鈴木秀之

なまえはひでしと読みます。好きなことや考えたことや興味のあることを、じぶんのノートへ記…

鈴木秀之

なまえはひでしと読みます。好きなことや考えたことや興味のあることを、じぶんのノートへ記すみたいにnoteを書いています。/愛知県豊橋市/Desmond has a barrow in the market place Molly is the singer in a band

マガジン

  • 鈴木秀之のノート。

    (令和3年3月14日〜)

  • リッシンベン調査団はゆく。

    広い広い「漢字」の世界を、じぶんなりに調査・探索してみたいの。

  • 吉本隆明さんの講演を聴いてみたい〜。

    ほぼ日刊イトイ新聞「吉本隆明の183講演」より、吉本隆明さんの講演を聴きながら思った感想を書いてみるシリーズ。

  • 38歳のノート。(了)

  • 37歳のノート。(了)

最近の記事

  • 固定された記事

かろうじて書けそうなこと。

日々、ブログで何を書くのか? ってのは、 いつもなやみどころではあるけれども、 ぼくは、noteの自己紹介欄でも記しているですが、 じぶんの好きなことや、考えたことや、 興味のあることを中心に書いているの。 そういうときにね、でも、 好きなことや考えたことや興味のあることを、 まるごと、ぜんぶ、書いているわけでもない。 たとえば、 「好きなこと」とは言っても、 なんとゆうか、つまり、ちょっと フェチ的なことは書きがたいし、そして、 「考えたこと」とは言っても、 考え中にも

    • ワンクッションと観察と。

      前回noteでは、ある物事を 「好き」か「嫌い」かで分けるのではなくって、 興味が「ある」か「ない」かで分けたい、そして、 興味がないことについては、 興味を持てたい! と、思おうとしたい、 とのように申しました。 このことはね、でも、たとえば、 あらゆることに対して興味を持ち、なおかつ じぶん自身の「嫌い」という感情を排除できたい、 的なことではなくって。 説明するとすれば、なんて言うんだろう? うまく言えなさそうな気もするんだけれども、 どちらかと言うと、そういうような

      • 何かを鑑賞したときに。

        ある作品を鑑賞することにおいて、 その作品のことを、ぼくは大好きだけれど、 他の人にとっては嫌い、もしくは ある人にとっては好きだとしても、 ぼくはそんなには好きじゃあない、 という状況がある、とは、もはや 当たり前なのだとしても、考えてみれば どうしてそんなことが起こりうるのか? って、 不思議と言えば不思議のような気もする。 つまり、同じものを鑑賞したとしても 人によって見え方や感じ方が変わってきて、 そして、好き・嫌いも変わってくる。 そういうような、 その人の「見え

        • 鑑賞における情熱の灯。

          ぼくは音楽を聴くのが好きで、そして、 今では売れなくなったとされるCDを 今もなお購入するし、はたまた、 ライブ映像作品のブルーレイやDVDもね、 購入して、日々、鑑賞をいたしております。 とは言えども、なかなか、たとえば ぼくが10代だったころと比べると、 「ある作品を聴く」ということについては その鑑賞の分量が減っていると思うのよね。 10代のころはさ、もう、無我夢中のごとく 大好きな作品を聴き続けていて、いわゆる 本当の意味での「ヘビロテ」だった。 それはでも、そのこ

        • 固定された記事

        かろうじて書けそうなこと。

        マガジン

        • 鈴木秀之のノート。
          1,134本
        • リッシンベン調査団はゆく。
          96本
        • 吉本隆明さんの講演を聴いてみたい〜。
          287本
        • 38歳のノート。(了)
          365本
        • 37歳のノート。(了)
          364本
        • 36歳のノート。(了)
          363本

        記事

          懐かしさの気持ちと地続きの日々。

          前々回及び前回noteでは、このごろの ドライブ中の音楽鑑賞として、 B'zの過去作のオリジナルアルバムを いろいろ聴いている、ってゆうのを申しました。 現在42歳のぼくは、中学生のころ B'zの音楽を知り、そして、大学生のころには ファンクラブ(B'z PARTY)へと入会しまして、 CDや映像作品を日々鑑賞したり、また、 ライブも毎年参加したり、という大学生だった当時、 友人からは、B'zばかり聴くようなぼくに対して 同じ音楽ばっかり聴いて飽きない? と訊ねられても、

          懐かしさの気持ちと地続きの日々。

          「壁」をくぐり抜けられるの?!(Do me_mix)

          昨日のブログでは、このごろ B'zの過去作のオリジナルアルバムを あらためて聴き返しながら、そのなかでもとくに 1994年リリースの7thアルバム『The 7th Blues』での 「DISC1」の三曲目『未成年』及び 「DISC2」の三曲目『THE BORDER』、さらに、 1990年リリースの3rdアルバム『BREAK THROUGH』の 三曲目『BREAK THROUGH』を聴き、 「壁」について考えていた、というのを申しあげました。 まだまだ道なかばで、この B'zの

          「壁」をくぐり抜けられるの?!(Do me_mix)

          夜と壁を超えて。(「でもある晩 考えたよ」ver.)

          ぼくはもっぱら、車を運転中には 音楽を聴いているですが。 最近のドライブでは、先日、B'zのライブ映像作品 『B’z LIVE-GYM Pleasure 2023 -STARS-』を観て以来、 B'zの過去のオリジナルアルバムをあらためて聴いているの。 たとえば、まずその最初として 1998年リリースの二枚のベストアルバム 『B'z The Best “Pleasure”』と 『B'z The Best “Treasure”』より、 1995年リリースのアルバム『LOOSE

          夜と壁を超えて。(「でもある晩 考えたよ」ver.)

