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生い立ちや過去の振り返り

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脊髄性筋萎縮症という難病になった話や病気を抱えた上で大人になるまでを中心に書いています。
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「二度と関わるな」母と絶縁した日

「二度と関わるな」母と絶縁した日

タイトルから見ると私がとんでもないやつみたいに見えますが…まあおおよそは間違っていません。

なんたって実の母に本当に言った言葉なのですから。

以前にも一度母について書いた事があります。

この時にも書きましたが
私は母の事が嫌いで、タイトルの通り今はほぼ絶縁状態です。

もう二度と母について思い出す事もnoteを書くつもりもありませんでしたが前回のnoteに本当に多くのメッセージや反応を頂いた

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母に鼻で笑われた時、僕は夢の話をしていた。

母に鼻で笑われた時、僕は夢の話をしていた。

うちの家庭は父しかいません。
今は私も一人暮らしをしているので別々で暮らしていますがずっと二人で暮らしていました。

と、言うと「お母さんもしかして…」と思われるかもしれませんが生きています。多分、知らんけど。

文章を見てあからさまに出ているように私は母が嫌いです。離婚する前から好きじゃなかったけど大人になってからは特に嫌いです。

今まであまり書いてこなかった母との話ですが今回は覚えてる出来事

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寝たきりが育った教育方針

寝たきりが育った教育方針

今回はうちの父の話を中心にどんなふうに育てられて私のような変わり者が爆誕したかをお話ししていきたいと思います(笑)

(父が見ることがないのを願いますw)

今の僕より若かった父僕は父が25歳の時の子供なので今の僕(26歳)の年にはもうすでに親になっていました。

今自分がこの歳になって父は当時どんな気持ちだったのか最近ふと思う時があります。

25歳で子供ができて、その子供に障害がある。しかも周

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あの日人生が終わる予定だった

あの日人生が終わる予定だった

それなりの障害を抱えて生きてる僕。
そしてメンタルが昔から強くはない僕。
日々病んだり凹んだりして生きてきました。

そんな僕は高校生の時に一度だけ。
生きる事を本気で諦めようと思ってた時期があります。

今日はその時のお話をしていきたいと思います。読まれてる方が気持ちがいい話でもないしなんの情報もない話にはなるけど。

これも含めて僕の人生なので良かったら聞いて頂けたらと思います。

病院生活以

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寝たきりが初めて人に勝てる事ができた日

寝たきりが初めて人に勝てる事ができた日

僕は脊髄性筋萎縮症という難病。

病気の進み具合で動ける範囲は変われど歩いた事もなければ運動をした事もない。

輝いてる努力を見るのが苦手だった僕は昔から人と競ったり何かを努力した事がありませんでした。だから子供の頃は頑張ってる人を見るのがあまり得意ではありませんでした。

もともとスポーツを見るのが好きだったけど甲子園でガムシャラに頑張る球児や24時間テレビで目標に向かう人を見ると感動はするとと

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引きこもり不登校児だった僕は病院で育った(後編)

引きこもり不登校児だった僕は病院で育った(後編)

前回投稿した前編に引き続き今回は後編を書いていきたいと思いますので前編がまだの方はぜひそちらを見て頂けたらと思います。

今回は前編の有料部分の続きなので後編は本編全て有料になります。ご了承ください。

本編に入る前に今回自分の子供時代の事を改めて書き綴ったり思い出したりしていく中で自分はたくさんの出会いと奇跡的なタイミングの重なりで今があるのだなと感じました。

嫌な事辛かった事が数え切れないほ

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引きこもり不登校児だった僕は病院で育った(前編)

引きこもり不登校児だった僕は病院で育った(前編)

僕が今住んでいる場所は愛媛県。
生まれ故郷も愛媛です。ですが学生の間大半の時間を香川県で過ごしました。

時間で言うと約9年間。
家族と離れて生活をしていました。

今回は僕の子供時代の話をしたいと思います。 

物心がつく前の話まず幼少期の話。親が僕の体の異変に気づいたのは一歳を過ぎた頃。ハイハイと掴まり立ちまではするものの一向に歩く気配がない為、不審に思い、病院に連れて行ったそうです。

最初

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