kikuzirou
お気に入り楽曲です。
章ごとに分けてみました。
内容が多くなってきたので、垂仁天皇から第三部と致します。ジャパンのウォーズについて語って参ります。
章ごとに分けました。
大河ドラマ、光る君への感想です。
ニルソンさんの楽曲。 1971年の作品。 元々は、1970年に発表された、ロックバンド「バッドフィンガー」の楽曲で、カバーになります。 作詞・作曲は、ピート・ハムさん、トム・エヴァンスさん。 原曲よりも、ニルソンさんバージョンの方が好きです。
大河ドラマ「光る君へ」 越前に赴く前に、ヒロインと道長が契りを結び、越前で妊娠が発覚。それを隠す為に、宣孝と一緒になるような気がする。
【垂仁経綸編】エピソード16 神になった皇子 第十一代天皇、垂仁天皇の御世。 西暦6年、皇紀666年(垂仁天皇35)冬。 池を造った、五十瓊敷入彦(以下、ニッシー)は、大王に言挙げするため、纏向珠城宮に参内した。 同行した、大倭の直の五十野(以下、イソノくん)も連れての参内である。 垂仁天皇こと、活目入彦五十狭茅尊(以下、イク)を始め、大連や大夫たちは、彼らの報告を受けるのであった。 ニッシー「・・・ということで、国中(奈良盆地)の池も造ったよ。」 イク「そ
2013年の映画「パシフィック・リム」のテーマ曲です。 監督は、ギレルモ・デル・トロさん。 作曲は、ラミン・ジャヴァディさん。 使命感が溢れてきそうな楽曲です。 大きな仕事の前には、ちょうどいい曲だと思います。
【垂仁経綸編】エピソード15 八百近い池 第十一代天皇、垂仁天皇の御世。 西暦6年、皇紀666年(垂仁天皇35)9月。 垂仁天皇こと、活目入彦五十狭茅尊(以下、イク)の皇子、五十瓊敷入彦(以下、ニッシー)は、父の命を受け、川内国(現在の大阪府中部)に向かった。 池を造るためである。 そして、同行するのは、大倭の直の五十野(以下、イソノくん)であった。 ニッシー「・・・ということで、川内国に着いたよ。」 イソノくん「では、池を造るっちゃ。」 ニッシー「まず
森口博子さんの楽曲。 2007年の作品。 作詞は、青山紳一郎さん。 作曲は、多東康孝さん。 ガンダムのゲームに使用された楽曲だと思います。 友人のスマホから、たまたま耳に入り、気に入ったという、特殊な流れで知った楽曲です。
【垂仁経綸編】エピソード14 大きな亀 第十一代天皇、垂仁天皇の御世。 西暦5年、皇紀665年(垂仁天皇34)3月2日。 垂仁天皇こと、活目入彦五十狭茅尊(以下、イク)は、山代国(現在の京都府南部)に行幸(天皇が外出する事)した。 ここで、随行する大連や大夫たちが語り始めた。 ちね「大王? 山背大国不遅こと『フッチ』の元に行くんでっしゃろ?」 イク「えっ?」 カーケ「これまで解説されてなかったが『フッチ』の娘、苅幡戸辺こと『カリファ』を妃にしているんだぜ。
ベン・E・キングさんの楽曲。 1961年の作品。 作詞・作曲は、ベン・E・キングさん、エルモ・グリックさん。 題名は、直訳すると「側にいてくれ」ですが、本来の意味合いでは「僕の味方でいてくれ」になります。 1986年の映画「スタンド・バイ・ミー」で、この曲を知りました。 カラオケで歌う時もあります。
