⭐️心の学び:自分の考えって?
自分に注目する心の働きは若い頃に特に強い。やがていろんな経験をしながら時間の経過によって自分への注目は薄れていく。
ある程度年齢を重ねた人に「自分の考え方で生きるとは?」と問うてみると明確な答えが返ってくることはほとんどない。
バカだからではなく人生の真実に近づいていくからだとぼくは思う。
自分の意思で世の中を渡っている、または渡っていけるように思いがちなのは、若い頃にある無知な発想から生まれる。
若い人は「そんなバカな」と思うだろう。自分が環境に適応していったと思いがちだが、たまたまうまく適応したという方が適切だ。進化論の説明と同じだ。
「時代に合致した」「流行にうまく乗った」という表現に近い。
年齢を重ねたのに自分の考えがないのではなく削られたのだ。間違いだと気づかされたということだ。
若い頃は「何でもできる」と思いがちだが何にも出来ないのが正解だ。
「そんな大人にはなりたくない!」と反応するかもしれないが、その反応もみんなやってきたことだ。お約束というやつだ。
今ある環境が変わっても、自分の意思や考え方で適応させて流れに乗ることができるかどうかは不明なのだ。
「自分の考え方」という理想はほとんど通用しないと考えた方がいい。
それでも「いや、自分の考えは通用している!」と言いたいのもわかるが、その分野限定である。それも後出しジャンケンでもある。
「夢がない奴だ」と思うかもしれないが本当の話だ。
しかし、心の力はこれらを受け入れてからが本領発揮である。
これまで自分の意思だと思い込んでいたものは自動的に生じる内分泌系の働きや誰にでもある心理傾向に従っていただけなのである。
能動的な意思を使うのはある程度年齢を重ねてからである。
容姿が衰えてきてからの恋愛を想像してみてほしい。何をしなくてはならないか、何が必要なのかは若い頃とはまるで違うことに気づく。
また、体力が衰え能力の限界を感じてからの出発には何が必要だろうか。
これらには心の力を使わなければ乗り越えられないのだ。
また。その心の力を使うための強い動機を知らなければならない。
映画やドラマのように一瞬だけを切り取った話ではないのだ。
揺らぐことのない意思はどうすれば身につくかを知らなければならない。
カラ元気やハッタリの類では何の役にも立たないことがわかっている。線香花火みたいな積極思考も無意味だ。
ぼくは心の力の使い方について学べは学ぶほどその重要性に気づかさられる。
それは弱々しい「自分の考え方」を持つこととも違うものだ。