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㉖高田松原津波伝承館

施設向かって左側が伝承館となっており、入場は無料です。検温と消毒を済ませ、中に入っていきます。最初のテーマは地震のしくみと歴史についての展示でした。地震の発生するしくみや、世界でどのような地震、津波災害が起きてきたのか。この部分はまさに博物館的な作りで純粋に知識として楽しめました。

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そして岩手県三陸沖に注目してみてみると、三陸沖を襲う津波はかなりの高頻度(近年は約40間隔)で襲来していることがわかります。東日本大震災の一つ前の被害はチリ地震津波(1960年)だったようです。

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そのような歴史もあり三陸地方にとって津波は身近に存在するものであったといえるでしょう。三陸のいたる所に過去の津波災害を伝える石碑があちこちにみられます。ある意味三陸地方の人々は津波には慣れていたとも考えることができます。岩手の方言で「てんでんこ」という言葉があります。それは津波が来たらてんでばらばらでいいから早く逃げろ、ということを意味しているそうです。「てんでんこ」といったことばに現れるとおり、三陸地方の人々は海とともに生活を営んでいたわけです。

実際に避難訓練も定期的に行われている市町村も多く、洋野町に至っては全町民死亡、行方不明者ゼロだったということです。津波災害の歴史かかなり伝承されてきているんだなという感触を覚えました。岩手三陸地方は町の人口も少なく、地域のコミュニティが強かった。「てんでんこ」という言葉が伝承されているということは、親から子、または孫へ繋がっていく流れが存在していたのでしょう。

実際に展示内容も災害に対する真摯な姿勢が感じられました。当時の状況をていねいに伝える。被災者の声、そして救援までの流れ、くしの目作戦といわれており、国道から遠野しをバックアップ拠点とし、そこからの援助を行った。消防団による救援も多くなされた。地域のつながりが様々のところで役に立ったということでしょう。

そして最後の展示が秀逸でした。今までの施設でこのような展示はなかった。それはつまり、災害発生から初動、最中、現在に至るまでの運営方法の反省が展示されていたからです。例えば、救援しようにも、被災現場との連絡手段が途絶えていたこと。三陸地方の入り組んだ海岸性に沿って建つ住居は道路の寸断ですぐに孤立する。しかも平地が少ない三陸は上からの物資援助も難しい。

ボランティアを要請したいが、そのための支援体制が未整備だった。海外からの救援受け入れ体制も脆弱だった。避難所での運営の仕方が現場にまかせきりだった。などなど

運営側の自治体からの視点で災害時の反省と教訓が時系列、分野別に展示されている。そして最後には岩手県からの提言ということでまとめて書いてあった。

災害に対する姿勢が他の県よりも前のめりだと感じた。岩手県の震災アーカイブとして専用サイトがあり、県内の震災関連の情報がまとめられてある。当時の新聞の情報や、各地の震災状況など。このようなポータルサイトは震災関連の情報を集める上でとても助かるし、便利だし、わかりやすい。

震災関連の情報を探すには各自治体のサイトに飛ぶしかないけど、ここはそれが一元管理されている。これはとても見やすい。さらに岩手県は県の条例で「3.11を語り継ぐ日」ということを制定している。確実に後世につなげていく。そのような確固たる意思を感じます。伝承館等を建てても訪ねる人しか意識が上がらないので、こういったしくみからアプローチするのはいい取り組みなのではないでしょうか。

震災探訪最後はきれいに納まりました。

ありがとうございます。