【垂仁経綸編】エピソード13 母親が分からない 第十一代天皇、垂仁天皇の御世。 西暦3年、皇紀663年(垂仁天皇32)7月6日。 大后の日葉酢媛(以下、ひばり)が薨去した。 そして、陵が完成した。 垂仁天皇こと、活目入彦五十狭茅尊(以下、イク)と共に「イク」の妃にして「ひばり」の妹たち、そして、大連や大夫たちが、解説をおこなうのであった。 イク「ついに、完成したんだね。」 ニック「そうですぅ。その名も、狭木之寺間陵やで。」 マー「遺跡としての名前は、佐紀
アレクサンドル・リトヴィノフスキーさんの楽曲。 2015年の作品。 リトヴィノフスキーさんは、ベラルーシの現代音楽家との事ですが、日本では、あまり知られていないようで、私も詳しい情報が分からない状況です。 それでも、いい曲は、国境を越えますね。 迫り来る感じが、映画音楽っぽくて、時折、聞きたくなります。 ちなみに、ル・グラン・カイエの邦訳が「悪童日記」でした。
【垂仁経綸編】エピソード12 埴輪誕生 第十一代天皇、垂仁天皇の御世。 西暦3年、皇紀663年(垂仁天皇32)7月6日。 大后の日葉酢媛(以下、ひばり)が薨去した。 ここは、纏向珠城宮。 涙にくれる、垂仁天皇こと、活目入彦五十狭茅尊(以下、イク)と共に「イク」の妃にして「ひばり」の妹たち、そして、大連や大夫たちが話し合っていた。 ちなみに、オリジナル設定である。 マー「大連? 何、言ってんの?! 先年、大王が禁じられたでしょ!?」 ニック「せやけどなぁ・・
荒井由実さん(現、松任谷由実さん)の楽曲。 1974年の作品。 作詞・作曲は、荒井由実さん。 編曲が、現旦那様の松任谷正隆さん。 1989年の映画「魔女の宅急便」で、この曲を知りました。 本当に、やさしさに包まれているような曲だと思います。
【垂仁経綸編】エピソード11 日葉酢媛、逝く 第十一代天皇、垂仁天皇の御世。 垂仁天皇こと、活目入彦五十狭茅尊(以下、イク)が、殉死を禁じて、二年の歳月が流れた。 すなわち、西暦1年、皇紀661年(垂仁天皇30)1月6日。 ここは、纏向珠城宮。 「イク」は、二人の皇子を呼び出していた。 五十瓊敷入彦(以下、ニッシー)と、大足彦忍代別尊(以下、シロ)である。 ニッシー「父上? どうしたの?」 イク「うん。汝たちが望む物・・・それを教えてくれないかな?」
明日より、ジャパンウォーズは偶数日に投稿させていただきます。奇数日は、お気に入り楽曲となります。 よろしくお願いします🙇
【垂仁経綸編】エピソード10 殉死禁止の詔 第十一代天皇、垂仁天皇の御世。 紀元前2年、皇紀659年(垂仁天皇28)11月2日。 垂仁天皇こと、活目入彦五十狭茅尊(以下、イク)の弟、倭彦の墓が完成した。 奈良県橿原市鳥屋町の身狭の桃花鳥坂墓である。 そして、大王の兄弟たち、大后、大連、大夫たちが居並ぶ中、殉葬がおこなわれた。 倭彦に仕えていた、舎人や采女といった者たちが、古墳の周囲に、生きたまま埋められたのである。 当然、そこには、遺族たちの姿があったはずである
【垂仁経綸編】エピソード9 殉葬の習わし 第十一代天皇、垂仁天皇の御世。 紀元前2年、皇紀659年(垂仁天皇28)冬。 ここは、纏向珠城宮。 10月5日に薨去した、倭彦の墓について、話し合いがおこなわれていた。 垂仁天皇こと、活目入彦五十狭茅尊(以下、イク)を中心に、その兄弟たち、大后、大連、大夫たちと共に、激論が交わされていたのである。 ちなみに、オリジナル設定である。 ニック「立派な陵にせなあかん・・・言うたんは『ニカ』様でっせ?」 ニカ「たしかに、立