勝手にわたしの写真を上げるインスタもやってて(ビビるがマジなんだぜ、これ、、)、周囲の人にはわたしが自分で自分の写真を上げるインスタを始めたんだなぁと思われたかもしれない。正直その辺の説明するのもめんどい。twitterのIDとパスを草ふぇに渡したが、何かあった時に人に説明するのもめんどい。そのままtwitterは消してもらうことにした。今は無事消えて清々しています。

余談だが、陰口大好きマンたちのことは表向きどんなにいい人でもプレゼントをくれても信用出来なくなった。正直悲しいことだから認めたくなかった。けど一度きちんと認めようと思う。陰でわたしを笑っていてもいいところもある人だから仲良くしなきゃ、と思うのをやめるのは勇気がいる。ま、あの人らから見たらわたしは暇つぶしの話題のタネでしかなかった可能性もある。そういう意味で草ふぇはストーカー気味だったけど誠実に接してくれててありがたいと思う。こういうことを考えられるようになるまでとてもとても時間がかかった。今後もわけのわからない人間関係に巻き込まれることはたくさんあるだろうが、自分の存在を理解して大切にしてくれる人をきちんと見極めることが肝心と思う。疑え、不誠実な人間には中指を立てろ。すげぇ脱線した。

2021年にtwitterをやめるまで、アカウントは何度か変えたが長く使った。本格的に使いだしたのは2007年4月だった。2006年にもアカウントを取得していたが日本語で使ってる興味深い人を見つけらんなかったし、ちょっと使いにくいかなと思って放置していた。これはtwitter以前の話だが短い投稿をできる一行掲示板cgiも配布されていたし、自分のサイトに組み込んでひとりで使えればそれでいいような気もした。2007年にtwitterをガチ目に使い始めてから2021年まで、他人と交流する気はあまりなかった。フォロワーが増えてもフォロー返ししなかったのは感じが悪かったかもしれない。リア友すらフォロー返ししなかった。わたしの入れたい情報は友人の近況ではなかった。でもたまにリスト巡回はしてたから自分では問題ないと思っている。


少し遡るが、自分のサイトに一行掲示板cgiを組み込もうかと考えていたのも人と交流したくなかったからだ。見た目を掲示板っぽくしなければ単純に短文が連ねられているページに見せることが出来る。書き込みフォームは隠してパス付きで制限してしまえば自分だけのものだ。毎回ちょろっとした文章だけのためにHTMLを更新するのがめんどかった。FTPソフト立ち上げなあかんし。家族共有のPCだったので誰かがPCを使ってたら作業出来んし。携帯から自サイトの書き込みページにアクセスして文章の投稿が出来ればそれでいいかなと考えた、ということです。


最初に触れたネット文化が2001年くらいの2ちゃんねるだったので、半年ROMってもオンラインで積極的に人と交流する気になれなかった。音楽系の板しか見てなかったけど、わりと殺伐としていた記憶しかない。でも質問には答えてくれる人が多かったので無事に知識を得てたくさんの音楽と音楽についての雑学を得た。でもま、この文章ではその話はしない。


自分のサイトを初めて持ったのが2003年ころだったと思う。適当にググって得た知識でHTMLを書いた。知りたいことはGoogleに聞くのは鉄則だった。質問したらググレカスの世界だ。と今も思う。出来上がったのは特になんてこたないガタピシのサイトだ。好きな音楽を紹介して好きなレーベルにリンクを張ったのを覚えている。たまに韓国のサーバーを使ってネットラジオみたいなんをやった。国内サーバーだと音楽をかけられないので海外のサーバーを借りてwinampでShoutcast配信が基本だった。今では誰でも配信をやるから、当時を思い出すと考えられないほど不自由で地下感がある。なんかwilcoをかけると喜ばれる流れあったけどアレなんだたんだろw wilcoは今も好きだな。


サイトの中に何か毎日更新できるコンテンツがあればと思って絵日記を始めた。200px*200pxの小さい絵を毎日描いた。題材は主に夢だった。しかしやはり毎日HTMLを更新すんのはめんどかった。絵日記は初期のはてなダイアリーに移行して、そこからも数年続いた。今見たらHDに残ってるのは2004年から2009年までの絵だな。はてなダイアリーはほんとに初期だったと思うが、ユーザーアンケートに答えたらクオカードかなんかが送られてきて実家だったので焦った記憶がある。実家では人権がなかったのでよくわからない企業から金券が送られてきたのがバレたら追及される可能性があった。てかあの人たちたまに人の郵便物勝手に開封の儀やるから自分が最初にポスト開けてよかったなぁ。はてなダイアリーはたまに知らん人からコメントがついたりして最初は嫌だった。でも好意的な人が多かったので段々慣れた。


ちなみに当時絵日記に描いていた絵は手のひらサイズにプリントしてパネルに貼ったものを美術館の企画個展で展示した。展示したものは厳選して2/3くらいだったと思うが、並べてみるとけっこうな量になっていた。自分こんなに夢の絵描いたんだなwと笑えた。今思うとあれは現実逃避のための夢日記なのだが、戦うための武器になっていったんだと思う。今までの人生で指折りのいい絵を描いた時期だと思う。マウスで描いてたのを差し引いても下手だったけどね。


家族も学校も田舎も居場所なかったし人権ないからインターネットと絵しかなかった。バンドやって実家出てもこの世から必要とされない人間だと思ってたから10代20代は本当にきつかった。今もやってること変わらんし要らないおばさんかもしれんけどな。どこにいても何をやっても地元から遠いトコに住んでも「おまえなんか価値のない人間だ」ってこれからも言われてしまうかもしれない。戦うために作品を描いてたけど、これからもそうかな。どうだろう。戦う必要のない人生ならよかったと思うこともある。常に武器は磨いてないと錆びる。そういうことにも疲れてくる。でもどのみち、こういうはみ出してしまった人間が生きるってことは戦うことでしかないのかもな。だってアーティスト村の中でもハブられんだぜ。。


というわけで、昔の地獄みたいなインターネットを思い出して自サイト更新しました。

でも絵を描いてる人ですよていうのもわかるようにしなきゃいけないんでソフトな地獄にしてます。

アーカイブは2004年からの絵を整理していますがまだ途中抜けてるので(2018年、2019年がリアル地獄だったのでまともな写真が残ってなかったりする)掘り起こし次第近日中に追加で更新します。今ある程度まとめてるけどけっこうな量になりました。

http://qune.moo.jp/

追記。今回のサイト大規模工事はサーバーのプラン変更から始まった。今自分の手元にある絵のデータを一括管理したかったので、ひとつ上のプランにした。とりあえず今手元にあるデータはアップロードしておいた。インスタとか外部サービスはサービス終了したら消えてしまうので怖い。まぁサーバーもお金を払い忘れたら消えるが、手元のパソコンには作成したデータがすべて残る訳で。
久々にいじって思うのはやはりサイトを作るのは楽しい。これはアレだ、自家製本楽しいと感じたことに似てる。本を作るとき、ブツとしてどう綴じるか、全体のバランスをみて次に何のページを持ってくるべきか考えながら組み上げる。あの感じに物質的なものがないだけで同じ。わたしにとってはある意味どちらも作品みたいなもんなので似てるのかもな。作品なのでサイトにもコンセプトがあります。見やすいサイトにはなってないかもしれん。でも昔のアングラサイトをイメージしたので許してほしいな。。チカチカして見にくくて隠しページとかあったやんか。。そういうテンションで作っていけたらいいなと思ってるw

生きていたいし絵を描きたいし文章書きたいしごはん食べたいと思う。