サカウエ

サカウエです。 こちらもやっています https://substack.com/pro…

サカウエ

サカウエです。 こちらもやっています https://substack.com/profile/41944724-kazumi-sakaue

マガジン

  • 東北見聞録2022.3.9~3.19

    福島・宮城中心に見聞した記録です

最近の記事

おまえは立っているのか、座っているのか.

一週間飛ばしてももうた。すまんのう。ゆるしておくれ。 ちといそがしうてのう(甥っ子が遊びに来ただけ) しかしあれじゃのう。珈琲がうまい店は仕事がはかどる。 最近は職業聞かれるときになんて答えるかまよいます。もちろん学生っちゃ学生なわけですが、学生にしてはちと落ち着きすぎではないか。いったいいくつ留年しとるんやという感じですね。「大学7年生です」と言った方が逆におもしろいかもしれません。いやむしろ学徒と言ってみようか。今度誰かに聞かれたらそう答えてみようと思います。 今

    • ㊱「被災地」に関する補記

      被災した地域。被災地と呼ぶ。震災の被害を受けた地域は「被災地」と呼ばれる。3月になって僕は震災のことを考えてはきた。と同時被災地のことも考えてきたつもりである。被災地という言葉自体も一般教養語と化しているし、被災地イコール東北という等式は一般的に成り立っている気がする。そうして震災や被災地のことを考えてきて、最近感じはじめたことは、したら今呼ばれている東北の被災地はいつ「被災地」でなくなるのであろうか、という疑問である。つまり東北はいつ被災地と呼ばれなくなり、ただの一地方とし

      • ㉟東北の灰汁力

        僕自身今まで東北には縁がなかったし、興味もあまりありませんでした。もっというと東北へ行く手段が少ないことも障壁の一つとなっているかもしれません。西ならLCCとか高速バスでふらっと行けそうな感じですが、いざ東北となるとLCCもないし、行くのにも時間かかるし。何より閉ざされていそう、そんなイメージでした。まさに雪国といった印象でようか。冬はじっと家にこもり、粛々と過ごす。明らかに関東、西日本とは違う。そんなイメージも相まって東北に行こうとなりませんでしたし、どこに行けばいいのかも

        • ㉞男鹿へ向かう

          前日の地震から一夜明け、テレビを着けるとやはり地震ニュースやっていますね。震災から11年目に同じような地震が起きることにザワザワします。自然の猛威は感じます。 地味に茨城県の震度5弱のようです。親は普通に大丈夫そうでした。津田大介氏がツイッターで呟いてましたけど、石巻の友人に連絡とったら、避難経路に大勢いて結構大変だったようです。避難経路がうまく機能していなかったと。 自然災害はいつだって突然起こる。自然災害は期せず発生するので、自然災害には慣れることは難しい。そのための

        おまえは立っているのか、座っているのか.

        マガジン

        • 東北見聞録2022.3.9~3.19
          37本

        記事

          ㉝青森~秋田

          青森を後にして、秋田にやってきました。秋田も初めて来ました。秋田市は人口30万人いるそうです。そしてそれほど寒くない。 旅の前半は疲労困憊していましたが、後半になってくるともはや疲労を感じなくなりつつあります。疲労がたまりすぎてトリッパーズハイになっているのかはわかりませんが、家に帰ったら疲労が爆発するかもしれません。そのようなこともあって本日は早めに就寝することにしました(にしても11時だけど) そして虚ろ虚ろなっていたときになんか揺れ始めました。最初はゆっくり横揺れし

          ㉝青森~秋田

          ㉜青森へ

          八戸に別れを告げ、青森に立ち寄ってみようと思います。青い森鉄道に乗って、1時間30分。車窓を眺めていると徐々に雪深くなってくることがわかる。車窓を眺めてきれいだなと思いつつ、なぜか座先の熱さが気になる。ずっと座っていたら低温やけどするかと思うくらい熱い。外が寒から中を温かくしているのだろうと思うが、ちょっと熱すぎ感も否めない。乗客の一人も座席からからだを少し浮かせている。この人も熱いと感じているのだろうか。耐えきれず後半の30分は立っていた。冬の青森で熱さに戦うことになろうと

          ㉜青森へ

          ㉛蕪島

          砂浜を抜け、葦毛崎展望台に着いた。戦時中に使われたものらしい。確かに年季が入っている。 展望台を後にして歩いていると、カモメの大群が現れた。すごい大群だ。 これはウミネコらしい。カモメとほとんど一緒だと思うけど、どう違うのだろうか。さらに進むと、何やら海に飛び出した半島(蕪島というらしい)の上に神社がある。ウミネコの繁殖地としても知られ、国の天然記念物指定されている。 そういえば至るところにフンのあとがある。5月頃にはウミネコと青空のコントラストが美しい光景が楽しめるそ

          ㉚種差海岸遊歩道

          今さら言うのもあれなんですが、僕はあまり海鮮丼は好んで食べません。食べるのは好きなのですが、あまり食べようとは思わないです。それはシンブルに冷たいからです。僕は海鮮丼よりも、海鮮丼についているあら汁とご飯と肉じゃがと漬物の方が好みます。身体が温まります。 まさに三陸地方一体は海鮮の宝庫なんですよね。主要産業が漁業。魚市場もたくさんありますし、どの地域でも海鮮を売りにしていました。見る分には楽しいです。切り身としての魚は知っていても、実際に魚のまま見ることは意外と難しいですよ

