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悟塔雛樹の!!「つれづれなる松葉ガニ」

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ファミコンと翻訳関係のものを除く、エッセイ一般をこちらにまとめました。表題には深い意味が……ありません。写真と動画もあるよ!
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記事一覧

哲学者ウィトゲンシュタインは言語能力が凄いのに、4歳まで一言も喋らなかった。内面では早くから言葉が育っていたが、アウトプットに至らなかっただけかもしれない。なぜなら外国に渡った子供が最初は話せず、半年ほどして急に外国語を話す例がよくあるからだ。脳の言語処理が同じなら、あり得る話。

筆者がドラクエシリーズのラスボスであれば、まず宿屋を潰すと思う。あそこで勇者一行が回復しているのは、悪役側には致命的ではないか。シリーズ何作もあるのに、ボスがそのことを毎回一切認識していないというのは、いかがなものかと思う。まあそんなことしたらゲームにならないけど。

格闘ゲームのエッチな格好には、元来の起源があったと考えられる。力で劣る分、男性の注意を逸らす闘い方だ。昔の小説(小説版『蛇鶴八拳』)にそうした描写があったし、ある中国拳法(「長拳」だと思う)に対し、女性の姿態を見せ物にしているとの批判が戦後に見られている。同じ理由なら辻褄が合う。

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先日の夕空写真2枚

Q:「なぜ山を登るのか?」 A:「そこに山があるからだ」……カッコいい答えだとされているが、なんの答えにもなってなくないか。案外テキトーに言ったら感心されたのでは。「よくわからん」という答えと、ほとんど変わらないと思うのだが。まあこんなことばっかり考えるから、夜眠れないんだけど。

三島由紀夫に関して思うこと。人に期待をかけるのは相手の人生のハードルを引き上げる行為であり、彼は周囲から最大限にハードルを上げられてしまったのではないか。なまじ優秀だっただけに期待に応えてしまい、苦しかっただろう。人間は、他者の期待に応えるため生きているのではないのだ。

稀ではあるが、ズボンのチャックが開いていて恥ずかしい思いをすることが。電子レンジみたいに、音で知らせてくれないものだろうか。後退する時に「バックします」と声が出るトラックみたいに、「チャック開いてます」と教えてくれるズボンが開発されることを切に願う。

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国立民族学博物館③

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国立民族学博物館②

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国立民族学博物館①

苦境を何とかするには誰かを責めるのではなく、究極的には自分を変えるしかない。だが自分が原因ではないことで不必要に自分を責めてしまうことも、自分の変容の大きな妨げになる。だからこそ「自分の身に何が起きたか」を、できる限り客観的に把握する必要がある。把握は何とか意識的にできるからだ。

人類学の山口昌男によると、「シベリアのシャーマニズムでは、青年が幻覚状態の中で精霊によりバラバラにされる。それから生の世界に戻ってシャーマンになる」とのこと(『学問の春』)。まるで積極的分離(正の崩壊)理論を描写しているかのようだ。

格闘ゲーム「ストII」のダルシムというキャラは、数々のヨガ技で戦う。ヨガファイアーやヨガテレポートは有名だが、火を吹いたり瞬間移動なのでまだ神秘の技として理解できる。だが片手で相手を抱え、反対の手でタコ殴りにする技を「ヨガスマッシュ」というそうな。ヨガ関係あらへんがな。

「ハイスコアガール」というマンガでは、ヒロインのお嬢様(ザンギエフ使い)が教育虐待に遭って、ゲームで憂さを晴らしている。私とほぼ同じ境遇だ。無闇に金ばかりが溢れると、家庭で親の餌食にされる子供が増える。日本にそうした時代があったのは事実だろう。金が無さすぎても、もちろん困るけど。