日本はラオスに朝貢を要求したの?元ネタは?この記述が信頼できないって本当?調べてみた!

先日、百度という中国版グーグルみたいなサイトで東南アジア史について調べていたら不思議な記述を見つけました。

   15世纪前期,日本也曾对南掌提出了朝贡的要求。https://baike.baidu.com/item/%E5%8D%97%E6%8E%8C/1803938?fr=aladdinより引用)

翻訳するとこのような意味になります。

15世紀前半、日本は南掌に対して朝貢の要求を出した。

南掌はラーンサーン王国(地図の緑の部分)のことで、現在のラオスです。

画像1

(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A9%E3%83%BC%E3%83%B3%E3%82%B5%E3%83%BC%E3%83%B3%E7%8E%8B%E6%9C%9Dより引用)

この記述、めちゃくちゃ怪しくないですか?

15世紀の日本が他国に朝貢の要求を出していたのかという点から疑ってかからないといけないし、15世紀の日本の海外認識にラオスが存在していたかという点も疑問です。(そもそも内陸国のラオスに朝貢の要求を出したとしてどうやって使者を往来させるのか、、、)

しかし、百度のこの記述が何に基づいて書かれたものなのか?という点に関しては調べてみる価値はありそうです。

というわけで今回は、日本はラオスに朝貢の要求をだしたのか?という疑問について調べてみました!

まず初めに、百度の南掌の記事の元となった参考文献リストは以下のとおりです(一部簡体字になっています)。

1. 琼賽.《老挝史》:福建人民出版社,1974:第17-18页
2. 楊木、李炯.《老挝》:商务印书馆,1974:第1页
3. 《明史·卷三百十五·列传第二百三》 
4. 《大越史记全书·黎皇朝纪·太宗文皇帝》
5. 《大明太宗文皇帝实录》
6. 《大明宣宗章皇帝实录》
7. 《大越史记全书·黎皇朝纪》
8. 《大越史记全书·黎皇朝纪》
9. 《大明英宗睿皇帝实录》
10. 《大明宣宗章皇帝实录》
11. 《清史稿·卷五百二十八·列传三百十五》 

このうち、琼賽『老撾史』と楊木・李炯『老撾』については阪大の図書館に所蔵がなかったので確認できていないです、、、

では、一つずつ確認していきましょう。

まず正史(公式の歴史書)である『明史』老撾伝と、正史ではないものの正史に準ずる扱いの『清史稿』南掌伝を確認したところ、日本がラオスに朝貢の要求を出したという記述は見つかりませんでした。

次に「実録」を見ていきます。実録というのは皇帝の言行を記録した「起居注」に基づいて書かれた皇帝一代の歴史書です。王朝が公式に編纂した皇帝の日記と言うと分かりやすいと思います。

この「実録」を見ていく作業は結構大変です。http://sillok.history.go.kr/mc/main.doという韓国のサイトで明清代の実録は確認できるのですが、「老撾」という単語で検索をかけるだけでも100件の記事がヒットします。

参考文献リストでは太宗・宣宗・英宗の三つの実録が載せられています。

これらを一つずつチェックしていきましょう!


チェックした結果、以下のようなことが分かりました!

・『明実録』中には日本が南掌に朝貢の要求を出したという記事は無い


だんだん雲行きが怪しくなってきましたね、、、

とりあえず今までの調査で、中国側の史料には日本が南掌に朝貢の要求を出したという記述は見つからないことが分かりました!

では残された最後の箇所、ベトナムの史料である『大越史記全書』には朝貢要求の記述はあるのでしょうか?

『大越史記全書』の全文はwikiソースで確認できます。(https://zh.wikisource.org/wiki/%E5%A4%A7%E8%B6%8A%E5%8F%B2%E8%A8%98%E5%85%A8%E6%9B%B8)

今回、『大越史記全書』黎皇朝紀の記事から、老撾や日本に関する記述を探したのですが(4時間かかった)、、、



見つかりませんでした!


というわけで、百度の南掌にあった「15世紀前半、日本はラオスに朝貢の要求を出した」という記述に対応する史料は見つかりませんでした。

ただ、今回入手することができなかった琼賽『老撾史』と楊木・李炯『老撾』に朝貢要求の記述がある可能性は否定できませんし、正史類や実録以外の史料に、朝貢要求について書かれているかもしれません(『東西洋考』や『裔乗』、『皇明四夷考』といった明代後期の史書の確認はできていません)。

また、日本側の史料についても調べられてないです。15世紀前半といえば足利義満の時代ですが、この時代に書かれた史料に南掌に朝貢の要求を出したという記述がある可能性も否定できません。


以上、長くなりましたが、結論は以下の通りです。

・15世紀前半に日本がラオスに朝貢の要求を出したという記述は、参考文献を探しても見つからなかった。

・参考文献以外の史料や日本の史料に、朝貢要求の記述がある可能性は否定できない。

二千字も使って記述の真偽については分からないことが分かっただけでした、、、

そもそも、歴史的な事実とされているものを否定するには、別の史料を証拠として提出したり、事実とされているものが依拠する史料の信頼性が低いことなどを示さなければならないのです(史料批判という)。

ウィキペディアや百度といった百科事典サイトの記述をそのまま鵜呑みにしてはいけないのは、そういったサイトでは情報の典拠や出典がきちんと示されていない場合が多い(信頼できない)からです。

今回の「日本が南掌に朝貢の要求を出した」という記述も記述の典拠が示されておらず、真偽を検証するために確認した参考文献にも典拠はありませんでした。

ウィキペディアや百度といったサイトの情報を鵜呑みにしてはいけないということが今回の記事で分かったのではないでしょうか(もちろん、きちんと出典や参考文献を提示しているページもあります)。



ここまで読んでいただきありがとうございます。アルドラでした。

また次回の記事もよろしくお願いします!






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