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わからないからおもしろい。

のめり込めるような好きなもの、めちゃくちゃ好きな趣味だとか推しだとかそういうものがない、というのが昔からずっとコンプレックスだ。
そんなに夢中になれるということ自体の楽しさがわからない気もするし、そういうエネルギーや感情がないようにも思うし。

好きで興味が続くものも結構あるのに、夢中になって深く掘っていくのではなく、ずっと表面近くを軽く浅くうろついている感じがする。
基本とか概論だけ知って、なんとなくわかったりなんとなくできたりする、その近辺で楽しんでいるだけで、各論とか独自の研究とかにいけない感じ。深めて自論を持ったり研究していくような状態にめちゃくちゃ憧れる。

一応興味がわくとそこそこ知りたがるのだけど、知って深くいくのでなくて、関連したりつながっていたりする(と自分が思っている)周辺をあちこちうろうろしている気がする。
いろんなことを知りたい欲はあるんだけど、ただ知りたいだけで次々疑問を持っては知っていくだけで、ずっと浅いまま。

そういう、深さや情熱への憧れを話していたら、深く追求するタイプの人に、
「そういう風に興味をもって聞きたがってくれる人がいるから、私たちは話せるんだよ」
と言われたことがある。

そのときは、言ってることはわかるけど、なんかいまいち腑に落ちないなぁと思っていた。
良し悪しでなく、資質や持ち物が違うだけで、役割が違うだけって、頭ではわかるんだけど。
でも私は深めるのに憧れてるんだけど!と思って。

でも、話を聞くのに、話をしてもらうのには、確かに便利だなとは思う。
深くなくても、ちょっとだけわかることで楽しく聞けたりもするし、ちょっとしかわからないからもっと聞きたくなるし、知りたいからどんどん聞こうとするし質問したくなるし。
自分が知らないことほど知るのがおもしろいし、思いつかないことほど聞いてて楽しい。

商品のPRまんがを描いているときも、キャリアインタビューなどするときも、話を聞いていること自体が楽しいから、役得だと思ったし、だから向いてるかもって思った。

そう思うと、聞きたがる、知りたがる、というのも、ひとつの能力になる要素かなぁと思う。

役に立つからとか、おもしろいとかで聞きたい知りたいのではなくて(おもしろければそれはそれで聞きたいけど)、わからないから知りたくなる、わからないのを知るのが楽しいというところ。
そもそもわからないままだったらおもしろいかどうかもわからないし、まずちょっと知ってみないと、みたいな。

知ってみても全然それ以上興味がわかない領域とかもあるけど、それでも、そういう世界があるんだなぁと知れることが、見える世界をおもしろくするような気がしている。

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