          深く掘り下げるための方法。

          ぼくは日々このようなブログを記しているけれども、 なぜ、ぼくがブログを記しているか? ってえのはじぶんでもよくわかっていない。 いつぞやのブログでも申していたと思うですが、 ぼくとしては、文章を書くのが 「好き」とは言えない。 文章を書く、って、そもそも 大変だし、つらいし、つまり、言ってしまえば めんどくさいし、及び、めちゃくちゃむつかしいし、 なんにしろ、不器用なぼくとしては 文章だってもうまくしるせない。 ぼくがブログを記し始めたのは、 20代のころ、ある恩師の先生

          深く掘り下げるための方法。

          縄文土器、弥生土器、どっちが古い?!

          常識って、こわいなあ! と、先日放映されましたテレビ番組 『ブラタモリ』を観て思ったのですが。 タモリさんが「鹿児島・指宿」をブラブラ歩いて 解き明かした先日の『ブラタモリ』の番組後半、 案内される先生がおっしゃったのは、指宿の 「開聞岳」の噴火によって教科書にも載るような 歴史的大発見をもたらしたとのことで。 その大発見とは、開聞岳より北東へ8kmほど行った 「橋牟礼川遺跡」という場所の川の土手で、 あるものが見つかったことより始まった。 この「あるもの」というのが、 「

          縄文土器、弥生土器、どっちが古い?!

          大型連休と未来のヴンダーカンマー。

          大型連休とは言ってみても、例年どおり 遠方の旅行も行かず過ごしているですが、 そんな連休中のぼくのいちばん大きな予定として、 一昨日、愛知県豊田市の豊田市美術館へとまいりました。 現在開催中の展覧会は、 『未完の始まり:未来のヴンダーカンマー』 というものなのですが、今年の一月よりこの展覧会が始まり 前売券も購入していたけどなかなか行けず、 今月六日までの会期ぎりぎりで、このたび ようやく訪れることができました。 展覧会、たのしかったなあ〜! とは言えども、その感想を言うの

          大型連休と未来のヴンダーカンマー。

          なにを書かないのかを考えるときには。

          文章を書くことにおいて、 なにを書くのか、よりも なにを書かないのかを考えることが大切である、 と、よく言われているけれども。 でも、これってば、 案外むつかしいと思っている。 なにを書かないのかを考えるとき、 ぼくは、果たして、そこで なにを書かないのか? ってえのは、 どうやって決めているのか?! たとえば、仕事上における 守秘義務に関することは書かない、とか、 相手より聴いた秘密の話しは書かない、とか、 ぼく自身の個人情報は書かない、とか、などなど、 そういうのはさ

          なにを書かないのかを考えるときには。

          無限とことばからでしか。

          日本語の文字には、平仮名、片仮名、漢字があって、 それらの文字が組み合わさり、そして、繋がりながら 日本語の文章はできている。 仮名文字の種類は「五十音」と呼ばれるけれども、 ほんとうは五十個は無くって、でも、 だいたい五十個、なおかつ 濁点及び半濁点がつくと種類はもっと増える。 英語のアルファベットの文字は26個なので、 英語と比べれば日本語のほうが多いけれど、 だからと言って、どっちの言語のほうが どっちの言語よりもどうのこうの、 みたいなことは比べられないんだろう。

          無限とことばからでしか。

          どういうふうに生成されているか。

          文章とは、 どのように生成されてゆくのか? というのはぼくはよくわかっていない。 ぼくだっても、日々、このようにして ブログで文章をしるしているけれども、 文章として、ことばを書いてゆくとき じぶんの頭の中で、もしくは じぶんの身体の中で何が起こっているのか。 たとえば、ぼくはね、ブログをしるす際には、 今日、何のことを書こうか? ってゆうのは 一応、前もって考えてから書き始めている。 そして、でも、その日に 何を書くかを決めてからは、さらに 文章の組み立てを考えるときもあ

          どういうふうに生成されているか。

          なぜ、その字が選ばれたんだろう?

          【矛盾】ということばは、 辻褄の合わないという意味の故事成語として、 どんな盾もつらぬく矛と どんな矛もふせげる盾を売る男に対して、客から ならば、その矛でその盾を突けばどうなるか? と訊ねられたことにより、 「矛」と「盾」の字が選ばれて熟語となった。 【推敲】ということばは、 記した文章を十分に吟味して練り直すという意味として、 ある人が詩を作っていた際、その中の語句として 「推す」か「敲く」かで迷ってしまった、 というエピソードより、 「推」と「敲」の字が選ばれて熟語にな

          なぜ、その字が選ばれたんだろう?

          折に触れて考えているとしても。

          昨日のブログでは「頭がよい」ということについて、 学校の勉強がよくできる、及び、 よい学校(大学など)を出ている、というのも そのうちのひとつだとは思うけれども、 それだけに限らないとも思う、 みたいなことを申しあげました。 このことをさらに続けて考えてみるとね、 学校の勉強がよくできる、とは、つまり テストで高得点を取ることができる、 ということなのだとぞんじますが。 学校のテストで高得点を取るには、 理解力、記憶力、応用力、そして、試験問題によっては 独創力などなども必

          折に触れて考えているとしても。

          「頭がよい」とは言えないんではないか?!

          「頭がよい」とはどういうことなのか? って、ぼくはよくわからないな。 たとえば、おそらくよく言われるのは 勉強ができる、及び、 よい学校(大学など)を出ている、 のようなことだと思うのですが。 学校の勉強がよくできる、ということは 「頭がよい」のうちのひとつだとは思うけれども、 それだけに限らないとも思うの。 「学校の勉強ができる」というときの要素として、 あるころからよく言われるようになった 「地頭(じあたま)がいい」的な、つまり、 いやでもぼくはこのことばの意味を 完

          「頭がよい」とは言えないんではないか?!