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鈴木秀之のノート。

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(令和3年3月14日〜)
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記事一覧

どうしてそう定められたの?

どうしてそう定められたの?

この世界には、いろいろな単位がある。

「メートル」とか、「グラム」とか、「リットル」とか、
のようなお馴染みの単位だけでなくて、たとえば
「ワット」やら、「ヘルツ」やら、「カロリー」やら、
「ビット」やら、「ガロン」やら、「ラジアン」やら、
「モル」やら、「ジュール」やら、「デシベル」やら、
「度」やら、「パスカル」やら、「ニュートン」やら、
これらのもっとほかにも、理科や数学でも習ったけれど

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自発的と文章における欲求について。

自発的と文章における欲求について。

ぼくは日々、この「note」という場所で
こういうようなブログを書いているけれども。
あらためて考えてみれば、ブログとして
文章を書くことって、なんだか
けっこう不思議だよなあと思えてくる。

文章を書いて、その文章を
インターネットで公開すると、もしかしたら
だれかが読んでくれる、はたまた、
ぼくも、インターネット上で
だれかの書かれた文章を読むことができる。

これはよく言われる言い方やもしれ

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文章を書くということは。(選択にゆだねられているver.)

文章を書くということは。(選択にゆだねられているver.)

このごろのブログでは、あることばを
漢字で書くか平仮名で書くか、というのを
考えながら申していたですが。
ぼくとしてはね、あることばを
漢字で書くか平仮名で書くか、って、
ある意味ではどちらでもよいとも思っている。

文章をしるすときにおいて、たとえば、
文法上、平仮名で記すのが正しくとも
漢字で書いたとしてもよいし、そして
常用漢字では無い字を使ってもよいし、
逆に、漢字で書いたほうがよい語句を

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それぞれどのようなちがいが生じるのか。

それぞれどのようなちがいが生じるのか。

前回noteでは、あることばを
漢字で書くか平仮名で書くか?
ということについて、たとえば
「隠ぺい」「ほう助」「破たん」などを
例に挙げて申しあげました。
このつづきとして考えるとすれば、熟語の
いっぽうの字を平仮名で表記されることばとして、
「障がい」という語句をよく目にするのですが、
このことばをどうしてそのように表記されるのか、
というのはぼくは詳しいことは存じない。

滝川一廣さんの著書

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あることばを漢字で書くか平仮名で書くか。

あることばを漢字で書くか平仮名で書くか。

おとといのブログでは、お願いをする場面で記される
「お願い致します」ということばは、じつは
この表記はまちがいで、ただしくは
「お願いいたします」と、「致す」を
平仮名で書く、というのをネットで見ながら
ぼくなりに思ったことを申しました。

そこからさらに調べてみるとね、この
「致す」を平仮名で記すのは、文法上
「補助動詞」は漢字で書かない、
とのことなのだけれど、それは、文化審議会国語分科会より

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ことばとはなにかよりわからなくなってくる。

ことばとはなにかよりわからなくなってくる。

「慇懃無礼」という語句を初めて知ったとき、
その概念にことばを付けた人、
すごい! と思ったんだった。

「慇懃無礼」とは、『広辞苑(第七版)』によれば
【うわべはていねいなようで、実は尊大であること。】
とされていて、また、そのうちの「尊大」とは
【たかぶって偉そうにすること。横柄。傲慢。】
とのことでして、つまり、ていねいなことば及び
敬語で話していたとしても、その裏では
相手をばかにしている

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なにかをお願いするときには。

なにかをお願いするときには。

以前、SNSやネットニュースで読んだのは
「お願い致します」と文書で記すときには、
その「致します」を、平仮名で
「お願いいたします」とするのが正しい、つまり
「お願い致します」という表記はまちがい、
というものでして。その理由とは、
「お願いいたします」と記すときの「いたす」は
文法的には「補助動詞」であり、
動詞とする「致す」とは用法がちがう、
という説明がネット検索するとたくさん書かれている

