ギュンターりつこ

ベルリン在住の声楽家です。 現在、ドイツの親戚のファミリーヒストリーを執筆中で、そのた…

ギュンターりつこ

ベルリン在住の声楽家です。 現在、ドイツの親戚のファミリーヒストリーを執筆中で、そのために集めた情報の一部をここに残していこうと思います。ドイツ近代史に興味のある方に読んでいただけましたら幸いです。

記事一覧

捕虜収容所からの帰還兵

第二次世界大戦のドイツ兵捕虜について調べているのですが、私の義母の父フーゴが書いた戦争捕虜体験記は胸に迫るものがあります。 第二次世界大戦中、捕虜になったドイツ…

終戦直後のドイツの子供たち

恒例のベルリン・ライニッケンドルフ郷土史勉強会で、高齢者から思い出ばなしを伺いました。 ①1940年生まれの男性 戦争は終わったけれど、私たちの遊び場は瓦礫と廃墟で…

西からの小包

恒例のベルリン郷土史勉強会で、再びベルリン在住の方々から思い出話を聞いてきました。テーマは「西からの小包」。ほんわかした話で心癒されると思いきや、結局、今も昔も…

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東ドイツの子供たち

月曜日恒例のベルリン郷土史勉強会に再び参加してきました。今回も興味深い話ばかりでしたが、特に東ドイツ出身の方の話が印象的でした。 ①男性H氏 1952年東ベルリン生…

東プロイセン

月曜日は恒例の「ベルリン郷土史勉強会」に行ってきました。今回はベルリンの話ではありませんが、ベルリン在住のお二人から伺ったお母さんとの旅行の話が大変興味深い内容…

ナチスの学校教育

ベルリン市の私の住む地区には郷土博物館があり、そこでは毎週一回、歴史研究家を囲んで無料の郷土史勉強会が開かれています。私も参加しているのですが、私以外の参加者は…

東独の抵抗の芸術

ライプツィヒを歩いてたら、こんなブロンズ像に出逢いました。いったい何を意味しているのでしょう?  まっすぐ伸ばした右手はナチス式敬礼、右脚は前方に突き出した兵士…

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愛犬家 ヒトラー

 ナチス高官の多くが動物好きであったことはよく知られています。あのナチスNo.2だったゲーリングにいたっては、百獣の王ライオンに憧れて、ライオンの赤ちゃんをベルリン…

エーリヒ・マリア・レマルク

第一次世界大戦の塹壕戦について調べながら、エーリヒ・マリア・レマルクの『西部戦線異状なし』を読み返しています。今さらですが、やはり不朽の名作ですね。レマルク自身…

ナチスの強制的同一化政策

933年、ヒトラーは政権を掌握すると、Gleichschaltung (日本語では『強制的同一化』と訳されています)というナチスのイデオロギーに則った政策を進めていきました。これは…

スィング・ボーイ

今日はナチス政権下でのティーンエイジャーたちのお話を。  ヒトラーユーゲントは日本でもよく知られていると思いますが、実は設立は1926年のワイマール共和国時代で、国…

ヒトラーユーゲント

 ナチス政府のプロパガンダを広める重要な手段として、ヒトラーとゲッベルスの演説、メディア、映画、国民への物質的な便宜などが挙げられますが、青少年にナチスイデオロ…

ヒトラーのための聖火リレー

 1936年ベルリンオリンピックはナチスドイツを語る上では外せない、歴史的に非常に重要な大イベントでした。  今回はドイツが主催国となったいきさつと聖火リレーについ…

ヴィルム・ホーゼンフェルト

今では信じられないことですが、かつてヒトラーは救世主と崇められ、慈愛に満ちた心優しい人物であると民衆に愛されていました。 第二次世界大戦で兵士たちが書いた日記は…

アウグスト・ランドメッサー

この写真は1936年6月にハンブルグ港の軍艦進水式で撮影されたもので、当時はヒトラーを迎えての盛大なセレモニーだったそうです。群衆の中でひとりだけ「あのポーズ」をと…

ドイツ人が難民だった頃

ベルリン・ライニッケンドルフ区の郷土史勉強会に行ってきました。 テーマは「難民」。これはウクライナ難民に寄り添うために、ドイツ人自身が難民であったことを思い出そ…

