ナカムラ テツ

作詩と表現、太宰治、森鷗外、樋口一葉が好きです。

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自己紹介

昨年、サラリーマン生活50年を終えてリタイアしました。いまは妻が働いているため、専業主婦(夫?)です。毎日、献立、買い物、料理をしています。朝から晩まで、ときには土日の休みもなく働き詰めだったころが遠い過去になりつつあります。 50年間で勤めていた会社は2社で同じ業界でした。その間に離婚、再婚も経験しました。人生、いろいろとあります。 いまは、音楽と言っても女性ヴォーカル、中島みゆき、五輪真弓、ユーミンなどを流しながら、料理や掃除をします。妻はクラシック系なので妻がいない

    • 大江健三郎「ヒロシマ・ノート」

      本書は、大江健三郎が1963年から1965年にかけて広島を訪れて、原爆に関する見聞をまとめたものです。 原水爆禁止世界大会の分裂や被爆者の状況などが、きめ細かく描かれています。 さすがに小説家だけあって、登場人物や情景の描写はリアルです。 わたしは、実は大江健三郎の作品は苦手であまり読んでいません。 しかし、本書は抵抗なく惹きこまれました。 それは被爆者や医師(被爆者でもある)に寄り添う大江健三郎の気持ち、尊敬と愛情が本書に一環して流れているのを感じるからです。 原爆投下

      • (詩) 消えた菫

        街中の路地裏の道 気づかれることなく ほかの草々に紛れて 毎年花を咲かせていた 路傍のひと株の菫 今年は見ない  大事な人を亡くした 思いが不意に蘇り  春の雲を暫し見上げた

        • 芥川龍之介「西方の人」「続西方の人」

          久しぶりに芥川龍之介を読もうと思い、どの作品にするか迷いました。 面白かった作品の再読も考えたのですが、初めて読む作品を選びました。 しかもその作品は遺稿となった作品です。 今までもキリスト教を題材とした芥川の作品は読んでいましたが、まさか最後の作品がイエスにかかわる作品とは知りませんでした。 芥川の作品は好きで読んではいましたが、全作品を読みたいと思ったことはありませんでしたので不勉強だったかもしれません。 この作品を読んで、芥川がイエス(作中クリストと表現)にいかに傾

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          (詩) 時の空洞

          カチカチカチ 時計の音は聞こえるのに 針はまったく止まっている 動かない秒針の彼岸に 音の聞こえる此岸から 疑惑と憧憬の眼を向ける 秒針の指す天上には 無数の色の点が散らばる 過ぎ去った日の点 来たるべき日の点 混濁して判別しかねる 点描画のように 刻まない時を求めて それでも意識は 浮遊し続ける

          (詩) 時の空洞

          ドストエフスキー「地下室の手記」

          「カラマーゾフの兄弟」については、2年ほど前にnote記事として感想文を4回に分けて投稿しました。 「地下室の手記」は、その前に残念ながら中途で読むことに挫折していました。 本来であれば、本書を読んでから「カラマーゾフの兄弟」を読むべきだったかもしれません。 逆になってしまいましたが、本書を読んで「カラマーゾフの兄弟」の登場人物の激しい性格の根拠を見出したようにも思います。 本書は、目次として「1.地下室 Ⅱ.ぼた雪に寄せて 」(安岡治子訳 光文社古典新訳文庫)に分かれてい

          ドストエフスキー「地下室の手記」

          ドストエフスキー「地下室の手記」を読了しました。 以前に中途で挫折したのですが、本書の重要性を再認識して今回はなんとか読み終えました。 中編小説にもかかわらず、相当の時間を要しました。 かなり難解の印象を受けました。 感想文をまとめるつもりですが、まだ時間がかかりそうです。

          ドストエフスキー「地下室の手記」を読了しました。 以前に中途で挫折したのですが、本書の重要性を再認識して今回はなんとか読み終えました。 中編小説にもかかわらず、相当の時間を要しました。 かなり難解の印象を受けました。 感想文をまとめるつもりですが、まだ時間がかかりそうです。

          (詩) 源流への回帰

          わたしの生まれる前の 遠く遥かな 源へ 辿る道を 清らかな湧水の 源へ 還る道を 見極めるように ひとつひとつの仮面を 脱ぎ捨てて 人々の仮装行列を外れ 天空へ上ってゆく けっして記憶にはない 途を探し求めて

