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㊱「被災地」に関する補記


被災した地域。被災地と呼ぶ。震災の被害を受けた地域は「被災地」と呼ばれる。3月になって僕は震災のことを考えてはきた。と同時被災地のことも考えてきたつもりである。被災地という言葉自体も一般教養語と化しているし、被災地イコール東北という等式は一般的に成り立っている気がする。そうして震災や被災地のことを考えてきて、最近感じはじめたことは、したら今呼ばれている東北の被災地はいつ「被災地」でなくなるのであろうか、という疑問である。つまり東北はいつ被災地と呼ばれなくなり、ただの一地方としての東北となるであろうかということである。

―一生「被災地」なの?

阪神淡路大震災が起きたのは神戸、関西地域であるが、僕がその地域に行くときや、考えるとき、その地域を被災地とは思っていないません。もちろん阪神淡路大震災が起きてしばらくは「被災地」と呼ばれたでしょうし、支援もそれなりにあったでしょう。しかし今ではその震災の様子を伝えるものと言えば、大阪にある防災センターくらいとなっています。

それらの地域はかつて「被災地」と呼ばれた。しかし今はそうは呼ばれていない。これは良いことなのか、悪いことなのかわからないが、少なくとも「被災地」と呼ばれないことで、「震災」の風化は進んでいるわけだ。当事者はゆうに80歳を超え、風化への危惧が年々増している。

そう考えると東北もいずれ「被災地」とは呼ばれなくなることがやってくるとは思う。それがいつになるかはわからないが、少なくともあれだけ各地に大きな伝承館があるということは、それなりの長い期間「被災地」と呼ばれていくのだろうという気がしている。

そのような中で思うのは、住民にとって長い間「被災地」として呼ばれることはどのように思うのだろうか。もちろん「被災地」と呼ばれることによって「風化」を防ぐこともできるし、記憶が維持されやすい。しかしそうはいってもずっと「被災地」としての存在で果たしていいのだろうかと。私たちが「被災地」と呼ぶことで、その地域の人々のことを「かわいそうとか、悲しい、とか同情の気持ち」抱いてしまう。そして私たちはそのような目線で「被災地にいる住民」として見てしまう。そうすることによって、私たちの「被災地意識」によって「現地の住民のことを被災地住民」として見てしまう。つまり外部の「被災者/被災地像」によって、現地の住民が「被災者/被災地化」してしまうのではないかという危惧である。
風化を防ぐことは大切なことである一方、過去がいつまでも過去にならないということでもあるだろう。阪神大震災も「被災地」ではなくなったことで、発展を遂げることができたのではないかとも思う。前に進むためには前を見る必要がある。後ろ向きでは前に進みにくい。なにより前と後ろは同時には見れない。