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今日もみんなでいただきます


未来は予測するのは勝手だが、実際どうなるかはその未来になってみないとわからない。


未来って言葉自体がよくわからないが、未来とは具体的にはいつのことなのか。この文章を書いている一刹那は現在であるけれども、その立場で見たらその前が過去でその先が未来なのだろうか。人間は常に現在進行形でいまを生きている訳で、過去、未来は見ることはできるが、その場にいることは不可能で。

となるとすべては「いま」の積み重ねだろう

未来はどうとか、過去がどうとか、そんなものに思索に耽る意味はなく、すべてが「いま」の積み重ねであると。過去、未来は見る/見えるモノであって、あくまで副次的なモノであると思う。「いま」どうするのか、どう生きるのか、これがとても大事な事であると思う。


新型コロナ関連
千葉県はこれまでの方針から一転して、施設や店舗などに休業要請を行うことに決めたそう。

「指示を一転する」これはとてつもなく勇気が必要。つまりそれは過去の指示が誤りであるという認識に至ったからだろう。

未来は予測可能だが、実際にどうなるかはその未来になってみないとわからない。
これは本当にそうで、その方針に関わる人が増えるに比例してその方針の見えていなかった側面が現れる。予測段階では到底想定しえなかったことが余裕で起きてくる。何と何とが化学反応を起こしてどのような結果になり、何を排出するのか、混ぜてみないとわからない。

科学ではそれはコンピュータでのシミュレーションで大方わかるが、人間世界ではそうもうまくいかない。

予見不可能な未来に対して、私たちが大事にすべきなのは「誠実さ」かなと思う。そもそもなぜこのようにしたのか。指示を出すことが目的になってしまって、そこにある大事な事がないがしろにされつつあるのはやばいなと思う。もっと安心と信頼、コンセンサスな社会になればいいなと思う。