さわ図書

純文学やSFを好んで読みます。 猫が好き。

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最近の記事

カポーティについて語る

【その18】 カポーティの代表作は『冷血』だろうか、『ティファニーで朝食を』だろうか。 たぶんそのどちらも正解だけど、私の中では『夜の樹』という短篇集が彼の代表作である。 彼の中の「作家としての力」のようなものをブラッシュアップしていって行き着いたのが『冷血』だとすれば、彼自身の中に元々存在した、彼自身にしかない色の小さな炎を最も高い温度まで持っていって書かれたのが『夜の樹』である。 サリンジャー同様、好き嫌いがあるのは否めない。 実際に、称賛された一方で「実体に欠ける

    • 書店があるから今日も楽しい(千駄木・往来堂書店)

      私は書店が好きだ。 だから、町の書店がどんどん無くなっていく現状は、とても切ない。 ネットを頼ってしまうこともゼロではないけど、なるべく大型書店に出向いてお金を落とすことにしている。 誰に褒められるわけでも、褒められたいわけでもないが、私の書店に対するささやかな敬意だ。 なにより、書店で小説を選ぶ時間は本当に楽しい。 さて、あえて大型書店と書いた。  残念ながら小さな書店では、たいてい私が好きなハヤカワ文庫をほとんど置いていないし(『夏への扉』でもあればかなりいい方だ

      • 作家は時間を疑う

        【その14】 【その15】 【その16】 【その17】   こうして並べてみると、作家というのは時間そのものを疑うようだ。 時間そのものを疑うことを許されている、と言ってもいい。 だって、学校やオフィスで上のような発言をしたら、白い目で見られること必至だから。 だけど、ひとたび書物の中にもぐり込めば、こういった文章は抜群に輝くし、面白い。

        • サリンジャーはどう読まれるか、サリンジャーをどう読むか。

          【その13】 「ぼくも進級していくような気がするが、ただ方向がみんなと違うようだって、そう言うの。最初に一つ進級すると、袖に金筋がつく代わりに、袖をもぎ取られることになるだろうって。そうして将軍になるころには、素っ裸になっちゃって、お臍に小ちゃな歩兵バッジがくっついてるだけで、あとはなんにもないんじゃないかって」 J.D.サリンジャー 『ナイン・ストーリーズ』 訳者 野崎孝 新潮社 昭和49年 53頁 『コネティカットのひょこひょこおじさん』 厭世的な作家がえがく、厭世

        カポーティについて語る

          川端康成の書いた風

          【その12】 「そして垂れひろがったもみじの枝さきは、ないような風にゆれ動いている」 川端康成 『眠れる美女』 新潮社 1967年 100頁 少しの風、強い風、爽やかな風…… 世間一般の人々は、風は「あるもの」という前提で、それがどの程度で、どういった風かを書く。ない場合は無風という言葉が当てはまる。 「ないような風」と表現したのは、私の知る限り川端康成だけである。 作家の中でもずば抜けた人たちは、人とは異なった方向からものを見て、書くことができる。 もちろん奇想

          川端康成の書いた風

          翻訳について、翻訳家について

          【その11】 「作家の喜びは、書くという行為そのものにあり、書くことで心の重荷をおろすことにある。ほかには、なにも期待してはいけない。称賛も批判も、成功も不成功も、気にしてはならない」 サマセット・モーム 『月と六ペンス』 訳者 金原瑞人  新潮社 平成26年 15頁 新潮社からサマセット・モームの新訳が平成の終わりから令和にかけて出版されていて、全て購入して読んだのだけど、これはとても良かった。 サマセット・モームの書いた小説が面白いことは大前提として、訳者である金

          翻訳について、翻訳家について

          少数派のバイブル

          【その10】 「目に見える不幸も時には、目にこそ見えぬが並外れた利益をもたらしてくれるのです」 ドストエフスキー 『カラマーゾフの兄弟(下)』 訳者 原卓也 新潮社 昭和53年 348頁 純文学の作家たちは往々にして、人生がどれだけ虚しいもので、人間がどれほど愚かな動物かというのを訴えてくる。 そして、最終的に彼・彼女たちは、自分で自分を葬ることで、その証明を完了させる。 取りわけ文豪と呼ばれるような人たちには、その傾向が強いように思う。 そんな彼・彼女たちが書いた文

          少数派のバイブル

          今の時代には、スティーヴン・キングがいる

          【その9】 「なににもまして重要だということは、口に出して言うのがきわめてむずかしい。なぜならば、ことばが大切なものを縮小してしまうからだ。おのれの人生の中のよりよきものを、他人にたいせつにしてもらうのは、むずかしい」 スティーヴン・キング 『スタンド・バイ・ミー 恐怖の四季 秋冬編』 訳者 山田順子 新潮社 昭和62年 252-253頁 「存命の作家の中で最も惹きつけられる」と、言っても過言ではない。スティーヴン・キングだ。 ビッグネームなので、今更彼の良さを語る必

