見出し画像

私にとっての恋愛は修行だった話とこれからのこと〜30歳になる前に考えたこと〜

私の母は習い事(茶道や華道)にとてもハマっているのだけど、「本当に好きなんだねぇ」と言ったら、「好きとか嫌いとかじゃないよ。修行みたいな感じ」と言われた事がある。たしかにそのストイックな向き合い方は道を究めんとする人のそれで、かなり本格的。そんな母の姿を生まれた時から見て育っている私も、物事を「好き嫌い」ではなくて人生勉強や修行として捉える事が多い。


考えていて、恋愛も私にとっては修行の一環だったんだな、と思った。


前にストレングスファインダーという成果診断で自己分析をしたことがある。そうしたら自分の主要な素質top5のうち3つは人間関係構築力の分野だった。その中でも、運命思考というものが上位にあった。運命思考というのは、あらゆる物事はお互いに結びついていると考えて、人種や文化などの隔たりを超えて普遍的な相互理解を目指そうとする傾向のことを言うらしい。その上に私は「学習欲(言わずもがな、学びに対する貪欲さ)」が来ているので、世界中のありとあらゆる背景を持つ人を知って理解することをかなり突き詰めてやって来ました。

それはまさに、私にとっての人生における修行。私にとっての平和とは、多様性の上に成り立つ相互理解と尊敬の心が広く浸透しているということで、結構本気で世界平和を祈っている人間です。人生における目標は、スーパーフラットな人間になってどんな人に対しても敬意と尊敬の心を忘れない人になること。(もちろん自分を守るために適度な距離や妥協点が必要だということも、さまざまな痛々しい経験から身をもって学びましたが)

多分、だからこそ自分の当たり前から抜け出して、さまざまな視点から世界を見たり自分自身や自国を見たりしてきた訳です。


一見自分には理解できないとか、「世界が違う」と思うところに積極的に近づいていって、痛い目に遭いながらもたくさん学び続ける。その姿勢はストイックを通り越してドMですらあります。が、それでも辞めないのはきっとそれが最終的には自分を成長させて高めることだと感じているから。


恋愛というものは、人間関係の中でもかなり密で真剣なもの。だから、普通の友人知人関係の何倍も濃度の濃い経験をしやすい。長い時間(しかもかなりプライベートな時間)を一緒に過ごしていく中で相手の育ってきた環境についても知ることができるし、自分とは違う価値観をもった人の思考回路などを間近で見ることになる。

「多様な人間を見て学びたい中毒」の私にとってこれほど効率的な学びはありません。


かくして、恋愛は私にとっての修行的なものになっていきました。

人種や文化背景がさまざまな人たちとの恋愛関係を持ってきたし、なんなら同性の恋人がいたこともある。恋愛に関しては本当に食わず嫌いをせずに、「合わなそう」「自分とは違う」という人ほど積極的に関わった。


逆に、自分の心のうちを吐露することの出来る本当に信頼していた友達のことはあくまで友達として大切にして、恋愛に発展させようとはしなかった。それは一つには、友達のままの方がこれからもずっと関係性を続けられるし恋愛によって壊れやすい関係にしてしまうのが怖いという気持ちもあった。でも、それは多分「今はまだ結婚する気がない(=今の恋愛は別れを前提にしている)」「まだ学びきってない」という気持ちから。あまりにも、人の多様性を学ぶことに対してストイックすぎた結果なのだと思う。


20歳の時に仲良くしていた5歳ほど年上のノルウェー人の男性(彼も話が合って精神的に大切な人だったので恋愛の相手ではなかった)が、当時私にこう言った。「20代のうちは、お金が無かったとしても時間とエネルギーが有り余ってるからとことん自分の好きな事をした方がいいと思うんだ。僕も、20代のうちに好きな事を全部やり尽くす気持ちで色んなことやろうと思ってる」 実際彼は、本当に色んなことに挑戦していた。大学院で研究したり、まったく違った分野でインターンをしたかと思えば仕事で世界旅行をしてみたり。私はだいぶ彼に感化されたと思う。気がつくと私も「20代のうちは好きな事をとことんやり尽くそう。30になってから、満足してsettle downしてnourishしていけるように」というモットーで生きるようになっていた。

今私は29歳。もうすぐ30になる。


本当に色々な恋愛をしてきて、沢山の学びを得た。その時その時で課題も違えば得る学びも違う。でも、確実に毎回自分自身も他者理解という点においてもステップアップしてきた実感はある。

実際、29での恋愛は「婚約」まで言った。結婚を考えられない私にしてはかなり思い切った関係性にまでなった。結局悲しいことに、恋愛相手の選び方が「本来なら自分とは相容れない相手をあえて選ぶ」という軸からブレてなかったため、結婚相手にはすることが出来なかった。一緒にいると、少しずつ少しずつストレスが溜まっていってしまうから。頑張ってみたけどやっぱり別れが前提であったことに、別れた後に気がついた。

そして不思議と、「もう満足した」と笑顔になる自分を心のうちにみつけた。

もう「恋愛」は十分味わったんだな、と思った。私の「色々試して学ぶ」スタイルは、私のモットー通り20代いっぱい続いて終わりを告げようとしている。

多分次に選ぶ相手は「恋人」ではなくて「家族」になる人なんだろうなということは、なぜかもうすでに分かってる気がする。なぜだか分からないけれど、私は31で結婚すると子どもの頃から信じていた。根拠はない。でも多分それはあたると思ってる。


20代の「修行」がそろそろ明けます。

30代以降は学び得てきたものを元に自らの畑をもち耕していくこと。そしてそこで栄養たっぷりの植物を育てていくこと。それが目標です。

恋愛はもう卒業してあたらしい「家族」を作っていくという作業。今からそれの準備をしていくのは、不安もありながらもとても楽しい作業のような気がします。


おわり。

この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?