          (詩) 源流への回帰

          夏目漱石「私の個人主義」

          漱石「坑夫」を読んで、次は漱石を離れてと思い、小説ではないのですが高名なある作品を読み始めました。 実は、もう何回か挑戦しているのですが、やはり途中で気が乗らなくなりました。 けっして難しい作品ではないのですが、わたしにはなかなか入って行けません。 仕方なく、もう一度目をとおそうと思っていた漱石「私の個人主義」を再読することとしました。 漱石の主要な作品を読み終わりましたので、なにか新しい発見があるかもしれないとの思いからです。 概要を以下に記しますが、本書についてわたし

          夏目漱石「私の個人主義」

          夏目漱石「坑夫」を読んで

          漱石「坑夫」を読了しました。 本書は、漱石を訪ねてきた人から実際の体験談を聞いて、それをまとめたとのことです。 たしかに他の作品とは趣をだいぶ異にしているようです。 内容は、以下のとおりです。 家にいられなくなったか、いたくなくなった青年が出奔し、途中で坑夫の斡旋人に会って銅山へ連れていかれます。 そこでの坑夫の劣悪、かつ、危険な労働環境を実体験します。 初めて坑道に連れて行かれた際に、道を間違えて他の坑夫とは違う人格者の「安さん」に会い、家に帰るように強く勧められます

          夏目漱石「坑夫」を読んで

          (詩) 老木と鶯

          切り倒される 桜の老木 危険だからか そのまま朽ちて 土に還りたかったろうに チエンソー鋸の音 断続して響く 公園の空 歩きながら音が遠のく そのはざまに もしかすると・・・・ 立ち止まって耳を澄ます まだ鳴き慣れない囀り ホーホケキョ 高らかにではなく 切なく悼むように 幼い鶯の初音 わたしの胸に沁みる 老木への労りの声

          (詩) 老木と鶯

          夏目漱石「虞美人草」

          漱石「野分」に続いて「虞美人草」を読了しました。 少し時間がかかりましたが、「虞美人草」は「野分」とは異なり、わたしには大変に面白く読むことができました。 それはストーリーの面白さではなく、登場人物の描き方の巧みさに惹き込まれたからです。 「明暗」における性格描写に対する漱石の技量が、すでにこの作品に感じられます。 それは小説を読むときのわたしの好みかもしれません。 登場人物がリアルに描けてないと、わたしには興が冷めてしまうのです。 本書の内容を簡略します。 甲野藤尾は、

          夏目漱石「虞美人草」

          漱石の「虞美人草」を読んでいますが、まだ読了していません。寝る前と家事の隙間時間に読んでいるのですが遅々として進みません。しっかりと読書の時間をとって読まないといけないようです。もともと読む速度が遅いのかもしれません。週に数冊読んでいる人もいるそうで信じられない思いです。

          漱石の「虞美人草」を読んでいますが、まだ読了していません。寝る前と家事の隙間時間に読んでいるのですが遅々として進みません。しっかりと読書の時間をとって読まないといけないようです。もともと読む速度が遅いのかもしれません。週に数冊読んでいる人もいるそうで信じられない思いです。

          (詩) 雪の帳

          雪が降りしきる わたしの目の前に 未来も過去も遮断するように 雪が降りしきる 風は一つもない わたしの目の前は ただ真っ白な壁が 立ち塞がっている 足を踏み出せる 筈なのに 一歩も出ない もちろん前は見えない 恐る恐る後ろを振り返る 雪は降っていない 天には日も月も星も 地には山も川も海も しかし誰一人いない廃墟の街 逝った、けれど消えない人へ わたしの一歩を預けよう 雪の帳は自から開き 明るみの道へと

          (詩) 雪の帳

          漱石の「二百十日」に引き続いて「野分」を読了しました。主人公については興味深く読んだのですが、残念ながら一部流し読みになってしまいました。感想文をまとめるまでに至りませんでした。現在は、次の作品である「虞美人草」を読み始めています。

          漱石の「二百十日」に引き続いて「野分」を読了しました。主人公については興味深く読んだのですが、残念ながら一部流し読みになってしまいました。感想文をまとめるまでに至りませんでした。現在は、次の作品である「虞美人草」を読み始めています。

          (詩) 冬の一日

          きょうという冬の日が 水平線に没しようとしている 光は夕暮れの海に溶けて きょうだけの静謐が わたしの胸に充たされた

          (詩) 冬の一日