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㉓気仙沼の語り部

気仙沼でちょうど語り部を開催中とのことだったので参加してみました。参加者は8人で、みなさん各地から来られているようです。実際に被災したガイドの方の話。現場を回りながら、ガイドさんの当日の行動をみんなで辿ります。

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彼は震災当時、観光協会で働いていた。そこに地震が来て、まず頭によぎったのは、

「息子大丈夫だろうか」

しかし彼は観光協会の責任者であり、なおかつその観光協会のビルが避難場所に指定されていたわけです。

「息子の安否を確認しに行くか、ここに残って避難者の受け入れを行うか」

ガイドさんは悩みました。そしてあることを思い出します。先日の朝食での一幕です。

子どもは言います。
「僕昨日避難訓練やったんだよ!」
親であるガイドさんは言います
「そうかそうか、いいじゃないか」

そう。ちょうど先日子どもは避難訓練をしたばかりだ、ということを思い出したのです。ガイドさんは決めました。

「よし、息子は多分大丈夫だから、俺は避難民の受け入れに集中しよう」

ビルの中で毛布などの準備をはじめました。今の時点で15時過ぎ。津波はまだ気仙沼の内湾には来ていませんが、津波警報は発令されています。

しかし待っていても誰も来やしません。ただ一応待てるだけ待ってみます。そして15時30分頃彼らも津波の危険も感じ高台へ避難も開始します。気仙沼は平野が少なく、山がちなので、10分も歩けば高台に着きます。彼が高台に着いて少し経ったあと、津波が襲ってきました。あらゆるものを飲み込む津波の破壊力になすすべもなかったと。ただ見ているだけ。

そしてガイドさんの子どもも無事だったということで。一方で知り合いを10人亡くしてしまったと。その10人はなぜ亡くなってしまったかというと、彼はこういいます。

「亡くなってしまった人は最初高台に避難していたのだが、子どもの安否が心配になり、途中で確認しに行き、それっきり」

ガイドさんは続けます。

「その気持ちは痛いほどよくわかる。子どもの安否は一番心配。しかしその判断によって自分自身が命を落としてしまった。子どもは助かり、父兄は亡くなってしまったという方もいる」
「これをどう判断するのかは私にはできないが、少なくとも私は子どもが避難訓練をしていたと聞いておそらく大丈夫だろうと信頼して、安否確認には行かなかった。私は子どもを信頼できる先生や人に託そうと思い、そのように行動した」
「どうしても非常時はパニックになり、あらゆる冷静さが飛ぶ。そのような中で確信をもちながら行動できるためにはまずコミュニケーションは大事な要素だと思います」
「防災マップを作る。科学的に検証する。防潮堤を作る。それらも大事であるが、非常時に大事なるのはやはりコミュニケーションなのではないか」

ガイドさんの話はとても考えさせるものでした。何が良い悪いということではない。しかし彼はその判断のおかげでおそらく助かった。しかもこの話が大事なのは、その判断に至った経緯が「日常的な会話」だったことにあると思います。何気ない日常会話が彼から災害を救った。防災を全く意図していなかったのにも関わらず、それが防災に役立った。防災に備えることはもちろん重要ですが、防災に備えること以外によって防災されたと(ここでは単に日常会話)。なかなか考えさせられます。

それは予期せざることを、予期できると仮定するのは危険だということです。予期できないことを「防災すること」によって予期できることにしてしまうのは危険だということです。

このような話はまさに減災とつながるなあと思っています。災いを防ぐのではなく、減らすためにはどうすればいいのか。基本的に災いは想定外なものなので防ぐことはできない。防ぐことはできない以上、減らすしかない。減らすために何をすればいいのか。

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「防潮堤として機能をもちつつ、芝を敷き詰めることで圧迫感の軽減をはかる。」