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㉘これまでの雑感[防潮堤・過疎・まちなみ]

これまで福島、宮城、岩手と震災の津波被害と原発被害に遭った3つの県をまわってきた。どの地域も復興の道筋は見いだせない中で、いろいろ新たな挑戦だったり、地域コミュニティの再建だったり、もがいている状況がある。あっという間に11年の月日が経った。

子どもは大人に、大人はより大人に、おじさんはよりおじさんに。

まずは①原状回復、②住居確保、③仕事創出。基本この流れ。そして11年目の現在において①と②がようやく終わりそうという感じ。そうはいっても11年が経ってしまった。以前に住んでいた場所の記憶も薄れつつあり、さらには街並みも全く別のものになってしまっている。土地をかさ上げし、津波被害に備える。住居は山を切り崩した丘の上に集合住宅を建てる。かさ上げした土地には、いまだ空き地が多い。沿岸部は災害危険区域として住居が立てられない場合もあり、主な用途は商業施設や農地利用に限られる。そうはいっても空き地がたくさんある。

この空き地は埋まることがあるのだろうか。


正直各被災地域における人口減は深刻で、今から増える見込みもない(これは地方全体でそうだと思うが)。人が居れば、空き地は埋まる。人が居なければ、空き地は埋まらない。しかし人はおそらく、増えない。おそらく。陸前高田市では、災害公営住宅も空きがちらほら出てきているという。高台移転にしても条件があったり、かさ上げした土地に建てるのも揺れたときに安全かわからないので安全できない。防潮堤はどんどん高くなる。


作ったはいいもの、使う人いる?

このようなまず原状回復を行うということは、阪神淡路大震災からの手法を受け継いでいるという。神戸の場合は空き地ができてもいずれ埋まる。地方に対して同じ手法で復興するならば、空き地は埋まらないことを前提に考えたほうがいいのかもしれない。



そうはいっても、多くの被災地でもう多くのかさ上げや防潮堤も開発を行ってしまったので、そこからどのように道筋を決めていくのか。おそらく今までのようにひたすら魅力を発信し続けるのも限界が来るだろう。何しろすでに町が無個性化しているのだから。

僕自身思うことは、この過疎化潮流に流れに逆らうことは不可能なので、過疎だけどうまいことやっていけるようなかたちがいいだろうなと思う。もうこの際「住民」という定義を変更した方が良いと思う。現状その土地に住んでいる人が「住民」となるが、別にその土地に住んでいなくてもその市町村の住民になれるようなかたちとかがあればおもしろそうだと思う。つまりネット空間にもバーチャルな市町村が存在していて、誰もが自由にバーチャルの市町村の住民になれると。そしてそれはネットだけの話ではなくて、リアル空間でも実際にそのまちの住民ということになる。そのように住民の定義を緩めて、実際に居住していなくても住民になれるし、サービスもしっかり受けることができる。もしくは、過疎地域を「ヒッピー特区」にして、現世に疲れた人のユートピアを作れる自治特区権限を与えるような。


バーチャル都市作るか、ヒッピー特区作るかじゃないかと思っています(笑)

福島もイノベーションコーストといった、一大デジタル拠点として整備されてきていますが、それはもう原発地区は復興困難とみて、新たな起爆剤を投下したということでしょう。実際に浪江町ではロボットセンターのようなものや、世界一の水素ステーションがあるそうです。


そのように頭を切り替えるしかないのではないかと思う一方で、なかなか切り替えることができないことが多いのは現状ですよね。何より先祖のため、墓参りのため。僕はあまり墓に対して興味は持っていないですが、しかし墓の持つ力はとてつもなく強力だと思います。墓があるからその場所に留まる。もしくは墓があるからまたいずれ戻ってくる。先祖の墓がある場所はどうしても見捨てることは難しいです。