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「敬語」について考えること。

「敬語」について考えること。

大人の年齢だと言えるぼくは、でも、
敬語って、恥ずかしながら
いまだむつかしいと思える。
そしてまた、学習塾講師として勤めるぼくは
小学生や中学生の生徒さんに、国語の単元で
敬語の考え方を教えるのもむつかしいと感じる。

敬語には、大きくわけて
尊敬語、謙譲語、丁寧語があるとされるけれども。
このなかでは、みっつめの
「です」「ます」等をつける言い方の丁寧語は
わかりやすいとしても、でも、
尊敬語

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使うことができることばを駆使しながら。

使うことができることばを駆使しながら。

ある組織では「上意下達制度」及び
「上申制度」というものがあると言われている。

前者の「上意下達制度」とは、
上位者の意志を下位者へと通じさせることであり、いわゆる
「トップダウン」とも言い替えられる。
後者の「上申制度」とは、ぼくは、一昨年公開の映画
『MONDAYS/このタイムループ、上司に気づかせないと終わらない』
よりこの語句を知ったのですが、ある組織において
下位者より上位者へと意志を

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権力性と妥当性とクーデター的なこと。

権力性と妥当性とクーデター的なこと。

前々回及び前回noteよりひきつづきまして今回も
「人間関係」について考えていることをね、
もうすこしだけ申したいのですが。
「人間関係」と密接に結びついているものと言えば、
ぼくとしては、それはつまり
「権力」だと思うのよね。

上司と部下、社長と社員、先生と生徒、
国家と市民、先輩と後輩、親と子、
などなどの関係性だけでなくって、
ふたり以上集まれば、そこには多かれ少なかれ
「権力」が介在する

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「人間関係」とはどういうことなんだろう。

「人間関係」とはどういうことなんだろう。

昨日のブログでは、人間の悩みとは
人間関係に関することである、
というのはよく言われることだけれども、
そのことから、たとえば
人間関係に関する問題をどのように対処できるか?
ってゆうのを、今のじぶんなりに
考えていることを申しあげました。
とは言いながらも、ならば、そもそも
「人間関係」とはどういうことなんだろう?!
というのもよくわからないと言えばよくわからない。
なので、このことをもうちょっ

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人間関係と窓と日和と。

人間関係と窓と日和と。

人間の悩みとは、そのほとんどが
人間関係に関することである、
というのはよく言われるけれども。
人間関係に関する問題とは、たいていの場合
完全に解決するのはとてもとてもむつかしい、
とも思える。

人間関係に関する問題について、
その対処の方法には、ぼくとしては
三つあると考えていて。
その三つというのは、
・耐える
・変える
・離れる
なのだと思うのよね。

ひとつめの「耐える」というのは、つま

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ほんとうのほんとうに何を考えているか?

ほんとうのほんとうに何を考えているか?

ハルノ宵子さんの著書『隆明だもの』を、
先日、読み終えました。
この書籍は、戦後思想界の巨人と呼ばれる
吉本隆明さんの長女・ハルノ宵子さんが、
平成24年に亡くなられた隆明さんのことを綴っておられて。
その書籍の帯には、
【故人を讃えない、型破りな追悼録。】
と記されているのですが、まさにそのような
故人を讃えない、と申しあげますか、つまり、
ほんとうの意味としてうそがないような、
というふうにも

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ワンクッションと観察と。

ワンクッションと観察と。

前回noteでは、ある物事を
「好き」か「嫌い」かで分けるのではなくって、
興味が「ある」か「ない」かで分けたい、そして、
興味がないことについては、
興味を持てたい! と、思おうとしたい、
とのように申しました。
このことはね、でも、たとえば、
あらゆることに対して興味を持ち、なおかつ
じぶん自身の「嫌い」という感情を排除できたい、
的なことではなくって。
説明するとすれば、なんて言うんだろう?

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