          今の時代には、スティーヴン・キングがいる

          最後のピースが埋まらない場合には、フィリップ・K・ディックを

          【その8】 「わたしを納得させてくれ、ベアフット。そしたら、わたしが世界を納得させる」 フィリップ・K・ディック 『人間以前 ディック短篇傑作選』 大森望 編 早川書房 2014年 259頁『宇宙の死者』 カート・ヴォネガットは文学界(そんなものがあるとすれば)では異端のようにも取れるけれど、SFの分野においては最も重要な人物のひとりだ。 私は、SF好きでヴォネガットのことが嫌いな人を知らない。 ところがフィリップ・K・ディックはそうではない。 ある種の美しさを小説

          最後のピースが埋まらない場合には、フィリップ・K・ディックを

          小説の効用

          【その7】 「択ぶということは、選定することではなく、むしろ、選定しなかったものを押し退けることのように私には思われる」 ジッド『地の糧』 新潮社 昭和27年(新版令和5年) 70頁 今回はノーベル文学賞を取った作家、ジッドです。 この『地の糧』は、思考の深層部を柔らかく刺激してくれます。 数ページで放り出す人と、数ページで虜になる人に分かれるのではないでしょうか。 つまり、思考する人たちに向けた小説です。 深く思考する人たちは色々なところに散っていて、言うまでも

          ノーベル文学賞を取らなかった作家

          【その6】 「私の心の移ろいやすさは消え去った。 この半年のあいだ私の目は、一つの未来を見つめて動かなかった。このあいだの私は、おそらく幸福の意味を知っていた」 三島由紀夫『金閣寺』  新潮社 昭和35年 254頁 三島由紀夫がなぜノーベル文学賞を取らなかったのか、なぜ川端康成だったのか。 川端康成は美しい文章を書く作家に違いないので、川端康成がノーベル賞を取ったことに異論があるわけではありません。 しかし三島由紀夫がノーベル賞を取らなかったことには異論があります。

          ノーベル文学賞を取らなかった作家

          破滅的な性悪、眩しいほどに繊細

          【その5】 私はアル中である 私はヤク中である 私はホモセクシュアルである 私は天才である             トルーマン・カポーティ 今日は名文ではなく、作家の言葉です。 カポーティは「自分には一部に熱狂的な、取り憑かれたようになるファンがいる」と言ったそうです。 アンディ・ウォーホルという有名なアーティストがいますが、彼もまたカポーティに取り憑かれたひとりで、カポーティいわく、「ウォーホルは私と友達になる為に、毎日家の外で待った」んだそう。 追っかけという

          破滅的な性悪、眩しいほどに繊細

          「永遠から五分だけ盗む」と書いた作家

          【その4】 「彼は椅子の上へよじのぼって、おずおずとあたりを見まわしながら、永遠から五分間だけ盗む」 チェーホフ・ユモレスカ 傑作短編集I チェーホフ  訳者 松下裕 平成20年 新潮社 118頁 『心ならずもペテン師に』 今日はチェーホフです。 上の文章だけでは何を示しているのか分からないと思うので少し解説すると、 新年のお祝いをひかえ、バタバタした家の中。 夜11時過ぎ。早く飲みたい大人たちと、キッチンで料理に追われているお母さん。 そんな状況の中、新年を待ちわ

          「永遠から五分だけ盗む」と書いた作家

          最強で最高の名文

          【その3】 「彼がタイタンで失ったただひとりの伴侶は、彼の左手にとっての右手のような伴侶だったのだ」 「おれたちはそれだけ長いあいだかかってやっと気づいたんだよ。人生の目的は、どこのだれがそれを操っているにしろ、手近にいて愛されるのを待っているだれかを愛することだ、と」 『タイタンの妖女』 カート・ヴォネガット・ジュニア 訳者 浅倉久志 1977年 早川書房 333頁 これに勝る名文はあるのでしょうか。 これと並ぶものはあっても、勝るものはないんじゃないか、そんな気に

          最強で最高の名文

          クセ強め。ドストエフスキー。

          【その2】 「俺がそういう人間のことを考えるのは、つまり自分自身がそういう人間だからさ」 ドストエフスキー『カラマーゾフの兄弟(上)』 訳者 原卓也 新潮社 昭和53年 260頁 この一文は登場人物の台詞ですが、ドストエフスキー自身の主張でもあると思っています。 ドストエフスキーの好き嫌いが分かれるのは… つまり面白いと思う人と、面白くないと思う人に分かれるのは、「彼の精神性に共感できるかどうか」 が大きいように思いますが、どうでしょうか。 常に内へ内へと向かうあの感

          クセ強め。ドストエフスキー。

          小説の中の名文

          名文、と言い切ってしまいましたが、あくまでも私が個人的にそう感じたもの ということで。 こんばんは。 さて、本を一冊楽しく読み終えても、記録しておこうと思った文章がただの一行もない小説も珍しくありません。逆に、何ヶ所もメモした作品もあります。 何ヶ所も文章をメモした小説=好きな小説 と、言えなくも無いかもしれません。 ちなみにメモのストックが多そうなのは、ドストエフスキーです。 私にとっては宝庫です、名文の。 大好きなんです、ドストエフスキー。 ドストエフスキーに関して

          小説の中の名文