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何度でも読み返したいnote5

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何度でも読み返したいnoteの備忘録です。もう100個で区切らない。
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わたしは地下鉄です

物心ついたときから、家のある街にはいつも地下鉄が走っていた。 引っ越しも何回かしているし、べつに地下鉄にこだわって住む場所を選んだおぼえもない。 なのに、気づけばずっと生活のかたわらには地下鉄がある。 * 地下鉄を利用しているひとはきっとみなそうだと思うのだが、僕もまた隣町の風景をよく知らない。そもそも見えないのだ。どうしようもない。 ある日思い立って途中下車でもしないかぎり、隣町は永遠に「〇〇駅」という無味乾燥の記号でしかない。 親しさはかならずしも近しさと比例

謝らないことしかできない。

私の両親は、六十代で地方移住し、いまは夫婦二人で暮らしている。 田舎暮らしも八年目を迎え、もうすっかり、その町の人になった。ふだんは遠く離れて暮らし、年に何回か、顔を見せに会いに行っている。 五月の連休にも、父と母に会いに行った。静かで小さな町には海があり、山があり、広い空がある。滞在中は、いろんな路地を散歩したり、庭でビールを飲んだり、小さな畑でつくっている野菜の様子をみたり、両親にスマホを教えたりして、のんびり過ごす。母の手料理を味わいながら夫婦のいろいろな話を聞くのも

ショートショート「記憶屋」(読了時間3分)

 今、俺の手元には100万円もの金がある。先ほど「記憶」を売ってきたのだ。  その奇妙な店はちょっとした路地を入った所にあった。看板には「記憶売ります、買います」の文字。興味を惹かれて、俺は店の中に入ってみた。  木造独特の匂いがする店内は、一見すると古書店のようにも思える。だが、店内にはレジとして利用しているのであろう机が置いてあるだけで、商品は見当たらない。  不思議に思いながら店内を見回していると、やがて奥から店主らしき若い男が出てきた。 「いらっしゃいませ」 「変

継続してずっと書くということについて

ずーっと続ければ、蓄積が効果をもたらす。だから、継続は力なりと言う。 でも、継続するかは、根性や意思の問題なの? かなり、疑問だ。 続く人にとっては、たまたま続いてしまったというようにも思える。 その人にとっての根本的な”飢え”がたまたま幸いしただけのことかもしれない。 どうなんだろう? 1.お勉強 母は、いつも小さなわたしに「バカ」「バカ」と言ってた。ひどい母親です。 彼女自身は、「わたしは勉強はだめだったけど、運動はできた」と威張ってた。 むちゃくちゃだ

20240516 現在と十年前は違うよに十年後もまた違う世界だ

はてしない気だるさを引っ提げで出社。次の駅で降りるぞというところでなんとなく天気アプリを開いたら、現在の天気は雨となっていた。全然構えていなかった雨予報というか雨なうで、いっぺんに気だるさがふっとんだ。 しかし最寄駅に着いたら激しく曇ってはいるものの、雨は降っておらず。ものすごく曇りの日ってアニメ銀魂の主題歌だったDOESの曇天が脳内で流れる。 しかしサビの初めの「曇天の道をふんふんふんふんふんふんふん」のところしか知らないうえに歌詞もあやふやなので、そこだけが2、3回ふ

心の中でそっと中指を

目の前で自転車に乗るおばあちゃんを見かけた。左足をペダルに乗せて、右足をクロスさせて地面を蹴る、その姿が亡き祖母に重なって、その日がお誕生日だったから、まるで「やまめちゃん、お誕生日おめでとう」と祖母に言われた気がして涙が出た。 わかっている、疲れているのだ。 いろんな責任、重圧、初めての後輩指導、そういうもの全てに押しつぶされて消え入りそうになっている、というのが真相だと思う。 誰に相談すればいいのかわからない。 相談、というか愚痴を聞いてほしい。 別に後輩が嫌いな

【エッセイ】悲しいとか寂しいとかとは違う涙

連休の只中、5月2日の夜に、父が逝去しました。 享年73歳、胃がんでした。 夕方に母から危篤の報を受けて、東京から急いで福岡へ。 福岡空港に着いたのは夜10時過ぎ。飛行機を降りてすぐ母に電話をすると、 「お願い、急いで。お父さんが待ってくれとる」 待ってくれとる、という言葉が何を意味しているかは、すぐ分かりました。 タクシーで急ぎ病院に向かう。 はやく、はやく。待ってくれとる。 病棟に着き、急いで受付用紙に記入しようとすると、待ち受けていた看護師さんが「受付いいですから