捕虜収容所からの帰還兵

捕虜収容所からの帰還兵

第二次世界大戦のドイツ兵捕虜について調べているのですが、私の義母の父フーゴが書いた戦争捕虜体験記は胸に迫るものがあります。

第二次世界大戦中、捕虜になったドイツ兵は約1100万人、そのうちソ連領の収容所には推定320万から360万人が収容されたと言われています。そこでの生活は陰惨を極め、100万人以上が飢え、寒さ、病気、拷問、射殺等で亡くなっています。

捕虜同士の連帯感はなく、とにかく飢えを凌

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終戦直後のドイツの子供たち

終戦直後のドイツの子供たち

恒例のベルリン・ライニッケンドルフ郷土史勉強会で、高齢者から思い出ばなしを伺いました。

①1940年生まれの男性
戦争は終わったけれど、私たちの遊び場は瓦礫と廃墟で危険がいっぱい、突然壁が落ちてきたりガラスの散らばるところで転んだり、怪我が絶えなかった。通り過ぎる大人たちに「危ないからそこはダメだ」とよく叱られたけれど、隠れて廃墟の中を探検するのはスリルがいっぱいでワクワクした。

②1944年

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西からの小包

西からの小包

恒例のベルリン郷土史勉強会で、再びベルリン在住の方々から思い出話を聞いてきました。テーマは「西からの小包」。ほんわかした話で心癒されると思いきや、結局、今も昔も国民は国家のイデオロギーに翻弄され続けてきたのだと思い知らされることになりました。大変興味深いエピソードが聞けましたので、紹介させてください。

 まず、「西からの小包」とは何だったのか、歴史的な背景を踏まえながら、簡単に説明します。

 

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東ドイツの子供たち

東ドイツの子供たち

月曜日恒例のベルリン郷土史勉強会に再び参加してきました。今回も興味深い話ばかりでしたが、特に東ドイツ出身の方の話が印象的でした。

①男性H氏 1952年東ベルリン生まれ
小学校5年生の時、チューリンゲン州でのクラス合宿に参加した。夢みたいに楽しい三週間はあっという間に終わり、再びバスでベルリンに戻って来た。その時、西ベルリンの国境に銃を持ったアメリカの国境警備隊がいてとても怖かった。彼らは容赦な

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東プロイセン

東プロイセン

月曜日は恒例の「ベルリン郷土史勉強会」に行ってきました。今回はベルリンの話ではありませんが、ベルリン在住のお二人から伺ったお母さんとの旅行の話が大変興味深い内容でしたので、ご紹介したいと思います。

①男性、1952年生まれ、西ベルリン出身

母は東プロイセンのマリエンブルグ(現在のポーランド領マルボルク) の出身で、終戦直前に追放されて19歳で難民になった。ドイツ統一後に初めて母を連れてマリエン

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ナチスの学校教育

ナチスの学校教育

ベルリン市の私の住む地区には郷土博物館があり、そこでは毎週一回、歴史研究家を囲んで無料の郷土史勉強会が開かれています。私も参加しているのですが、私以外の参加者はほとんど70から90代の高齢者ばかりで、これがまた最高におもしろいのです。皆さん、話好きな方ばかりで、昔話を競い合うように聞かせてくれます。昔の話をしてくれるお年寄りは人類の宝ですよね。特に最高齢者のB夫人は1935年生まれですから、生まれ

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東独の抵抗の芸術

東独の抵抗の芸術

ライプツィヒを歩いてたら、こんなブロンズ像に出逢いました。いったい何を意味しているのでしょう?

 まっすぐ伸ばした右手はナチス式敬礼、右脚は前方に突き出した兵士の行進、左手は拳を握った社会主義のシンボル、左足は赤いラインの入ったソ連軍将校の軍服です。足も手も勇ましいのですが、なぜか頭は胴体の中に埋もれ、胴体の中心は切り裂かれています。

 作品のタイトルは『世紀の歩み』。これは戦争や独裁者や社会

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愛犬家 ヒトラー

愛犬家 ヒトラー

 ナチス高官の多くが動物好きであったことはよく知られています。あのナチスNo.2だったゲーリングにいたっては、百獣の王ライオンに憧れて、ライオンの赤ちゃんをベルリン動物園から借りてきては来客に見せびらかし、大きくなりすぎたために、再びベルリン動物園に戻すという無責任な動物愛護っぷりでした。

