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深化 | 人生の転機(2)

少し前にも「人生の転機」について書いた記事があります。
こちらも併せて読んでくださると、僕が勝手に喜びんで踊ります。



10月が過ぎ去って、いよいよ11月も中旬。
10月末から大阪⇔東京を3往復し、自分が本当に心からやりたいことだけをやれるだけとにかくやり続けた。

心が震えたり、嬉しくて涙が出たり、正気の沙汰でない自分の行動力(自分を想ってくれている人の感情に突き動かされる)に気付いたりして、本当に有意義な時間を過ごせた。自分が怖い。

短期間に何度も往復したそれぞれの目的は違うけれど、数年前に電車に乗ることすらままならなかった時期に比べたらすごい成長だし、回復した今の姿を見せたい人がたくさん居た。

移動にだって莫大にお金が掛かったし、行き帰りの飛行機を不注意やパニック発作から何度も何度も見送ったりして、本当に散々な目に合った。でも、以前と明らかに変わったのはそんなことは別に大したことではないことだと思えたし、誰にも迷惑を掛けていないということに気付けたことだ。

このこと(失敗が怖すぎる話)については次回へ続く…。




僕はある意味、この社会から爪弾きにされながら、それでもなんとかマトモに取り繕おうと必死だった。そんな必死さも虚しく、僕はもうとっくの昔からマトモさを失って、すっかり社会のお荷物なのかもしれない。

他人と比べたらキリがない程に存在価値なんて無い気がする。お金を稼ぐ能力もない、体力もない、誰かの世話にならないと生きていくことすらままならない。

でも、それが僕が僕として生きる理由になった。僕は他人と関わらないと生き続けることが出来ないし、それが僕が生きていけるただ唯一の方法。


もうお金なんてどうでもいい。これから先のことなんてどうでもいい。明日に世界が終わっても悔いのないように、僕は自分の人生を生きていくしかない。誰かを救おうなんて大層な奢りもない。

ただ、僕が僕として生きることを辞めないことでそれで「救われた」と言ってくれる人たちが居る。一人や二人どころじゃない。こんな人間が世界に何人居るかなんて、そんな野暮ったい話すんなよ。

僕は僕を生きる。あなたはあなたをどうか生きてほしい。意味とか価値とかそんなものは後から付いてくるものだ。着いてこなくたって、そういう生き方をした人間の話を誰かが話の種に笑ってくれるなら、その人生はもう十分に意味があるってことで。

やりたいことを一つ残らずやり続けることを決めた。何があっても続けることだけは諦めたくない。音楽も写真も文章も、全て僕が誰よりも深い底を経験したからこそ表現できるものだ。代わりなんて僕の他の誰にも務まりっこない。それぐらい暗い海底をさらに、さらに深化していく。




一年前にリリースした音源「蒼い鳥 e.p.」を無料公開しました。
自分が生きるためだけに作った音楽がいつか誰かの支えになることを願う。


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