          ㉚種差海岸遊歩道

          ㉙いざ青森

          陸前高田を後にして、さらに北上していきます。もうここから後半戦に移ってきます。前半で十分お腹いっぱいになったので、後半はただの旅行になってきます。ゆるっと、どろっとぶらっとしていきます。 人生で初めて青森県にやってきました。人生で初めて北緯40度まで来ました。今まで青森のことは、なんかトンカチみたいな半島があるくらいの存在でした。本州最北端は結構遠いと思っていましたが、案外着いてしまうものです。 今回は青森市でも、弘前市でもなく、八戸市に向かいます。最近八戸市に興味があり

          ㉙いざ青森

          ㉘これまでの雑感[防潮堤・過疎・まちなみ]

          これまで福島、宮城、岩手と震災の津波被害と原発被害に遭った3つの県をまわってきた。どの地域も復興の道筋は見いだせない中で、いろいろ新たな挑戦だったり、地域コミュニティの再建だったり、もがいている状況がある。あっという間に11年の月日が経った。 まずは①原状回復、②住居確保、③仕事創出。基本この流れ。そして11年目の現在において①と②がようやく終わりそうという感じ。そうはいっても11年が経ってしまった。以前に住んでいた場所の記憶も薄れつつあり、さらには街並みも全く別のものにな

          ㉘これまでの雑感[防潮堤・過疎・まちなみ]

          ㉗高田松原津波復興祈念公園

          伝承館を後にして、公園を散策した。まず度肝を抜く一直線の空間。この空間「祈りの軸」と呼ばれる。一方で、伝承館がある建物を横軸に取り「復興の軸」としている。この2つの軸を主軸に組み立てている。曰く、 まさに入り口から200m弱あると思いますが、その道を歩むことによって徐々に奥宮に踏み込んでいる感覚を覚えました。まさに伊勢神宮みたいな感じですよ。川渡ってかたしばらく歩かされますけど、歩くことによって日常から非日常空間に踏み入れることができる。そして階段を昇った先には眼下に広大な

          ㉗高田松原津波復興祈念公園

          ㉖高田松原津波伝承館

          施設向かって左側が伝承館となっており、入場は無料です。検温と消毒を済ませ、中に入っていきます。最初のテーマは地震のしくみと歴史についての展示でした。地震の発生するしくみや、世界でどのような地震、津波災害が起きてきたのか。この部分はまさに博物館的な作りで純粋に知識として楽しめました。 そして岩手県三陸沖に注目してみてみると、三陸沖を襲う津波はかなりの高頻度(近年は約40間隔)で襲来していることがわかります。東日本大震災の一つ前の被害はチリ地震津波(1960年)だったようです。

          ㉖高田松原津波伝承館

          ㉕気仙沼~陸前高田へ

          本日は気仙沼を後にして、一路陸前高田市に向かいます。奇跡の一本松でご存知の方も多いかもしれません。いまは奇跡の一本松は切られてしまっていますが(※枯死していますが、伐らずに展示してありました)、そこには新たに伝承館が建っています。今回の旅で訪ねる最後の伝承館なので、どのようなものか体感してみようと思います。 到着。まずすごい。ここの伝承館は何がすごいというと、まず外観ですね。余分なものを削ぎ落として、直線美といいますか、抽象的で概念的な雰囲気を感じます。海岸線までどこまでも

          ㉕気仙沼~陸前高田へ

          ㉔K-port

          語り部を終えて、もう一つ行ってみたい場所があったのでそちらへ向かった。気仙沼市津波復興祈念公園である。 この公園は石碑と犠牲者の名前が記された石碑がある公園。丘の上に立っており、気仙沼湾を一望できる。復興祈念公園として街全体が見渡せること、津波に巻き込まれることがないような高台に建てられた。シンプルな作りだが、余計な装飾はない方が、追悼する際にはいい。今日はあいにくの天気だったが、晴れていればなかなかの景色であることは間違いない。 気仙沼いいとこだと思います。そして気仙沼

          ㉓気仙沼の語り部

          気仙沼でちょうど語り部を開催中とのことだったので参加してみました。参加者は8人で、みなさん各地から来られているようです。実際に被災したガイドの方の話。現場を回りながら、ガイドさんの当日の行動をみんなで辿ります。 彼は震災当時、観光協会で働いていた。そこに地震が来て、まず頭によぎったのは、 「息子大丈夫だろうか」 しかし彼は観光協会の責任者であり、なおかつその観光協会のビルが避難場所に指定されていたわけです。 「息子の安否を確認しに行くか、ここに残って避難者の受け入れを

          ㉓気仙沼の語り部

          ㉒気仙沼らしさ

          リアスアーク美術館を後にして、海側に向かいました。中心部はコンパクトなので、自転車移動も充分可能ですね。そして海側に来た途端、驚きました。漁船の群れです。 大型漁船の群れです。ここまで大きい漁船がずらずら並んでいる。 この光景はかっこいい。テンション上がる。漁師やりたくなった。 気仙沼は「海と生きる」だけあって、昔から漁業が盛ん。リアス式海岸によって海岸線はとても入り組んでおり、気仙沼中心部が位置する気仙沼湾の内湾は、大島と唐桑半島で守られた気仙沼湾の一番奥に位置してい

          ㉒気仙沼らしさ