「もう遅い」なんてことは絶対にないから、私はあなたの感想が読みたいです!というはなし

初めての書籍の発売から1ヶ月と少しがたった。 発売前も後も、 嬉しいことがたくさんあった。 応援してくれている人たちにお祝いをしてもらって、新しく本で出会ってくださった人もいて、重版が決まって、手をかけた本をみなさんに可愛がってもらえているようで、とても嬉しい。 でも、嬉しいことばかり、 というわけにはいかない。 やっぱり知らない世界に出ていくということは、 きついなと思うこともある。 2作目の壁という言葉がチラついて、 次書けるのかな、と不安になる日もある。 そん

19年前、福知山線脱線事故の報道でとっさに思ったのは。

19年前の2005年4月25日。 テレビであの報道を見たときの衝撃は、ずっと忘れられない。 私は当時22歳で、大学を卒業し、札幌に支店のある中国の航空会社で働き始めたところだった。 仕事をスムーズにこなせず、そんなに難しくはないはずの航空券の予約・発券の業務で、先輩から「何分かかってんの?遅い!」と怒られ、自分の不甲斐なさに押しつぶされそうな日々を送っていた。 帰宅後、テレビで目を疑うような惨劇を目の当たりにしたあの日、 「大変な事故が起きてしまった」と、しばらく動けな

姉と弟との10ヶ月間

弟がいる。 それも2人弟がいる。 兄弟3人九州で生まれて、 私は19歳で京都の大学に出ていき、 上の弟も19歳で神戸の大学へ。 我が三人兄弟一番下の末っ子は、姉と弟と違って優秀で地元の大学の薬学部に現役で合格した。 人生24年目、彼はずっと九州にいる。 3人同じ親から生まれてきても性格は全然違う。 一番上の私は冒険好き 上の弟は野心家で、 下の弟は末っ子根性染み付いた現実家。 お兄ちゃんとお姉ちゃんが家を出て行っても、 コロコロと実家で父と母に可愛がられ、 家族の

仕事とプライベートと私

昨年度から本格的に始めた仕事が実に面白い。 なんというか、自分たちで一から作り出したものを、少しずつ育てていく感覚に近い。おかげで仕事というものの楽しさを味わうこともできているし、今の自分に何ができるだろうと自問自答していた日々に、一つの答えを出せたような気もしている。 ずっと右肩上がりになるわけではないこともわかっている。 それでも、新しいことが始まる時はワクワクするし、準備にも力が入る。 多少休みなんてなくてもへっちゃらだ。 もちろん疲れもするけれど、ライブに行ったあと

殿方は座って用を足してください

近所のケーキ屋さんはチーズケーキが人気で、私もお気に入りだ。でもプリンが好きな母のために、プリンを2つ買って実家へ急いだ。 おしゃべりしたくてたまらなかった母は、私が椅子に座る前から、堰を切ったように話し始めた。 息継ぎも忘れて話し続ける母。 話の内容が入ってこないくらいに、母の独り暮らしの淋しさがズシンと胃に重い。持っていったプリンを、箱から出せなくなった。 元々、母はおしゃべり好きで、なんでも思うままを口にしてしまう人だ。それを、父がずっと受け止めたり制止したりし

🇨🇳#7 デスゲームスタートの青海・日月山4877mへの道(青海Part1)

映画、ゴジラ-1.0をまだみていなくて、これからみる予定がある人は以下9行ほどを飛ばしてみて欲しい。 三日前まで新疆ウイグル自治区の海抜マイナス100mの砂漠地帯にいたわたしは今、青海省の海抜4000mの山岳地帯にいる。 ゴジラ-1.0で銀座をめちゃくちゃにしたゴジラは、急速に1500mの海底に沈められてから再び海上に浮上させられる気圧差でやっつけられたが、あの作戦が有効であったことを、このわたしの体が証明した。 つまり、わたしは今、具合が悪いのである。 なんなら、朝は気

あなたの孤独は何色か

連休中、たくさん映画を観た。買ったまま読んでなかった本も何冊か読むことができた。私は一個の作品を見終わると、気になったことを調べたり、登場人物に想いを馳せたりなどして余韻に浸るのが好きだから、沢山と言っても片手に収まるほどしか見れていないが、先月はすごく忙しかったから、久しぶりに創作物の世界に浸れて魂が息を吹き返した感じがある。 1番良かったのはゴジラ-1.0だ。 見たいと思ってずっと見れていなかったけど、アマプラで観ることができた。 思うことは沢山あって、総じてかなり好き