 ヒトラーは正真正銘の愛犬家として有名でした。彼の愛犬の名前はブロンディ、メスのジャーマン・シェパードです

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エーリヒ・マリア・レマルク

エーリヒ・マリア・レマルク

第一次世界大戦の塹壕戦について調べながら、エーリヒ・マリア・レマルクの『西部戦線異状なし』を読み返しています。今さらですが、やはり不朽の名作ですね。レマルク自身の体験による悲惨な戦地の描写も生々しいのですが、次第に若者たちの意識が一般人のそれと乖離していく「なんとも言い難い距離感」という心理描写に胸がえぐられる思いです。

 この続編『還り行く道』は戦場でのトラウマと不安を抱えながら生きる復員兵を

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ナチスの強制的同一化政策

ナチスの強制的同一化政策

933年、ヒトラーは政権を掌握すると、Gleichschaltung (日本語では『強制的同一化』と訳されています)というナチスのイデオロギーに則った政策を進めていきました。これは「一つの民族、一つの国、一人の指導者」というスローガンのもと、すべての国民がヒトラーだけを指導者と仰ぎ、統一的に生き、統一的に考える民族共同体となって団結することを目標としたものです。この『民族共同体』は当然ナチスが理想

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スィング・ボーイ

スィング・ボーイ

今日はナチス政権下でのティーンエイジャーたちのお話を。

 ヒトラーユーゲントは日本でもよく知られていると思いますが、実は設立は1926年のワイマール共和国時代で、国家社会主義ドイツ労働者党(略してナチス)はこの頃から少年たちを授業後に集め、スポーツで心身を鍛錬し、集団活動を通じて「民族共同体の一員」となるよう教育していました。しかし、このころはまだ国内での知名度も低く、入会する少年もごく少数でし

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ヒトラーユーゲント

ヒトラーユーゲント

 ナチス政府のプロパガンダを広める重要な手段として、ヒトラーとゲッベルスの演説、メディア、映画、国民への物質的な便宜などが挙げられますが、青少年にナチスイデオロギーを刷り込んでいったヒトラーユーゲントとドイツ少女同盟は、その中でも最も罪深いものであったと言えるでしょう。以下は、2022年4月に東愛知新聞に寄稿したヒトラーユーゲントについての記事です。

 ドイツの高齢者の方々に、ヒトラーユーゲント

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ヒトラーのための聖火リレー

ヒトラーのための聖火リレー

 1936年ベルリンオリンピックはナチスドイツを語る上では外せない、歴史的に非常に重要な大イベントでした。

 今回はドイツが主催国となったいきさつと聖火リレーについて、少しだけ紹介させていただきます。

 1931年、IOCは第11回オリンピックの開催地をベルリンに決定しました。ベルリンが選ばれた表向きの理由は、第一次世界大戦に敗れて孤立していたドイツに、国際社会への復帰のチャンスを与えるという

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ヴィルム・ホーゼンフェルト

ヴィルム・ホーゼンフェルト

今では信じられないことですが、かつてヒトラーは救世主と崇められ、慈愛に満ちた心優しい人物であると民衆に愛されていました。

第二次世界大戦で兵士たちが書いた日記は貴重な歴史的文献ですが、その中にも政府に洗脳された若い兵士たちのヒトラーへの惜しみない賛辞が散見するのは悲しいことです。

将校ヴィルム・ホーゼンフェルトもまた、ナチス特別部隊がワルシャワでユダヤ人を集めて殺害するのを目撃してショックを受

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アウグスト・ランドメッサー

アウグスト・ランドメッサー

この写真は1936年6月にハンブルグ港の軍艦進水式で撮影されたもので、当時はヒトラーを迎えての盛大なセレモニーだったそうです。群衆の中でひとりだけ「あのポーズ」をとっていない男がいます。この男の生涯についての記事が興味深いものでしたので、皆さんにご紹介したいと思います。

 男の名前はアウグスト・ランドメッサー、当時26歳。この写真の数年前までは他の国民同様、熱烈なナチス支持者で党員登録もしていま

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ドイツ人が難民だった頃

ドイツ人が難民だった頃

ベルリン・ライニッケンドルフ区の郷土史勉強会に行ってきました。

テーマは「難民」。これはウクライナ難民に寄り添うために、ドイツ人自身が難民であったことを思い出そうという進行役の歴史学者の先生の配慮です。

ウクライナに限らず、ドイツがこれまで多くの難民を受け入れてきたのは、ドイツ人自身が難民であった歴史を持つことも理由の一つかもしれません。第二次世界大戦の終戦直前に東から迫りくる赤軍を逃れて難民

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