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㉚種差海岸遊歩道

今さら言うのもあれなんですが、僕はあまり海鮮丼は好んで食べません。食べるのは好きなのですが、あまり食べようとは思わないです。それはシンブルに冷たいからです。僕は海鮮丼よりも、海鮮丼についているあら汁とご飯と肉じゃがと漬物の方が好みます。身体が温まります。

まさに三陸地方一体は海鮮の宝庫なんですよね。主要産業が漁業。魚市場もたくさんありますし、どの地域でも海鮮を売りにしていました。見る分には楽しいです。切り身としての魚は知っていても、実際に魚のまま見ることは意外と難しいですよね。大学の頃に鯛の捌き方習ったのですが、もう忘れてしまいました。今思えばなぜ鯛の捌き方を習ったのか謎です。

八戸線久慈行きに乗車します。2両編成のワンマンカーです。この旅で確信しましたけど、基本的に地方で2両ワンマンは結構ざらですよね。常磐線で育った身としては電車は15/10両が基本だと思っていましたが、全然そんなことないですよね。陸奥白浜で下車します。国指定名勝の種差海岸周辺を散策しに来ました。陸奥白浜で降り、目の前の道路を下れば海岸です。ここは大須賀海岸といい超広い海岸です。2.3キロ続く砂浜は北東北で最大規模、圧巻です。テレビのロケでもよく使用されているとのこと。確かにこの風景は感動しますね。人もほとんどおらず、広大な砂浜をただひたすら歩く。

今回の旅で初めて砂浜らしい砂浜。海らしい海だった。潮の匂いもする。

たまに後ろを振り返ると、自分の足あとが付いている。自分ではまっすぐに進んでいると思っていても、案外曲がっていたりする。自分の足あとを振り返って反省するには砂浜はちょうどいい。砂浜の足あとはずっと残らない、じきに消える。むしろずっと残っていれば、気持ち悪いし、何より後ろを振り返りたくない。過去を振り返ることは、困難を伴う場合もある。過去の足あとがずっと残っているとすれば、それはまだ過去になっていないと言えるかもしれない。足あとが消えて初めて、その出来事が過去になる。過去になるとは忘れることでもあると思う。

そうして僕たちはある出来事を忘れることによって、新たな一歩を踏み出すことができる。

被災者の場合、被災した記憶を徐々に忘れる(または風化する)ことによって、新たな一歩を踏み出すことができるということだと思う。逆に記憶が留まっている限り、新たな一歩は難しいということだ。伝承館の果たすべき役割は、震災の記憶を留め続けること。しかし被災者にとって震災の記憶を留め続けることは苦難を伴う。そして何より震災の記憶が留まっている限り、新たな一歩が踏み出せなくなる。彼らにとっては、震災の記憶は大切であると同時に、忘れたいまたは風化させたい記憶であることはそうだと思う。風化させることで、ようやく一歩踏み出せる。そう考えると各地の伝承館は第三者向けの施設であり、当事者向けではない。忘れることは良くない気もするが、忘れないことには前に進めない。

砂浜を歩くと足あとがつく。しかしその足あとはじきに消える。じきに消えるとわかっているからこそ、前を向いて歩くことができる。消えないなら後ろ向きで歩くしかない。

波が来る。一瞬のうちに足あとが消える。僕の足あとはわからなくなった。そしてまた僕は前を向いて歩きだす。